今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成19年3月18日(日)昨日:与党陣営からも批判の声、松岡農相の光熱水費問題。
 光あれ!空しく響く政治かな。若人らの熱意を冷ます政治屋は、悪事万般水に流して。



 1871年3月18日、パリ市民が蜂起。パリ・コミューンの発端。

 3月18日、アルザスとロレーヌとを割譲する事に怒ったパリ市民が武装蜂起。首相ティエール
は蜂起したパリ市民の武装解除を図るが失敗。この10日後にパリ・コミューン(社会主義共和国
政府)の成立を宣言。しかし、結末は無残なものとなる。


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 パリ・コミューン(仏Commune de Paris/英Paris Commune)とは、1871年3月26日に
パリで民衆が蜂起して誕生した革命政府。世界初の労働者階級の自治による民主国家と
評される。社会主義的な政策も打ち出し、短命ながらパリ・コミューンの誕生は後世の
社会主義・共産主義の運動にも大きな影響を与えた。


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 ○ ルイ=アドルフ・ティエール(Louis Adolphe Thiers、1797年〜1877年)

 フランス共和国の政治家(首相在任:ルイ・フィリップの七月王政期の1836年〜1840年)
             (大統領在任:フランス第三共和政期の1871年−1873年)

 マルセイユ出身。パリに出て自由主義に傾倒し、1814年の王政復古で成立したブルボン朝の
独裁的な政治を批判し、『フランス革命史』という著作を著わし、一躍国民から名声を得た。
1830年、七月革命でシャルル10世が追放されてブルボン朝が滅亡した後、オルレアン朝のルイ
・フィリップを擁立して自身は財務次官、内相、更に首相となって活躍。しかし、フランソワ
・ピエール・ギヨーム・ギゾーとは対立し、これが後に七月王政が倒れる一因を成す。

 1848年、二月革命でオルレアン朝が滅んだ後、フランスの秩序回復を目的としてナポレオン
3世(ルイ・ナポレオン)を支持。彼のもとで活躍したが、まもなく対立し、1851年に起きた
ナポレオン3世のクーデターでフランスから追放される。

 1852年、ナポレオン3世から帰国を許される。帰国後はナポレオン3世から何度も補佐役と
しての要請を受けるも辞退し、歴史書著作に専念する。

 1869年から政界に復帰し、翌年2月の普仏戦争の只中に、ボルドー国民議会から行政長官に
任じられた。そして普仏戦争でナポレオン3世がプロイセンに敗れて退位を余儀なくされた後、
新たに成立した国防政府の代表となり、プロイセンとの徹底抗戦を主張する一方でプロイセンの
首相・ビスマルクとの和平工作に尽力し、アルザス、ロレーヌの2州をドイツに割譲することで
和睦を結んだ。

 その後、第三共和政期の初代大統領に選ばれたが、アルザスとロレーヌを割譲した事に怒った
パリ市民によりパリ・コミューンが創設されるや、ティエールは一時的に政府をヴェルサイユに
移してこれと戦い制圧。この戦いで、セーヌ川は赤く染まったと言われる。

 ティエールは大統領として、戦争で荒廃したフランスの復興を目指したが、政府内で王党派と
急進的共和派の対立が深刻で彼自身は政治を行なえず、1873年の国民議会の議決で、大統領辞任
を余儀なくされた。1877年、81歳で没す。主著に『執政政府と第一帝政の歴史』がある。

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フランスの革命については、まあ無知に等しいのですが、辻邦生著『フーシェ革命暦』は大変面白く、かつ勉強にもなちました。パリー祭を日本でもまねている処がありますが、あれも革命に由来するものでないでしょうか。

2007/3/18(日) 午前 10:19 [ kaz*_51** ]


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