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平成19年4月19日(木)昨日:伊藤市長の娘婿が出馬表明、西日本新聞記者の横尾氏。 長崎市の伊藤一長市長(61)が暴力団幹部に射殺された事件を受け、伊藤市長の長女の夫で 西日本新聞記者の横尾誠氏(40)が18日午後、市長選に補充立候補することを表明した。 横尾氏は大阪府出身。1991年に西日本新聞社に入社。長崎総局、社会部などを経て現在は 東京支社報道部所属。長崎市役所で18日、記者会見し、「長崎が好きだと言って頑張って いた人がこんな仕打ちに遭った。思いを引き継ぎたい」と話した。 バグダッドで爆弾テロ、最悪の167人死亡。 イラクの首都バグダッドで18日、4件の爆弾テロが起き、少なくとも167人が死亡、200人 以上が負傷。2月に米・イラク軍が本格的な民兵掃討作戦を始めて以来、1日のテロ犠牲者 としては最大となった。治安対策が進まないことにいらだつ市民が「マリキは辞めろ!」と 騒ぎ始め、駆けつけた米軍とイラク治安部隊に投石する場面も。 4月19日は、【地図の日・最初の一歩の日】です。 1800年(寛政12年)閏4月19日、伊能忠敬が蝦夷地の測量に出発。豪商伊能家 を継ぎ、50歳で隠居後、江戸に出て、天文学、暦学、西洋数学等を学び、全国 各地を測量し、『大日本沿海興地全図』を完成させた。その精度は高く、世界 に誇れる科学的地図である。 ◇ 高橋至時(よしとき.1764〜1804) 下級武士、天文学者、忠敬の師 寛政暦法を完成。伊能忠敬に測量技術を教えた。大坂定番同心の子。 1795年、江戸に行き幕府天文方となり、寛政暦を完成した。その後、フランス 人・ラランド著の天文書から西洋天文学の優秀さを知り、命を削るようにして 研究書『ラランデ暦書管見』を残す。伊能忠敬は至時に天文・暦学を学んだ。 ○ 伊能忠敬(1745〜1818)商人・測量家 1762年、18歳の時に、下総国佐原の伊能家に婿養子に入り、以来商人として 活動。伊能家は、酒造・醸造業者であった他、利根水運などにかかわっていた。 商人としてかなりの才覚の持ち主で、伊能家を再興した他、佐原の役職を務める などの記録が残されている。また、かなりの財産を築いた。 1794年、50歳の時に隠居し、家督を長男・景敬に譲ったのち、江戸に出る。 江戸幕府の天文方・高橋至時に師事し、測量・天文観測などを学ぶ。 1800年、56歳の時、第1次測量を開始。これは測量家としての力量を見込ま れた事のほか、忠敬が私財を投じて測量事業を行おうとした事が幕府にとって 有益だと判断されたようである。最初の測量は蝦夷地(現在の北海道)および その往復の北関東・東北地方において行われた。ただし、忠敬の測量が極めて 高度なものであったことから、その後、徐々に幕府からの支援は増強され国家 的事業に育っていった。 こうして作られたのが大日本沿海與地全図であり、これは最初の日本地図で あっただけではなく、大変精度の高い地図として評価されたが、完成したのは 忠敬没後3年の1821年であった。 後年(1828年)、シーボルトがこの日本地図を国外に持ち出そうとしたことが 発覚。これに関係した日本の蘭学者(至時の息子・高橋景保)などが処罰され た。(シーボルト事件) 伊能忠敬は深川界隈に住居を構え、全国測量の旅に出かける際は、安全祈願 のために、富岡八幡宮に必ずお参りに来ていたことから、2001年に八幡宮境内 に銅像が建立された。 ※ 最初の一歩、それは決断。ベトナムからの撤退を決断した大統領の強い意志を想起せよ。
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