今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成19年3月10日(土)昨夕:自民党紀委員会、異例の表決、10対7の小差で承認。
 郵政造反落選組の衛藤晟一(せいいち)の復党決定。毒を喰らわば、皿までも。
 今夏の参院選を、より一層のショーアップすべく、仲良しクラブの安倍総理。

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 3月10日は、東京大空襲記念日です。

 東京大空襲:1945(昭和20)年3月10日深夜0時8分東京、アメリカ軍B29爆撃機344機来襲。無差別の焼夷弾爆撃。死者約10万人。焼失家屋約27万戸。本大戦最大の被害。米国による、明確なる戦争犯罪、「平和に対する」罪過であった。

 太平洋戦争中、米軍の東京への空襲は1942年4月に始まったが、1944年末からは間断なく来襲。1945年3月10日未明、襲来したB29の大編隊は無差別攻撃により大量に爆弾・焼夷弾を投下。発生した火災は半時間足らずで下町地区全域に及び、焼失家屋27万戸、死者10万人の被害を生じた。4月13〜14日には東京西部地域、5月24日には山の手地域、3次の大空襲によって東京の半分が焼け野原となり、300万人以上が罹災した。


 ○ 東京大空襲の概要 3月10日

 昭和20年3月9日、22:30、警戒警報発令、2機のB29が東京上空に飛来、房総沖に退去したと見せかけ、都民が安心した10日、00:08、第1弾が投下された。東部軍管区司令部は気付かず空襲警報の発令もなかった。(B29:米軍の大型爆撃機。戦後、かんしゃく玉をB29と称した)

 00:15、空襲警報発令。それから約2時間半にわたり波状絨毯(じゅうたん)爆撃が行われた。各機平均6トン以上の焼夷弾を搭載した344機のB29の大編隊が、房総半島沖合から単機または数機に分散して低高度で東京の下町に浸入。

 都民の虚をついて来襲したB29の大編隊は、低空からアルミの細片をばら撒き日本軍の電波探知機を無能化し、機体を捉えたサーチライトには機銃掃射を浴びせかけた。

 B29の先発部隊が、江東区・墨田区・台東区にまたがる40キロ平米の周囲に、ナパーム製の高性能焼夷弾を投下して火の壁を作り、住民を猛火の中に閉じ込めて退路を断った。

 その後、約100万発(2000トン)もの油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾やエレクトロン(高温・発火式)焼夷弾が投下され、逃げ惑う市民には超低空のB29から機銃掃射が浴びせられた。

 折から風速30メートルの強風が吹き荒れ、火勢を一層激しくして、火の玉のような火の粉が舞い上り、強風に捲かれた炎は川面を舐めるように駆け抜け、戦争行為とは無関係な一般市民は次第にせばまってくる火の壁の中を逃げまどいながら、やがて性別も判らない程に焼かれ、ひと塊の炭と化してゆく。


 この日は、【陸軍記念日】であった。

 1905年3月1日から10日にかけて行われた、日露戦争最後の会戦・奉天会戦の戦勝を記念したもの。米軍は、日本人の精神的支柱をもターゲットにした。



 東京大空襲被害者への鎮魂の碑「母子像・時忘れじの塔」除幕式(上野公園、2005年3月)

 60年前の東京大空襲の惨劇の記憶を後世に伝えようとエッセイスト海老名香葉子さん(71)が建立に取り組んできた二つの記念碑が9日、台東区の上野の山に完成した。慰霊碑「哀しみの東京大空襲」は寛永寺現龍院の敷地に、母子像「時忘れじの塔」は上野公園「いこいの広場」に建てられ、それぞれ除幕式が行われた。千人ほどの参加者は「二度と戦争を起こさない」と思いを新たにした。

 上野の山は犠牲者の遺体が仮埋葬された場所。海老名さんの訴えに、上野公園を管理する都が「時計塔なら」と提案、海老名さんの寄贈で母子像「時忘れじの塔」の設置が実現。母子像はアニメーション作家の有原誠治さんがデザイン、幼い日の海老名さんと母がモチーフ。


 東京大空襲から60年、10万人の犠牲者を追悼(2005年3月)

 約10万人が亡くなったとされる東京大空襲から60年となった10日、犠牲者を追悼する集会が都内各地で開かれ、この日を「平和の日」としている東京都は、豊島区内で「東京都平和の日記念式典」を開催。式典には、大空襲の被災者や遺族、区内の小中学生ら約2000人が参加。

 石原慎太郎知事は「大空襲で犠牲となった方々のことを思うとき、痛惜の念ここに極まる。ご遺族に追悼の意を表する。恒久平和を実現するため世界の人と相互理解をいっそう深めなければならない」と述べた。大空襲で家族6人を亡くした中根喜三郎さん(73)が遺族代表として「戦争は恐ろしいもの。体験を話すのはつらいが、戦争を知らない世代に人の命の大切さを知ってもらいたい」と挨拶した。
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 ○ 「東京大空襲」は明らかに「戦争犯罪」だった」

 「もし、われわれが負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸い、私は勝者の方に属していた」 。東京の下町を焦土と化した大空襲の指揮をとったカーチス・ルメイ米司令官が、後年語った言葉。

 東京大空襲は、初めから一般市民を目標とした大量虐殺作戦だった。明確な国際法違反だ。軍事関連施設に目標を絞った爆撃で戦果を上げることができなかった米軍は、焼夷弾を使って市街地を焼き払い日本国民の戦意をそぐ作戦に転じていた。

 約10万人の生命が奪われ、犠牲者数は欧州最大規模の英米によるドイツ・ドレスデン爆撃を上回る。 東京大空襲で「戦果」をあげた米軍は、3月12日に名古屋、13.14日には大阪へと、軍民無差別爆撃の対象を広げて行く。終戦までに150前後の都市が空襲され犠牲者は50万人に上った。東京大空襲を戦争犯罪と認めているのは、ルメイ将軍だけではない。

 「ルメイも私も戦争犯罪を行ったのだ。もし負けていればだ…」。ベトナム戦争に介入した責任者の一人・マクナマラ元国防長官が、こう述べている。 マクナマラは当時、ルメイ将軍の下の中佐として効率的な焼夷弾爆撃の作戦計画の作成に手腕を振るった。

 1992年、ドレスデン爆撃を指揮したアーサー・ハリス将軍の銅像がロンドンの中心部に建てられた際、ドイツ政府は強く抗議した。 日本政府は1964年、ルメイ将軍に勲一等旭日大綬章を贈っている。航空自衛隊の育成に協力した、という理由だった。 時の総理大臣は、佐藤栄作氏であった。その功あってか、氏は1974年にノーベル平和賞を
受賞しています。


 東京大空襲招き、被害を放置、112人が国に賠償提訴 東京地裁 2007.03.09

 東京大空襲の被災者や遺族ら計112人が9日、国に総額約12億円の損害賠償と謝罪を求める訴訟を東京地裁に起こした。空襲被害をめぐる集団訴訟は初めて。

 原告は20都道府県の57〜88歳(遺族含む)で、平均74歳。1人当たりの請求額は1100万円。大空襲から62年となる10日が土曜日のため、前日の提訴になった。

 訴状によると、原告は国が戦争を開始したり、終結を遅延させたりした結果、空襲を招いたと主張。その後、被害者を救済せずに放置し、現在も深刻なPTSD(心的外傷後ストレス障害)になっているとする。

 特に、旧日本軍が1938年から1943年まで実施した中国・重慶への無差別爆撃が、米軍に東京大空襲の口実を与えたと指摘する。

 またドイツやイタリアなどで、軍人・軍属と民間人が区別なく補償を受けている例を挙げ、軍人・軍属とその遺族に手厚い国の補償は「不平等で違憲」と強調している。


 ※ 江戸東京博物館には、カメラマン・石川光陽さんの大空襲直後の街の光景を撮影した写真が展示されています。GHQの命令に背いて、自宅の庭に埋めて守り抜いたものです。

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