今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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4月18日、鎮花祭

 平成19年4月18日(水):狙撃された長崎市長・伊藤一長(61)、大量出血で死亡。

 同市長は18日午前2時28分、大量出血のため死亡。現行犯逮捕された暴力団山口組、水心会会長代行・城尾哲弥容疑者(59)の家宅捜索を始めた。



 4月18日は、「鎮花祭(はなしずめのまつり)」です。

 奈良・桜井市の大神(おおみわ)神社で行われる疫病を鎮める祭。
 神饌として、薬草の百合根や忍冬(すいかずら)が奉納される。
 国家の大祭として毎年、執り行うよう「大宝令」で定められ、
 『新拾遺和歌集』にもその名が登場するなど、由緒をもつもの。

 奈良の大神神社と、狭井(さい)神社の祭礼だったものが、多くの神社に
 ひろまった。本来、旧暦3月18日だが、今では月遅れの4月18日、第2
 日曜だったりします。

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 ◇ 大神神社(おおみわじんじゃ )
 住所: 〒633-8538 奈良県桜井市三輪1422

 概要:大和盆地の東南に位置する円錐形の三輪山を御神体として、大物主神
 (大国主神の和魂・にぎみたま)を祀る日本最古の神社。

 寛文4年(1664年)、徳川家綱によって造替された拝殿(重要文化財)奥には、三輪鳥居とも呼ばれる三ツ鳥居(重要文化財)があり、この鳥居を通して御神体の三輪山を拝するという古い祭祀形態を残している。国造りの神様として、また霊的なモノ一切を支配する神として、農業、工業、商業すべての産業開発、方除、治病、造酒、製薬、禁厭(まじない)、交通安全、航海安全、縁結び等生活全般に利益。

 ◇ 荒魂と和魂

 神の御魂には、「荒魂」(あらみたま)としての働きと、「和魂」(にぎみたま)と言う働きがあると考えられています。荒魂とは神の荒ぶる魂であり、天変地異を引起こし伝染病を流行らせ、人心を荒廃させて戦争へと駆り立てるもの。

 これに対して、和魂とは優美で穏やかな魂を指し、人間に自然の恵みをふんだんに与え、社会を平和に導くもの。和魂には「幸魂」(さきみたま)と「奇魂」(くしみたま)と言う二種の作用があるとされ、幸魂は狩りや漁の収穫をもたらすものであり、奇魂とは人間に不思議な奇跡をもたらすものとされています。

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 ○ 鎮花祭(はなしずめのまつり、ちんかさい)

 くすりまつりともいい、疫病除け、医薬業の安全を祈る祭として、大神神社(本社)と摂社・狭井神社の両社で斎行されている。令の官撰注釈書である『令義解(りょうのぎげ)』には「李春 鎮花祭 謂ふ、大神、狭井の二祭なり。春花飛散する時に在りて、疫神分散して癘(れい)を行ふ。その鎮遏(ちんあつ)のために、必ず此の祭あり。故に鎮花といふなり」と記す。

 癘(れい)とは疫病・流行病のこと。また私撰の注釈書『令集解(りょうのしゅうげ)』の中に、祝部(はふりべ)が神祇官の幣帛を請い受けて来て行う祭りとあり、公の祭りとして律令に定められた重要な祭典であった。(幣帛=へいはく、みてぐら:神に奉るものの総称、多くは布地。)

 この祭りの起源は記紀伝承にある。『古事記』によれば、崇神天皇の御世に疫病が流行、人民の多くが亡くなった。天皇は愁い嘆きて、床についた時、夢に大物主大神が顕れて、「その疫病が流行るのは我が御心である。意富多多泥古(おほたたねこ)に私を祭らせれば国は安らかになるであろう」といわれ、河内の美努(みぬの)村にその人を探し出し、神主として御諸(みもろ)山の大神を斎(いつ)き祭り、国は平安になったと伝える。

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 狭井神社は「花鎮(けちん)社」「しずめ宮」とも呼ばれるが、『延喜式』には「狭井坐大神荒魂(さゐにいますおほみわのあらみたま)神社」と見え、大物主大神の荒魂をお祀りし、現在でも病気平癒の神社として信仰が篤い。 古くは三月晦日に斎行され、明治6年からは旧暦3月18日となり、現在は4月18日午前10時半から本社、引きつづき狭井神社で医薬業者参集のもと、執り行われている。

 この日は医薬品の献納が多く、本社御棚(みたな)、狭井神社神前に奉られる。同時に、薬草忍冬(すいかづら)・ヒカゲノカヅラを添えた「疫病除御幣」(鎮花御幣)という紅白の御幣が立てられ、祭典後に、参列者に投与されている。

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 ○ 京都の今宮神社の「やすらい祭・やすらい踊り」

 摂社疫神社の祭礼で、「夜須礼祭(やすらいまつり)」「安良居祭(やすらいまつり)」ともいって歴史的に由緒深く、また民俗芸能上も重要な祭(民俗無形文化財指定)であり、太秦の牛祭、鞍馬の火祭とともに「京の三奇祭」の一つとされてきた。また、この祭は京の祭のさきがけをなす祭であり、この日が晴(雨)だとその年の京の祭はすべて晴(雨)と云い伝えられる。

 「やすらい祭」は往古、三輪大神など疫神を鎮めるために営まれていた神祇官「鎮花祭」と後に疫癘を攘うために営まれた「御霊会」とが結びついた民衆の中から生れた「花のまつり」です。 その昔、疫病とは春の花の飛び交う頃に、疫神が分散して病を与え人を悩ますと信じられ、これを鎮めるため、奈良朝の頃から花時に鎮花(はなしずめ)の祭儀を行っていた。

 一方、人々は疫病除けの神として疫神を祀り、これを崇めて、これに詣でて鎮疫安穏を祈願するのが習わしであり、平安建都以前から素盞鳴(すさのお)尊を祀った疫社(えやみ)があったという。「紫野御霊会(むらさきのごりょうえ)」が修せられるようになった頃を契機として、鎮花祭の儀式に擬した形で風流を凝らし、歌舞することにより疫神を浮かれさせて厄疫を鎮め、あわせて意気消沈した人たちの心を引き立たそうとする祭として盛んに行われ
るようになりました。

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 ◇ やすらい踊り (安楽花の祭)

 祭礼当日の午前、神社では櫻椿を御幣に添えたものを本殿三座と摂社に供し、八つの饌(みやけ)(「八ッ膳」)という楕円形の赤飯を折敷に盛って西ノ座の「八神」に供える。午後になると近郊の各町々の人たちが夫々の町の堂(光念寺)などに集まり「練り衆」を整えて街々を練りながら今宮神社に向かう。

 午後三時頃神社に詣で、疫社殿、本殿の前で御幣を捧げ鎮疫祈願の後、笛や鉦・太鼓の囃子に合わせて「やすらい花や」と唱えながら踊り回る。これが、「やすらい踊り」であり、「やすらい祭」というのはこの踊りで唱える歌詞の一連ごとの終わりに「やすらい花や」の囃子詞が(はやしことば)がついていることからでた呼び名で「安楽花の祭」とも呼ぶ。

 ※  やすらい花は、安楽花、夜須礼花、安良居花などと、表記されます。

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が、頑張れー☆超頑張れー☆

全力で物陰から応援しています。

また、コメント書き込みにきま〜す♪♪

2008/6/11(水) 午後 6:54 [ ★ことみ★ ]


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