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平成19年2月27日(火)昨日:花粉症用食品で意識不明に、「健森」製造販売の「パピラ」。 1985年2月27日、田中角栄元首相が脳硬塞で入院。 政界からの事実上の引退となった。田中角栄氏は日本を良くも悪くも変えた。功罪相半ばならば、上々と言うべきか。ただ、日本の政治のあり方・システムをより悪いほうにシフトさせた点は、責められるべきか。 角栄型政治:恫喝と懐柔、口利き利権政治、金のバラマキで人心掌握。 小泉型政治:脱派閥政治と定石破り、国民の支持率で反対勢力を押さえ込む。 安倍型政治:正統派の官僚主導、優柔不断の右顧左眄、美しい言葉と醜い内閣。 1985年1月28日、毎日朝刊に『竹下氏が政策集団を旗揚げ』というスクープ記事が躍る。翌29日、創政会側がとってきた隠密行動が白日の下にさらされると、田中は、怒り狂った。 1985年2月7日、自民党を離党しながらも派閥領袖として影響力をもち続ける田中角栄に反旗を翻した竹下登、金丸信らを中心に田中派内に、“勉強会”と称して創政会を結成。 それから20日後の2月27日、田中は突然、自宅で倒れた、脳梗塞。この日以来、田中は、政治の表舞台に一度も復帰することなく、世を去った。 1987年7月4日、自民党の竹下登幹事長が「経世会」を発足させる。事実上の竹下派旗揚げであり、最大派閥・田中派の大半が参加し、田中支配が終焉した。(参照:7月4日、「経世会」発足 ) かつて、田中角栄氏の「日本列島改造論」を、梅原猛が批判した。こんな改造をすれば、日本は公害列島になる。そして文章が、一国の宰相の文章として品が悪すぎると酷評。だが、「日本列島改造論」を実際に書いたのは、秘書の早坂茂三氏であった。 安倍氏は国会で、「美しい国へ」は自分で書いたと明言した。歳月が流れ、「私が書いた」などと、ゴースト・ライターが現れることは、よもやあるまいと思う。 安倍氏は著作の中で、口を極めて神風特攻隊を賛美するが、若者の純真な心をむざむざと犬死させた軍部については、関心がないらしい。いかに戦後生まれの首相でも、この一事に“鈍感”であってはなるまい。 彼の尊敬する人物が、「昭和の妖怪」岸信介であることが、気に掛かる。 |

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