今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

何の日・6月

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 平成19年6月23日(土)沖縄全戦没者追悼式:安倍首相、高市沖縄担当相が参列予定。

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 「集団自決」意見書、党派超えた対応が大切(沖縄タイムス、6月20日社説)

 県議会がやっと高校歴史教科書の「集団自決(強制集団死)」の記述から旧日本軍が関与したとする文言の削除を求めた文科省の教科書検定意見について、撤回を求める意見書案をまとめた。沖縄全戦没者追悼式の前日、22日の本会議で採択する。

 「集団自決」に「軍命」や「軍の関与」があったことは、多くの戦争体験者の証言から明らかになっている。それが太平洋戦争末期の沖縄における実相であり、歴史的事実として忘れてならない沖縄戦の真実なのである。(※ 沖縄では、「軍命」や「軍の関与」は全くの常識であるようだ。事実、日本軍が駐留していた場所で、「集団自決」は行われているのだ。)

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 少なくとも、「この問題が政治的な主義主張の問題ではなく、実際に沖縄で起こった歴史的事実の問題」であることは誰の目にも明らかではないか。であれば、県議会が率先して動くべきであったのであり、その意味で対応の遅れには疑問を覚える。

 言うまでもないが、この問題を政治化させたのは、教科書を審査する「教科用図書検定調査審議会」に軍命がなかったかのような記述を調査意見書で求めた文科省側にある。軍命や軍による誘導、強制があったのに、それをなかったかのようにあいまいな表現にするのは恥ずべき行為であり、歴史に学ぶ謙虚な姿勢とは言えまい。

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 直接的な命令でなくとも、追い詰められた住民を誘導する事は容易だったろう。
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 それが安倍首相の思想信条と軌を一にする流れであるなら、なおさらのことだ。史実をねじ曲げる動きを諌め、真実に目を向けるよう求めていくのは私たちの責務と受け止めたい。沖縄戦では、避難先の壕から兵士に追い出された住民は多い。方言しか話せなかったためにスパイの嫌疑をかけられた住民もいた。(※ 日本兵は沖縄住民を保護するような行為は、一切していないようだ。むしろ住民からの略奪があった。生き残った沖縄住民は口を揃えて、日本兵より米兵のほうが親切だった、と言う。)

 これは厳然としてある沖縄戦の実相と言っていい。そのことを文科省はきちんと把握すべきなのであり、「知らない」では済まされないということを認識する必要があろう。与野党が合意した意見書案は「沖縄戦における『集団自決』が、日本軍による関与なしに起こり得なかったことは紛れもない事実」と記している。歴史の歪曲は絶対に許してはならない。沖縄戦の史実を書き換える動きには、党派を超えて当たることが県議会の責務である。

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 ◇ 沖縄県議会、「軍命削除」は到底容認できない(琉球朝日放送、6月22日)

 国の高校教科書の検定で、沖縄戦の集団自決の記述から日本軍の命令が削除された問題で、県議会は削除撤回を求める意見書を全会一致で可決しました。

 県議会は22日午前、本会議を開き、教科書検定に関する意見書を審議してきた文教厚生委員会から意見書が提案されました。前島明男委員長は「沖縄戦における集団自決が日本軍の関与なしに起こり得なかったことは紛れもない事実であり、筆舌に尽くしがたい犠牲を強いられた県民にとって、今回の削除、修正は到底容認できるものではない」と述べた。

 塩崎官房長官は、「検定意見の制度にのっとって行われることと理解しているので、文科省で適切に対処するものと考えている。沖縄の過去の歴史について、いろんなデリケートな問題についての配慮は絶えず必要だというのは間違いありませんが、今回の件は今申し上げたようなことだと思う」と述べ、教科書検定制度に委ねる考えを示しました。

 ※ 「過去に目を閉ざそうとする者は、現在においても盲目的になります」
    (ヴァイツゼッカー大統領「荒野の40年」)



 6月23日は、沖縄「慰霊の日」。(沖縄県主催「沖縄全戦没者追悼式」)

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 1945年6月23日、沖縄守備軍・牛島満司令官が自決し、組織的戦闘が終了したことにちなみ、沖縄県は毎年6月23日を太平洋戦争における沖縄戦終結の日として、「慰霊の日」を制定。沖縄戦での20万人以上の犠牲者をはじめ、海上、海外で亡くなった戦没者の冥福と世界の恒久平和を願い、糸満市摩文仁の平和祈念公園で、毎年沖縄全戦没者追悼式が行われます。

 「慰霊の日」は沖縄県内では公休日(ただし地方限定の公休日であるため、当該日が日曜日にあたっても翌日が振替休日とはならない。)

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 ◇ 平和の礎(いしじ)

 平和の礎は世界の恒久平和を願い、国籍や軍人・民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなった全ての人々の氏名を刻んだ祈念碑。1995年6月に太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を記念して建立されました。海岸線を見渡す平和の広場に建てられ、屏風型の花崗岩に銘が刻まれる。現在も追加刻銘を受け付けています。

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 ◇ 「慰霊の日」に、那覇・大阪・東京・千葉で同日ライブ

 「慰霊の日」に、那覇・大阪・東京・千葉の4都市でライブが行われる。
「6.23 琉球魂(ろくてんにいさん りゅうきゅうだましい)沖縄慰霊の日ライブ」。

 ライブをプロデュースしたトーク&ミュージックライブカフェ「Naked Loft」(東京都新宿区)でブッキングを担当している上江洲修さんは「太平洋戦争で唯一地上戦が行われた沖縄に『慰霊の日』があること、この日を忘れずにもっと大勢の人に知ってもらいたい。この日を思い出すことで『争い』を繰り返さないためにも音楽を通して平和のメッセージを届けたい」と企画したという。

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 ◇ こんなにも、心にしみる「鎮魂歌」


 「さとうきび畑」 / 夏川りみ
 http://www.youtube.com/watch?v=TW0U6cPOVbg&NR=1


 『さとうきび畑』 作詞/作曲  寺島尚彦  1967年(昭和42年)

 ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は
 ざわわ ざわわ ざわわ 風が通りぬけるだけ

 今日も 見わたすかぎりに 緑の波がうねる
 夏のひざしの中で
 ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は
 ざわわ ざわわ ざわわ 風が通りぬけるだけ

 むかし 海の向こうから いくさがやってきた
 夏のひざしの中で
 ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は
 ざわわ ざわわ ざわわ 風が通りぬけるだけ
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 あの日 鉄の雨にうたれ 父は死んでいった
 夏のひざしの中で
 ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は
 ざわわ ざわわ ざわわ 風が通りぬけるだけ

 そして 私の生れた日に いくさの終わりがきた
 夏のひざしの中で
 ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は
 ざわわ ざわわ ざわわ 風が通りぬけるだけ

 風の音に とぎれて消える 母の子守の歌
 夏のひざしの中で
 ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は
 ざわわ ざわわ ざわわ 風が通りぬけるだけ

 父の声を 探しながら たどる畑の道
 夏のひざしの中で
 ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は
 ざわわ ざわわ ざわわ 風が通りぬけるだけ

 知らないはずの 父の手に抱かれた夢を見た
 夏のひざしの中で
 ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は
 ざわわ ざわわ ざわわ 風が通りぬけるだけ

 お父さんて 呼んでみたい お父さんどこにいるの
 このまま緑の波に おぼれてしまいそう
 夏のひざしの中で
 ざわわ ざわわ ざわわ けれどさとうきび畑は
 ざわわ ざわわ ざわわ 風が通りぬけるだけ
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 今日も 見わたすかぎりに 緑の波がうねる
 夏のひざしの中で
 ざわわ ざわわ ざわわ 忘れられない悲しみが
 ざわわ ざわわ ざわわ 波のように押し寄せる
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 風よ 悲しみの歌を 海に返してほしい
 夏のひざしの中で
 ざわわ ざわわ ざわわ 風に涙は乾いても
 ざわわ ざわわ ざわわ この悲しみは消えない
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 ※ 「ざわわ」のフレーズが66回、繰り返されます。
   すぐれた鎮魂歌は、誠にすぐれた反戦歌となります。

   きび畑いま尚眠る骸らの 風のそよぎよ無念さよ


 ◇ 終わらない戦後処理

 沖縄は今日、戦後62年の「慰霊の日」を迎える。唯一の地上戦となった沖縄戦で、撃ち込まれた不発弾が今なお地中に多数残存し、犠牲者の遺骨がなおも埋もれている。戦争のつめ跡はいまだに癒えない。そして、日本の米軍専用施設の74%が沖縄に集中する実態も変わっていない。戦中に旧日本軍に接収された飛行場の補償問題も解決への道程は不透明のまま。

 不発弾処理、毎年30トン処理、なおも2千トンが土中に

 陸上自衛隊、海上自衛隊のまとめによると、2006年度の自衛隊による不発弾処理件数は陸自が869件で30.7トン、海自が7件で3.9トンだった。毎年約30トンの不発弾を処理しているが、いまだに2千トン以上が土中に眠っていると推測され、県は処理に70年近くかかるとみている。

 遺骨収集、2006年度84柱発見、4千余柱が未収集

 沖縄戦の戦没者の遺骨は、県の推計では今年3月末の時点で4201柱が収集されないままだ。2006年度の1年間で県内で発見された遺骨は84柱。遺骨収集作業は戦後すぐに住民によって各地で始まったが、今年3月末までに見つかった遺骨は合計18万3935柱だった。収集される遺骨の数は徐々に減り、近年は毎年100柱弱になっている。

 県福祉・援護課によると、遺骨の発見はボランティア団体の収集作業による場合が多いが、工事現場で見つかるケースも増えているという。遺骨がある場所は戦争体験者らの証言などが頼り。同課は「残っている遺骨のほとんどが地中に埋もれている。掘らないと出てこないが、戦没者に関する情報が徐々に少なくなっている」と話した。

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 清成忠男・沖縄協会会長、「再び過ちが繰り返されないよう、戦争の悲惨な事実をありのままに伝えていくことが、犠牲になった御霊に報いる唯一の道です」

 仲井真弘多・沖縄県知事、「沖縄戦の真実の姿を次の世代に伝え、その教訓を私たち一人一人が胸に刻み、平和の実現のため日々努力することが求められている」。

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