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平成19年4月15日(日)昨日:上位3チーム揃って敗れ、中日の単独首位は首の皮一枚でキープ。 開幕の勢い何処へやら、先発陣の不調、守護神岩瀬の一時離脱、打線の絶不調、好材料なし。 4月15日は、レオナルド・ダ・ビンチの誕生日です。(【ヘリコプターの日】) ヘリコプターの原理を考案したレオナルド・ダ・ビンチの誕生日(1452年4月15日)にちなみ、 全日本航空事業連合会が1986年(昭和61年)に制定しました。 Air Screw(ヘリコプター) ダ・ヴィンチは空を飛ぶための数々のアイデアを残しています。Air Screwもその一つで、 螺旋状の羽を回転させ空気を下に押しやり、飛行するというもので、現代のヘリコプターの 原型として、ダ・ヴィンチの誕生日4月15日がヘリコプターの日となっています。 ○ レオナルド・ダ・ビンチ(Leonardo da Vinci)(1452〜1519) フィレンツェの近くのビンチ村で公証人の子として生まれ、村の名前にちなみビンチ村の レオナルドと言うことで、“レオナルド・ダ・ビンチ”と呼ばれる。 10代半ば、フィレンツェに出てアンドレア・デル・ヴェロッキオのアトリエで美術修行し その後、独立。独立後は絵画に限らず、兵器デザインから建築・土木などの幅広い分野で、 活躍し天才の名を欲しいままにする。 ヴェロッキオは試みに、大作の一部に天使の画をダ・ビンチに書かせますが、その余りの 見事さに驚嘆し、以後は二度と絵筆をとらず、自身は彫刻に専念したとか。 彼の墓は、その後の戦乱で暴かれてしまう。当時の棺は鉛で出来ていたため銃弾の材料に されたという。遺骨は共同墓地へ合葬され、現在では不明。 ◇ 晩年のレオナルド 1502年、建築家であり軍事技術者でもあるチェーザレ・ボルジアに雇われ、法王軍の 軍事総監督として、ボルジアやマキャベリと共に、ロマーニャ地方を渉猟する。 1504年、「モナリザ」を描き始め、その後、ルイ12世に雇われ宮廷画家となります。 フランチェスコ・メルツィを養子にする。 その後、ジュリアーノ・ディ・メディチの庇護の下、ヴァチカンのベルヴェデーレ 宮殿に3年ほど寓居するが、メディチの没後はメルツィを伴いローマからフランスへ 移り、フランソワ1世の庇護を受けて余生を終わる。 1519年4月23日、クルー城で「死の確実なことと、その時期の到来が不明なため」 遺言を口述し、5月2日に逝去。 美術にとどまらず、天文学、物理学、地理学、水利学、土木学、機械学、造兵学 など、自然科学のあらゆる方面に、その才能を示し、解剖学の研究により人体の各 器官の働きや、心臓の作用、血液循環の原理を追及。ルネサンス期の人々が理想と した「万能人」の典型とされた。 ※ 今日、これほどの才能があれば、間違いなく巨万の富を手中にしたと思われるが、 レオナルドの晩年はパトロンの庇護の下、つつましく終わる。 映画スターのディカプリオは、母の胎内にある時、ダ・ヴィンチの絵を鑑賞している
母のお腹を蹴ったので、「レオナルド」と名付けられたとか。 |

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