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平成19年3月29日(木)昨日:「朝ズバッ!」が不二家報道で捏造疑惑…TBSは否定。 1月、不二家が賞味期限切れのチョコレートを回収して工場で溶かし、再出荷していたと 報道。不二家が「事実と異なる部分がある」と説明を求めていた。TBS側は「視聴者が 誤解する可能性はあった」としながらも「断じて捏造はなかった」と主張。 みの氏は不二家報道の翌日の番組冒頭で、不二家について「もうはっきり言って廃業して もらいたい」と言い放った。TBSは「『廃業を覚悟して不退転で臨んでください』という 励ましの発言だったのでは」と弁解。 不二家の「信頼回復対策会議」の郷原信郎議長は、「マスコミで報道されてきた不二家の 不祥事について、ずっと調査してきたが朝ズバッの報道はとび抜けてとんでもない。事実、 ないことを確認している」 1973年3月29日、ニクソン大統領がベトナム終戦を宣言。 米軍駆逐艦が、北ベトナム軍の哨戒艇により魚雷攻撃を受けたとする、トンキン湾事件が ベトナム戦争の発端だったが、それは米軍の謀略であったことが後に判明。当時の米国は、 「共産化のドミノ現象」と言うばかげた幻想にとりつかれ、南ベトナムを「共産化の防波堤」 として死守せんがために軍事介入したもの。米国の幻想は、5万8000人の米兵死者と300万人 とも言われるベトナム人の犠牲により終焉する。 ○ トンキン湾事件(Gulf of Tonkin Incident) 1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で、北ベトナム軍の哨戒艇がアメリカ軍駆逐艦に 2発の魚雷を発射したとされる事件。これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争 に突入、北爆を開始した。アメリカ議会は、上院で88対2、下院で416対0で大統領決議を 支持した。 しかし1971年6月、ニューヨーク・タイムズのニール・シーハン記者が、7000ページに 及ぶペンタゴン・ペーパーズと呼ばれる機密文書を入手し、トンキン湾事件はアメリカが 仕組んだものだったことを暴露したのだ。 ※ 同様の謀略がブッシュ・ジュニア政権で行われ、フセイン政権は崩壊した。そして イラクは今日、サダムの頃よりも酷い殺戮の街と化している。何のための謀略だったのか 今や、それすら判然とせず、自爆テロの死屍累々の悲劇が、無為に繰り返されるのみ。 ◇ ベトナム戦争概略 1964.08.02 トンキン湾事件発生。 当時のジョンソン大統領自身、攻撃の有無に疑問をもっていたようだ。国防長官として 指揮したマクナマラが「あの戦争は完全に間違いだった」と悔いている事もよく知られる。 ちなみに当時、日本は池田内閣で、防衛庁長官は小泉首相の父、純也氏だった。 1965.02.07 ベトナム戦争で米国が北爆を開始。 1967.02.06 米軍がベトナム戦争で枯れ葉剤作戦を開始(今日なお禍根を留める)。 1968.10.31 北爆全面停止を発表。 ベトナム戦争で劣勢なジョンソン大統領がテレビ演説、北ベトナムに対する爆撃、地上 砲撃を11月1日午前8時から停止するよう命じたと発表。翌週のパリ和平会談に南北代表 が出席すると述べた。しかし、南ベトナム政府は、出席拒否の声明を出す。 1973.03.29 ニクソン大統領がベトナム終戦を宣言。 ◇ 米国史上初の敗北、ベトナム戦 南北間の戦闘が続く中、米軍は撤退を完了した。「一週間でベトナムを原始時代に戻して やる」と言う野蛮な言葉で始まったベトナム戦争。咽喉もと過ぎれば、で米国は同様の事を イラクで繰り返した。何れの戦いも米国の傲慢さを際立たせた。 相手国とその国民に対する、根源的差別観(換言すれば白人至上主義)が、彼らの判断に 付いてまわる。アメリカ人は気のおけぬ楽しい人々だが、USAは吐き気のする国家でしか ない。(おそらく日本もアジアの国々から、同様の表現をされるのだろうけれど…) ブッシュとラムズフェルドとは多くのイラク市民を殺戮して、それを「解放」と称した。
一度も空爆を受けたことのない国は、殺される者が人間であることを失念するかの如し。 |

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