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平成19年5月29日(火)昨日:首相らに封書6通と便箋2枚の遺書、松岡農水相自殺。 自殺した松岡利勝農水相(62)は、安倍首相、農水事務次官らにあてた封書6通と便箋2枚の遺書が残されていたことが分かった。警視庁の検視では、発見される直前に首をつったとみられる。 遺書はすべてボールペン書きで、居間のテーブル上にそろえて置いてあった。封書入りは安倍首相と農水事務次官、秘書官、親類の景山俊太郎参院議員ら宛てで、「親展」とあり、裏に本人の署名があった。 便箋はA4判の農水省のもので、2枚のうち1枚の宛て先は「国民の皆さま、後援会の皆さま」で、28日の日付と本人の署名があり、「不徳の致すところで申し訳ない。ご迷惑をおかけしておわび申し上げます。あとはよろしく」との趣旨がしっかりした文字で書かれていた。ただ、指摘されている一連の問題や疑惑への言及はなかった。 もう1枚の便箋には「内情は家内が知っています。あとどこに何があるかは探さないでください。そっとしておいてください」との内容が書かれていた。 警視庁の調べでは、松岡氏は発見時、パジャマ姿で、玄関から遺書の置いてあった居間に入るところにあるドア上部の角に、直径数ミリの布製の紐をくくりつけて首をつっていた。足元には高さ約30センチの脚立が残っていた。 ※ 戦後現職国会議員の自殺者は7人目。現職閣僚では松岡農相が戦後初のケース。 5月29日は、【白櫻忌 <白桜忌>】。(与謝野晶子の1942<昭和17>年の忌日) 『みだれ髪』で知られる与謝野晶子の命日。享年64歳。 堺の旧家をとび出して与謝野鉄幹と結婚。貧しい中、11人の子をもうける。 日露戦争に際しての反戦詩『君死にたまふこと勿れ』が有名。 歿後に出された最後の歌集『白櫻集』に因み、「白櫻忌」とも呼ばれる。 作歌は『乱れ髪』(明治34年・1901)以降、五万首を越える。 (鐵幹忌 <3月26日>) 忠君愛国一辺倒の日露戦争時に、ためらうことなく「君死にたまふこと勿れ」を発表した晶子。当然の如く世間からの非難中傷を浴びた。だが、晶子は毅然として退かなかった。体制に迎合することなく自らの信念を吐露して憚らなかった。(死して、真相を闇に葬るは如何?) ○ 君死にたまふこと勿れ (旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて) あゝをとうとよ君を泣く 君死にたまふことなかれ 末に生れし君なれば 親のなさけはまさりしも 親は刃をにぎらせて 人を殺せとをしへしや 人を殺して死ねよとて 二十四までをそだてしや 堺の街のあきびとの 舊家をほこるあるじにて 親の名を継ぐ君なれば 君死にたまふことなかれ 旅順の城はほろぶとも ほろびずとても何事か 君知るべきやあきびとの 家のおきてに無かりけり 君死にたまふことなかれ すめらみことは戦ひに おほみづからは出でまさね かたみに人の血を流し 獣の道に死ねよとは 死ぬるを人のほまれとは 大みこゝろの深ければ もとよりいかで思されむ あゝをとうとよ戦ひに 君死にたまふことなかれ すぎにし秋を父ぎみに おくれたまへる母ぎみは なげきの中にいたましく わが子を召され家を守り 安しと聞ける大御代も 母のしら髪はまさりけり 暖簾のかげに伏して泣く あえかにわかき新妻を 君わするるや思へるや 十月も添はでわかれたる 少女ごころを思ひみよ この世ひとりの君ならで あゝまた誰をたのむべき 君死にたまふことなかれ 「明星」明治三十七年九月号 ※ 愛誦しやすい七五調。戦時下に、自己の主張を鮮明にする潔さ。 与謝野晶子のこの姿勢こそ、真の民主主義たらんか。 |

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