今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成19年4月20日(金)昨夜:中日 vs 阪神戦、ドラゴンズ怒涛の大逆転劇、岡田顔色なし。

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 1974年4月20日、レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』が東京国立博物館で公開
 されました。6月10日までに、入場者は150万人に達しました。


 ○ 謎に満ちた『モナリザ』、男女融合の相?

 アメリカの作家ダン・ブラウンの小説「ダ・ヴィンチ・コード」がベストセラーになり、
ダ・ヴィンチの代表作「モナリザ」に関する関心も、急に高まり関連図書が出版されている。

 「モナリザ」には謎が多く、絵画としての評価のみならず、その不可解さや神秘性が人々を
惹き付けてきた。モデルは一体、誰なのか。なぜ眉毛が描かれていないのか。肖像とはマッチ
しないように思える背景は、何を意味しているのか。顔の左右が微妙に違うのは何故なのか。
ダ・ヴィンチ自身がこの絵を自身の最高傑作として終生手放さなかったのは何故か。

 小説「ダ・ヴィンチ・コード」の中でも、「最後の晩餐」「モナ・リザ」「岩窟の聖母」に
ついて、著者は作中人物の言葉を借りて、独自の視点からの解説を加えています。つまり、
「ダ・ヴィンチは男性が女性よりも優るとした近代の宗教思想に与せず、男女は原初において
一体であり、むしろ女性こそが聖なる存在であるとする女神信仰を信奉していた」との主張。
そして、その考え方に基づき、「モナリザ」について、主人公にこの様に解説させている。

 「ダ・ヴィンチの意図がなんであったにせよ、『モナ・リザ』は男性とも女性とも言いきれ
ない。両性を備えたかのような微妙な趣がある。男女の融合というか‥‥」。

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 フジTV「アンビリバボー」2004年11月18日放送分『モナ・リザが盗まれた』

 かつてあの名画モナ・リザが盗まれた。美術館に出入りしていた職人による
単独犯ということが定説だったが、実はこの盗難事件の裏には巨額の詐欺事件
が隠されていた。その事実を突き止めたのは、ニューヨーク在住のエドミー・
ライトさんの夫でルポライターのセイモアさん。彼は3年前に亡くなったが、
7年かけてこの事件を綿密に調査し黒幕の存在を突き止めただけでなく、事件
の全貌を明らかにしたのだ。

 1910年10月、モナ・リザが盗まれる1年ほど前のパリ。ヴェンチェンツォ・
ペルージャ(32歳)はイタリア出身の貧しいガラス職人で労働者の集まるカフェ
で酒を飲んでいた。すると、そこには不釣り合いなきちんとした身なりの男性
がペルージャに声をかけ、ルーブル美術館の防護ガラスについて話し始めた。

 その頃ルーブルでは、絵画に硫酸を浴びせたり傷を付けたりする事件が相次
いでおり、額縁に防護ガラスを付けることが決定していた。ペルージャはその
防護ガラスを取り付けるためにルーブルに出入りしていたのだ。

 すると男は秘密厳守と絶対服従を条件に、職人では一生手にできない大金を
やると計画を話し始めた。この男こそ、モナ・リザ盗難事件の黒幕・マルケス
・ヴァルフィエルノだった。

 その数日前、マルケスはルーブルを見物して計画を練っていた。そして出入
りしている職人なら怪しまれずに内部事情を探れるだろうと思いつく。ペルー
ジャは打ってつけの人物だった。さらにマルケスは、芸術家の集まるモンマル
トルでも、ある人物に接触していた。

 その人物はイヴ・ショドロンという男で、マルケスに年代物の家具をいくつ
も集めるように伝えていた。マルケスはモナ・リザ盗難と別にもう一つの計画
を進めており、二つが揃って初めて完結する計画だった。

 盗難の数ヶ月前、マルケスはモナ・リザに関心のある金持ちをアメリカから
ルーブルに呼び寄せた。そして絵の前から人がいなくなると、マルケスは額縁
を少し持ち上げ、裏に印をつけさせた。それには重大な意味があった。

 1911年8月20日(日)午後3時。盗難計画が決行された。ペルージャとその
友人のランチェロッティ兄弟が実行役だ。3人は観光客にまぎれ、モナ・リザ
の前に集結。モナ・リザが展示されている部屋の横にある部屋が目標だった。
観光客がいなくなると、部屋の片隅のある場所に忍び込んだ。

 ルーブルは館内で絵を描く自由を認めており、そこはそんな人々の画材道具
を預かる小さな倉庫だった。日曜日は混雑するために絵を描くことが許されて
いなかったため、倉庫に用事のある者は誰もおらず、月曜日の休館日を挟んで
火曜日の朝まで誰も来ない場所だ。

 忍び込んだ3人はそこで休館日・月曜日の朝まで待ち、持ち込んだ作業員の
服を着込んだ。午前6時30分、一週間分の損傷を修復する電気技師や大工、清
掃員などの職人がやってきた。彼らはみな同じ作業服を着ていた。彼らは身分
証明書を持っておらず、作業服がその替わりだった。3人もその作業服に身を
包み、誰にも怪しまれることなく倉庫を抜け出した。

 午前7時、清掃をするふりをして3人はモナ・リザを壁からおろした。休館
日は作品が一日中あちこちに動かされるので、怪しまれずにすむ。マルケスは
休館日の内部事情を調べ尽くしていた。モナ・リザは板のキャンパスに描かれ
ており、ペルージャはいとも簡単に額から絵を取り外した。休館日は警備も手
薄で、普段は百人いるところが10人しか警備員が配備されていない。この事も
マルケスは知っていた。

 出入口の警備員がいなくなった隙に、3人はモナ・リザを持って外に脱出、
午前8時に計画は成功した。モナ・リザ盗難のニュースは世界中に衝撃を与え
たが、これはマルケスの計画にとってお膳立てに過ぎなかった。盗んだモナ・
リザは共犯者・ランチェロッティ兄弟の愛人の部屋に隠された。マルケスは、
残りはまた次回と言ってペルージャに約束の金を支払った。ルーブルで働いて
いるために警察の調査が入るだろうから、それが終わったらモナ・リザを自分
の部屋で大切に保管するように、とマルケスは言った。

 マルケスは、ペルージャに名前も身元も明かしていなかった。自分を親方と
呼ばせ、連絡も自分が必要な時だけ自分から取っていたのだ。マルケスの予想
通り、ペルージャも警察の取り調べを受けたが無難に乗り切り潔白とされた。
そして言いつけ通り、モナ・リザを自分の部屋に持ってきて保管した。その頃
マルケスは、もう一つの計画を実行するためにパリからニューヨークに渡って
いた。

 盗難の数ヶ月後のニューヨークにて、マルケスは、盗難の少し前にアメリカ
からルーブルに呼び出した金持ちの男に会っていた。男は大金と交換にマルケ
スからあるものを受け取る。モナ・リザだった。だがモナ・リザはペルージャ
が自分の部屋で保管しているはずだ。本物かどうか疑う男に、マルケスは裏を
見るように言った。

 絵の裏には、その男がルーブルで自らつけた印、自分のサインが確かに書か
れていた。一体どういう事なのか。実はここに天才的な策略が隠されていた。
盗難の数ヶ月前、ショドロンは古い家具を利用してある事を行っていた。実は
ショドロンは天才的な贋作画家で、マルケスにモナ・リザの贋作制作を依頼さ
れていた。古い家具を集めるように伝えていたのは、その背板をキャンパスと
して利用するためだった。古い板に描くことで、より本物に近づけようとした
のだ。

 こうして仕上げた偽物を、館内で絵を描くことが許されていたことを利用し
持ち込み、人目につかないチャンスを狙って本物の裏側に仕込んだのだ。

 つまり、マルケスがルーブルに呼び寄せた金持ちは、裏に仕込まれた贋作に
サインをしていたことになる。素人であることから信用し、偽のモナ・リザに
大金を払ったのである。実はマルケスがこうして騙した金持ちは一人だけでは
なかった。贋作は6枚も作られていた。1枚の本物を売るより偽物を多く売っ
た方がより大金を稼ぐことができるのだ。

 マルケスの計画は大成功、実際に彼がいくら手にしたかは伝わらないのだが
推測では現在の金額で40億円近い大金を騙し取ったという。しかし最後に彼は
ミスを犯した。大金を手にしたマルケスはモロッコのリゾートで骨休めをして
いたのだが、気のゆるみからペルージャへの連絡を怠ってしまった。

 盗み出したモナ・リザは時期を見て、ルーブルに返却するつもりでいたマル
ケス。そうすれば警察を出し抜いた上で全てが丸く収まる。マルケスは利益も
上げ、美術館も安堵する。さらにカモとなった金持ちにはルーブルはフランス
の面目を保つために偽物の替え玉を飾っている、と話すつもりだった。

 ところが1912年秋、ペルージャはマルケスが手を汚さずにさらに連絡もして
こないことに腹を立て、イタリアの画商、アルフレード・ジェリに接触して、
モナ・リザを売りつけようとした。そして警察に通報されあっけなく逮捕され
イタリアで裁かれることになったのだ。

 だが、金を要求したことや犯行の手口、共犯者のことを問い詰められると、
ついにランチェロッティ兄弟のことを洩らす。だが兄弟は聴取でペルージャが
盗難をしたことは知っていたが、盗みに手は貸していないと訴えたのだ。多く
のイタリア人が、モナ・リザはイタリアに返還されるべきと考えていたので、
ペルージャの行動は好意的に迎えられたという。

 こうして1914年1月、モナ・リザはイタリアからフランスに返還され、ペル
ージャには7ヶ月の禁固刑が言い渡された。単独犯とされ、他に裁かれた者は
いない。釈放後に彼は田舎に戻って結婚し、身を落ち着けたという。

 モロッコでペルージャのことを知ったマルケスは、自分の名前も身分も明か
していなかったので、逮捕される心配はしていなかった。だが、完璧な計画の
名誉が傷つけられた気がした。そこでアメリカの親しい友人で新聞記者のカー
ル・デッカーに事件の真相を告げた。ただし自分が生きている間は絶対に公表
しないことを約束させた。

 その17年後の1931年にマルケスが亡くなると、1年後の1932年、デッカーは
サタデーイブニングポスト誌に真相を記事として発表する。しかし当時人々は
世界的な不況に苦しんでおり、20年前の事件を書いたこの記事に注目する余裕
はなく、埋もれてしまった。この記事の存在をつきとめ、さらに綿密な調査を
加えた結果を改めて発表したのがセイモアさんだったのだ。彼の著作の題名は
「モナ・リザが盗まれた日」。

 しかしマルケスはデッカーの記事以外、自らの痕跡を見事に残さなかった。
彼の片腕だった贋作画家・ショドロンも同様だった。また、だました金持ちに
ついても明かさなかったので偽物のモナ・リザの行方もわからない。ルーブル
美術館は、モナ・リザの盗難に関しては一切の取材を拒否している。現在では
モナ・リザは、当時と比べものにならないほどの厳重さで守られている。

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