今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成19年4月22日(日)今日:統一地方選後半戦、今日投開票。棄権は最悪の投票行為。


 1997年4月22日、ペルーの日本公邸人質事件で、軍が公邸に突入する。

 1996年12月17日、トゥパクアマル革命運動のメンバー14人が、天皇誕生日祝賀レセプションを開いていた、リマの日本大使公邸を襲撃占拠し、大使・青木盛久や各国要人ら約六百人を人質にして、4か月に渡り拘束した事件。

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 ◇ 公邸突入時、国民的英雄を演出したフジモリ氏の、その後の顛末

 1997年2月7日、ペルー当局がフジモリ大統領の発案による公邸までのトン
 ネル掘削を決定。

 1997年4月22日、ペルー海軍特殊作戦部隊が公邸内に突入し、最後まで拘束
 されていた人質のうち71人を救出。革命運動メンバー14人は全員死亡。
 うち、数名の降伏者も殺害。ペルー人の人質1人と特殊部隊員2人が死亡。

 2000年11月19日、フジモリがペルー国内での反フジモリ運動の高まりから、
 日本に事実上の亡命をする。暗殺計画を察知したとも言われる。

 2001年3月、革命運動メンバーの墓を掘り起こして、再検死する。

 2002年5月、特殊部隊の指揮官ら12人に殺人容疑で逮捕状。

 2003年3月、国際刑事警察機構がフジモリを人道犯罪の容疑で国際手配。
 日本政府は引き渡しを拒否。

 2003年5月27日、ペルー側の嘱託を受けた東京地裁が、革命運動メンバーの
 生きたままの拘束を目撃していた元人質(当時・一等書記官)を証人尋問。

 2003年5月28日、東京地検がフジモリを事情聴取。

 2004年3月12日、ペルー検察当局がフジモリに殺人罪で禁錮30年、賠償金
 約1億ソル(約32億円)を求刑。


 作戦が強行され人質は解放された。革命運動側が14名と多いのに対し、作戦
での人質の犠牲が1名と少なかったことから、軍事的には成功とされている。

 ただし、後の検証で、降伏した無抵抗の革命運動メンバーを虐殺したのでは
ないかとの疑いが生じて、フジモリ大統領の罷免後には、特殊部隊指揮官らの
訴追に発展した。

 また、ただ一人犠牲となった人質が反フジモリ勢力の有力者であった事から、
フジモリ大統領周辺の指示による暗殺ではないかと取り沙汰された。



 ◇ 2006年4月6日、フジモリ元大統領がチリで拘束下、婚姻届!

 南米チリで拘束されているフジモリ元ペルー大統領(67)と東京都内でホテル
を経営する片岡都美さんの婚姻届を、双方の代理人が六日未明、都内で提出。

 フジモリ氏は代理人を通じて「人生最高の日」との談話を寄せた。片岡さん
は共同通信に対し「ペルーを訪れてフジモリ氏の支持者を目の当たりにし心を
打たれた。命を懸けて彼を守るつもりだ」と語った。片岡さんは3月11日に、
リマでの支持者の集会に参加し、フジモリ氏と結婚すると表明していた。

 フジモリ氏は4月9日のペルー大統領選への出馬を目指し、2005年10に、
日本を極秘出国しチリに入国した。立候補は認められず、現在、チリ最高裁で
ペルーへの身柄引き渡しの可否をめぐる司法審理を受けている。

 フジモリ氏は側近の汚職事件により失脚、2000年11月に来日、その後、片岡
さんと知り合い、日本を出国するまで都内で同居していたという。フジモリ氏
には、1995年に離婚した日系ペルー人女性との間に4人の子供がいる。


 ※ その後、フジモリ氏は保釈され、チリの首都サンティアゴにある自宅で
暮らしている。なおも、チリ国内から政治活動を行なおうとしており、チリ政府は
不快感を示している。


※フジモリ氏は一時期、曽野綾子・三浦朱門夫妻のお宅に寄寓していた。彼は
自分のことをサムライと称しており、武士道を強調していたようだ。御夫妻の
見るところ、不正蓄財は決して無いとのことだった。





 ◇ ペルー大使公邸突入10年、軍は自賛、元人質らは追悼 (2007年4月23日)

イメージ 2 ペルーの左翼ゲリラ・トゥパク・アマル革命運動によって人質72人が4カ月以上拘束された日本大使公邸事件の武力突入から10年たった22日、ペルー軍は記念式典を開き、「歴史上最も成功した軍事作戦」と自賛。一方、元人質たちは突入の際に死亡した最高裁判事と特殊部隊の兵士2人の墓に参った。

 リマ市内の軍基地。元人質や軍幹部の眼前で、白亜の建物の周囲から爆発音と黒煙が上がる。外遊中のガルシア大統領の代行を務めたのは、元海軍幹部として、事件当時に人質の身ながら突入作戦にかかわったジャンピエトリ副大統領だ。「自由万歳、ペルー万歳」と、兵士たちが雄たけびを挙げた。






   一方、リマ市内の墓地に、事件の元人質や退役軍人が突入で死亡した3人の冥福を祈った。

イメージ 3 グスタボ・セグロさん(37)は死亡したヒメネス大尉(当時27)と同期入隊で、共に作戦に参加した。「作戦は万全だった。犠牲は仕方ない。だが、悲しみ続ける家族がいる以上、私たちは決して勝利したとはいえない」と話した。

 事件当時ニッコー・クリエイティブ・サービス社長で、現在はリマで日本航空の現地総代理店を営む元人質の杉丸政則さん(60)は、犠牲となったギュスティ最高裁判事(当時56)の墓に参った後、「私たちが生きているのは、本当に偶然のたまものだったと思う」と話した。

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