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平成19年3月3日(土)昨日:ごみ焼却施設談合で公取委が過去最高の課徴金270億円。 ○ 雛まつり 【上巳】(じょうし)(他に、中巳、下巳とあり) 五節句の一。陰暦3月の最初の巳(み)の日。のちに3月3日となる。巳(み)=三(み)。古くは宮中でこの日、曲水の宴が行われた。のちに、民間では女児の祝い日となった。桃の節句、ひなの節句、重三(ちょうさん)とも。 古来中国では、上巳の日に川で身を清め不浄を祓う習慣があった。これが平安時代に日本に取り入れられた。後に、紙で小さな人の形(形代=かたしろ)を作り、それに穢れを移し、川や海に流して不浄を祓うようになった。この風習が「流し雛」として残る。 家康の孫娘である和子(まさこ、千姫の妹)が、後水尾天皇に入内(じゅだい)したのは数えの14歳の時。朝廷と幕府との関係を、緊密にせんとの政略結婚でした。里帰りも許されぬ和子にせめてもの慰撫にと、雛人形が用意されたとか。これが後に民間に下り、今日の「雛まつり」になったとも言う。 江戸時代に、女児の「人形遊び」と「節句の儀式」とが結びつき、全国に広まり、飾られるようになる。この「雛(ひいな)あそび」が「雛祭り」へと変わったのは、天正年間以降の事であり、この時代から三月の節句の祓いに雛祭りを行うようになったと推測されている。 この時代には飾り物としての古の形式と、一生の災厄をこの人形に身代りさせるという祭礼的意味あいが強くなり、武家子女など身分の高い女性の嫁入り道具の重要な家財のひとつに、数えられていた。その為、次第に華美になっていった。 江戸時代初期は、形代(かたしろ、災厄を身代わり→流し雛)の名残を残す立った形の立ち雛や、坐った形の「坐り雛」(寛永雛)が作られていたが、これらは男女一対の内裏雛を飾るだけの物であった。その後、時代が下ると人形は精巧さを増し、十二単の装束を着せた「元禄雛」大型の「享保雛」などが作られた。これらは金箔張りの屏風の前に内裏の人形を並べた豪勢なものだった。 享保年間は、人々の消費を規制するため、一時的に大型の雛人形が当時の幕府によって規制されます。(享保の改革=八代吉宗) 規制を逆手にとった「芥子雛」とよばれる数センチの大きさの精緻を極めた雛人形が流行することになる。 江戸時代後期は、「有職(ゆうそく)雛」とよばれる宮中の雅びな衣装を正確に再現したものがあらわれ、さらに今日の雛人形につながる「古今雛」が現れた。この後、江戸末期から明治にかけて雛飾りは二人だけの内裏人形から、嫁入り道具や台所の再現、内裏につき従う従者の人形たちや小道具、御殿や檀飾りなど急速に点数が増え、規模も大きくなってゆく。 紙雛に 角力とらせる 男の子 (誹風柳多留) 雛祭る 都はずれや 桃の月 (与謝蕪村) をみな子を もてばたのしき 雛(ひいな)かな (神谷阿乎美) 立子忌や 岳の風神 まだ眠る (市川弥栄乃) 伊豆半島の東伊豆町稲取には、江戸時代から伝わる「雛のつるし飾り」の風習がある。 これは、雛祭りに雛段の両脇にお飾りをつるす、全国でも珍しい伝統行事です。 高取土佐街道沿いの家々の軒先に雛人形が飾られる。 駅前から土佐町なみ町家約30ヶ所。 日 時:3月1日〜31日 場 所:駅前から土佐町なみ町家約30ヶ所 問合せ:夢創舘(期間中無休)TEL 0744-52-1150 てんびんの里・五個荘は江戸時代、この湖東の地から、天秤棒を肩に、革新的な商法と不屈の精神、そして何よりもお客様の喜ぶ笑顔を心の糧として、全国津々浦々に行商し、立身出世を夢見た近江商人たちの発祥の地として知られている。 ○ 詩人・サトウハチローのミステーク 「うれしいひな祭り」(「たのしい」、ではありません。) 1.あかりをつけましょ ぼんぼりに お花をあげましょももの花 五人ばやしの笛太鼓 今日はたのしいひな祭り 2.おだいりさまと おひなさま 二人ならんで すましがお お嫁にいらした ねえさまに よく似たかんじょの白いかお ※ お内裏さまとは、勿論、天皇・皇后をかたどった男女一対の雛人形を言う。 「お内裏さまとお雛さま、二人並んで」は、明らかに誤りである。 ※ 教證院釈巌念祥月命日 二月の終わり、NHKラジオから藤山一郎の歌が流れた。聞いていると、あゝこの歌はかつて父から教わったものだと、思い出した。「男の純情」だった。次第に当時の記憶が甦った。夕食がすみ、父と少し離れた銭湯に通う道すがら、退屈まぎれにどちらともなく歌いだした。やがて、それぞれの得意な歌を教え合う。 わたしが父に教えたのは、「知床旅情」だった。父は、この曲がいたく気に入り、熱心に私にレクチャーを求めた。やがて「知床旅情」をものにした父は、飲みに行くと必ずこの曲を歌ったらしい。流しのギターが好きだった父は、よくギターの伴奏で歌ったようだ。以来父は、飲み屋さんで、「知床の○○さん」と呼ばれるようになった。 ステレオのオーディオセットで、レコードをリピートにセットして、何度も繰り返し同じ曲を聞いた。レコード針も何度か替えた。そんな時代…、自分で今思い起こしても、まるで大昔のような気がする。音楽ソフトは、ダウンロードが主流になりつつある今日、カラオケすら無かった、“いにしえ”の遥かに遠い時代の、お話。 その昔、父に習ひし歌謡曲 そを思い出させしラヂオ深夜便 加藤登紀子「知床旅情」
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お父上の御霊安からんことを祈ります。 さて、次は雑な事を申しますが、我が家では「雛かざり」はご法度なんです。十何匹の猫がいる家で、これがどうなりますか。関西弁でいえば、「もう、わやですわ」でしょうね。
2007/3/6(火) 午前 6:16 [ kaz*_51** ]