今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成19年4月7日(土)番号ポータビリティー:KDDIのauが圧勝。SBは苦戦。

 業界2位KDDIのauが最大手のNTTドコモを大きく引き離して4年連続の首位。
若者に人気の音楽機能を高め、昨秋導入の番号ポータビリティーに伴う顧客争奪戦を
優位に進め、好調な結果に結びついた。



 1945年4月7日、戦艦「大和」が九州南方海上で撃沈。

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 昭和16年12月8日、太平洋戦争勃発。その8日後、大和は洋上に姿を現す。
12月8日、日本軍はハワイ真珠湾を攻撃、戦力で劣る日本は、あらかじめ少し
でも損害を与えておこうとした。結果、アメリカ海軍は壊滅。それは航空機は
戦艦を沈めることはできないと言われた開戦前の常識を、根底から覆す衝撃的
な出来事だった。

「真珠湾を忘れるな」それがアメリカの合言葉になった。今後の戦争の主役は
航空戦力だと悟ったアメリカは、戦艦重視だったこれまでの戦略を完全に転換
し、空母の大増産に乗り出した。大型、中型、小型を含め1週間に1隻空母が
進水するという、空前絶後の生産速度だった。

 真珠湾で、航空機の威力を実証したのにかかわらず、日本海軍は、戦艦こそ
が海の王者であると言う古い発想を捨てきれず、昭和17年に、大和級の武蔵の
建造も進められつつあった。

 昭和17年5月、大和初の出撃。ミッドウエー島攻略作戦である。日本軍機動
部隊は、空母4隻、戦艦2隻、一方アメリカ軍は、空母3隻、戦艦はゼロ。更
に日本軍は、機動部隊の後方に、大和以下の質量ともに、圧倒的優勢な戦力を
擁していた。しかし、日本軍の作戦は、暗号を解読され、アメリカ軍に筒抜け
になっていた。6月5日午前4時、アメリカ軍空母から151機の攻撃機が発進
前方に突出していた日本軍機動部隊を狙う。不意打ちを受けた機動部隊は混乱
に陥る。

 空母4隻が沈没、日本海軍は全滅に等しい損害を受け、大和は無力だった。
戦場の遥か後方にあっては、46センチ砲を使うことなく、空母や航空機には
追いつけず、敵と戦わずして引き返すしかなかった。日本海軍は、急遽空母の
増産に乗り出したが、当時の日本の生産能力は、米国の1/10に過ぎなかった。

 昭和19年6月、ついに大和に出撃の時がきた。マリアナ沖海戦である。日本
軍の兵力は、空母9隻、戦艦5隻、艦載機439機、一方アメリカは空母15隻
戦艦7隻、艦載機896機、両者の間には倍近い差がついていた。

 さらにアメリカは、新式のレーダーや対空砲火を備え、質でも日本軍を凌駕
していた。大和は、アメリカ軍航空機に対し、46センチ砲を放って応戦したが
ほとんど戦果をあげることができなかった。マリアナ沖海戦で、日本軍は空母
3隻、艦載機400機余を喪失、航空部隊は二度と立ち上がれない打撃を受け
る。大和は、またも空しく引き上げるしかなかった。

 作家・半藤一利は、「艦隊と主砲を相手より大きくして、優勢を保つという
考え方は、日露戦争の日本海海戦を想定したものだ。3番艦・信濃を戦艦から
空母に変えたが、遅きに失した」と言う。追い詰められた日本軍は悲劇的とも
いえる作戦を発令する。

 昭和19年10月、アメリカ軍はフィリピンのレイテ島に上陸。陸軍部隊を支援
する戦力は、艦船700隻、航空機1000機に及んだ。敵輸送船団を撃滅せよと
の命を受けて、出撃した日本海軍の主力は、大和、武蔵を含む第2艦隊、その
上空を護る航空機の姿はなかった。日本戦艦部隊の頭上に、アメリカ軍航空機
部隊が襲いかかる。大和と同型艦の武蔵は、魚雷20本を受けてついに沈没。
艦長は、「申し訳なきは、対空射撃の威力を十分発揮しえざりしこと」と書き
残し武蔵と運命を共にした。大和は前進を続け、46センチ砲が火を噴いて、
アメリカ空母1隻を撃沈する。第2艦隊は、出撃した艦船の半数以上を喪失、
レイテ沖海戦で、日本海軍は事実上壊滅した。

 昭和20年4月1日、アメリカ軍は沖縄に上陸、支援兵力は、艦船1500隻以上
航空機1700機あまり。4月5日「天1号作戦」を発令、徳山沖に待機中の大和
に出撃命令が下る。目的地は沖縄。作戦は、片道分の燃料を積んで特攻、自ら
浅瀬に乗り上げて動かぬ砲台となり、敵の陸上部隊を砲撃するものだった。

 司令官は反対したものの、連合艦隊司令部の「一億特攻のさきがけとなれ」
の言葉で承諾。4月6日午後4時、戦艦大和は出撃。その最期は、22時間後に
迫っていた。(日本軍の戦い方は、極めて官僚的であった。)

 沖縄を目指す大和は、豊後水道に達しようとしていた。午後6時、乗組員は
甲板に集められた。そして、初めてこの作戦は生還を期さない特攻である事を
知らされた。

 乗組員「みんなの顔色が変わりました。真っ青でしたよ。それが、まもなく
真っ赤に変わった。よしやるんだ帰らないんだと、体に伝わったと思います」
乗組員「特攻で死んでいく事を名誉の戦死と言いましたよね。それを美学だと
さえ当時は思っていたんです。でないと17歳で特攻にはいけないと思います」

 明くる4月7日早朝、大和を察知したアメリカ軍は、空母部隊に迎撃命令、
その兵力は、新鋭空母12隻、艦載機およそ800機、大和の護衛機はなかった。


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 現存する「大和戦闘詳報」と生存者の証言から、大和が如何にして戦い、
如何にして無念の(無意味なる)最期を遂げたかが知られる。


[12:32] 敵機100機が、雲間から出現、急降下爆撃を開始。
[12:45] 米軍の魚雷が1本、左舷に命中。射撃を目測に頼る対空砲火は、厚い
    雲に阻まれて、大和は主砲を使うことができない。
[13:34] 米軍の雷撃機が、左50度から6本の魚雷を投下、3本命中。
[13:44] さらに2本が左舷に命中、大和は左に傾くが、注排水システムが作動
    平衡を取り戻す。米軍の魚雷は殆ど、大和の左舷ばかりを狙った。大
    和の注排水システムは、やがて限界に達した。その直後、3本の魚雷
    が大和に命中。傾いた大和は再びバランスを取り戻すこと能わず。
[14:17] またも魚雷が左舷中央部に命中、大和は傾斜が大きくなる。長官は、
    特攻作戦中止命令を下し、長官室に入って内側から鍵をかけた。
[14:22] 大和横転、大爆発を起こす。沈没により落命した乗組員3000人以上。


 作家・半藤一利は「日本海軍は大和特攻が全滅に近いことになって、海軍と
して、はじめて終戦ということを考えたんですね。まだ徹底抗戦派は居たが。
大和は大鑑巨砲主義による洋上決戦のための船であり、時代が変わってるんだ
という事を見通せなかった、そのための悲劇の船だったと言えます」と語る。

 吉田満の述懐「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが
最上の道だ。日本は進歩ということを軽んじすぎた。私的な潔癖や徳義に
こだわって、真の進歩を忘れていた。敗れて目覚める。それ以外に、どう
して日本は救われるか。今、目覚めずしていつ救われるか。俺たちはその
先導になるのだ。日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じゃないか。」



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 ※ さる戦争経験者の述懐:あれほどの馬鹿げた戦争で、我々が唯一得たものは
   平和憲法だ。今、政府はそれを骨抜きにしようと画策する。九条の無力化を
   周到に準備している。今や平和憲法は、その形骸を残すのみとなった。
   あの時の、戦友らの無意味なる死が、さらに貶められている。

   今、生きている我らの、平和を守り抜く覚悟こそ、戦死者への最大の手向け。



 ○ 元大和乗組員・吉田満の著作「戦艦大和の最期」の、締めの言葉

 徳之島の西方二十哩(マイル)の洋上、「大和」轟沈して巨体四裂す。
水深四百三十メートル、今なお埋没する三千の骸(むくろ)
彼ら終焉の胸中、果たして如何。


 ※ 戦艦「大和」の最期のありようは、わが国の技術の優秀さと
   官僚主義的戦略の陳腐、愚昧を遺憾なく現すものだった。
   今日の日本に、その残滓の無からん事を願うのみ。


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