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◇ オープン戦 <中日2 vs 4楽天> ナゴヤドーム 勝投手:谷中1試合1勝 セーブ:福盛1試合1S 敗投手:山本昌2試合1敗 本塁打:山崎武1号(1)(山本昌) いくらオープン戦とは言え、川上、山本昌が投げて、楽天に遅れをとるなんて、 情けない。だけど、山崎がHRを打ったのは許せます。一度は引退を覚悟した男が 楽天に拾われて(失礼)、大いに気を吐いているのは、見ていて気持ちがいい。 ○ 石井桃子、百歳万歳 1907年(明治40年)3月10日、埼玉県浦和生まれ。1928年、日本女子大英文科卒。 文芸春秋社を経て、1934年、新潮社で山本有三と「日本少国民文庫全16巻」の 編集と翻訳をする。(〜1936) 戦時中、友人と白林少年館をおこして『たのしい川辺』(中野好夫訳)、 『ドリトル先生「アフリカ行き」』(井伏鱒二訳)を出版する。 1940年12月、ミルンの「くまのプーさん」を翻訳出版する。 1945年、宮城県栗原郡で友人と開墾・農業を始める。そこで、小学生に本の 読み聞かせを始め、1958年の「かつら文庫」発足につながっていきます。 (かつら文庫:東京荻窪の自宅を開放し、小さな図書室を開きました。) 1950年、岩波書店の嘱託となり、「岩波少年文庫」「岩波の子どもの本」の 企画編集に携わる(〜1954)。以来、東京と東北を往復する生活が始まる。 1951年、長編童話『ノンちゃん雲に乗る』で第1回文部大臣賞受賞。 1953年、日本の児童文学の発展に尽くしたことにより菊池寛賞を受けます。 1954年、ロックフェラー財団の奨学金を受け、アメリカ、カナダ、ヨーロッパへ研修。 1984年、第1回子ども文庫功労賞を受賞。 1987年、80歳になって初めて書いた大人向けの小説「幻の朱い実」(岩波書店) (第46回、読売文学賞受賞) 1996年、「石井桃子奨学研修助成金」を開設、子どもと本の世界で働く人を援助。 『石井桃子集』全7巻(岩波書店) 戦後児童文学の草創期から今日まで、第一人者として大きな足跡を残した著者の初めての 著作集。戦後すぐベストセラーになった「ノンちゃん雲に乗る」や、新境地を開いた 「幼ものがたり」ほか、初のエッセイ集も編集し,〈子どもの本〉とともに歩んだ50年の 軌跡をたどる。第1〜6巻に解説,第7巻に自筆年譜・著作リスト(翻訳を含む)を付す。 ※ 良い種をまけば、良い芽がでます。悪い種を蒔けば、悪い芽がでます。 私たちの行動の結果は、やはり私たちが引き受けねばなりません。子供たちが 荒れています。私たち大人は、子供らに一体なにを与え、なにを奪って来たの でしょう。 いち日一日を、無我夢中で頑張れば頑張るほど、ゆとりの無い、無味乾燥な 社会を作っている、そんな風に考えるのは、夢想家なのでしょうか。 ◇ 石井桃子さん、101歳で大往生(2008年4月2日) 葬儀は故人の遺志で行われず、後日、「お別れの会」が東京都中野区の東京子ども図書館で開かれる予定。今年1月末の朝日賞の贈呈式には車椅子で出席、「朝日賞をいただいた人間ですといってこの世を去るよりも、六つ七つの星に美しく頭の上を飾られて次の世の中に行きたいと思っています」とスピーチをした。 昨春、百歳になった石井さんはインタビューで、脳の発達と子どもの本とのつながりについてさらに深めたいと話していたが、「あの続き、もう考えられなくなったの」と、贈呈式の控えの間で休みながら、いかにも残念そうに語ったと言う。人生の最後の瞬間まで現役の児童文学者だった。
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石井桃子さんは、日本女子大の大先輩です。もっとも私は通信教育で卒業した者ですが。その当時はあまり児童文学に興味がありませんでしたが、『ノンちゃん雲に乗る』は楽しくよみました。「良い種をまけば、良い芽がでます」これは含蓄のある、いいお言葉ですね。
2007/3/12(月) 午前 8:15 [ kaz*_51** ]