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平成19年7月9日(月)政治家の覚悟のほど:安倍総理と小沢代表と。 赤城農水相を擁護するばかりの者と、自ら背水の陣を敷く者との差が29日に。 1997年7月9日、『FOCUS(フォーカス)』の不買行動が全国的に起こる。 神戸少年殺人事件の14歳の容疑者の写真を掲載した写真週刊誌『フォーカス』の 不売行動が全国的に起きました。 新潮社「FOCUS」が酒鬼薔薇少年の写真を掲載した。これにより全国的な不買行動が始まった。多くの書店では、同誌を販売自粛し、新聞各紙・TV各局は新潮社を少年法違反と非難した。児童文学者・灰谷健次郎は抗議のため、新潮社より自己の著作の全ての版権を引き揚げた。 ネット上では、「表現の自由」を声高に謳い、「FOCUS」写真の複製や彼の実名が、多くのWebページに掲載され、そして転載された。たまたま酒鬼薔薇少年と同じ地域に住み、彼と同じ姓をもつ者たちの住所や名前や電話番号が何の理由も開示されぬまま暴露された。 ◇ 灰谷健次郎、加害少年写真公開に抗議 1997年(平成9)、神戸連続児童殺傷事件が起きると、新潮社の写真週刊誌「フォーカス」は、少年法に違反する、当時中学3年生であった加害少年の写真を公開した。これに対し灰谷は、「加害少年も保護されるべき存在」であるとして、「フォーカス」関連記事への抗議のため、執筆拒否を宣言する。同時に灰谷は彼の代表作である『天の瞳』(後に角川書店より再刊行)を含む全ての著作の版権を新潮社から引き揚げ、新潮社の天皇とも怪物とも呼ばれた斎藤十一と絶縁した。 ◇「文春 1997年9月特別号」村上龍「神戸小6惨殺事件、寂しい国の殺人」 何か強烈な事件を契機にして思考を停止する人はいつの時代にもいる。ヒステリックに排除と制裁を叫んでいる人々は、この十四歳が恐いのだと思う。この十四歳が露わにしてきたことが理解を超えていて、それが恐いのだろう。近代化の途上という「のどかで貧しい時代」を生きてきた人々の想像力には限界があるし、彼らは近代化の労苦を背負った人々でもあるので、わたしは「排除・制裁派」を批判しない。彼らはその労苦が報われなかったという挫折感によって「世間」と同化してしまった。この国の「世間」は原則よりも、ときには法律よりも強い。わたしはそういう「世間」とはできるだけ関わりを持ちたくない。 彼らを一括りにすることは危険だが、共通しているのは、日本国民の中心的感情が「悲しみ」から「寂しさ」に移行しているのに気づいていないことだと思う。演歌や歌謡曲は、集団の最大公約数的な悲しみが消えたときに、存在理由を失った。 現代を被う寂しさは、過去のどの時代にも存在しなかった。近代化以前には、近代化達成による喪失感などというものがあるわけがないから、わたしたちは、現代の問題を、過去に学ぶことができないということになる。今の子どもたちが抱いているような寂しさを持って生きた日本人はこれまで有史以来存在しない。それなのに、相変わらず過去に学ぼうとしているのは主に偏差値の低い中高年の男達だ。 織田信長だろうが坂本龍馬だろうが吉田茂だろうが、彼らが今生きていたとしても、例えば帰国子女の悩みにも答えることができない。それなのに、信じられないことだが、「織田信長に学ぶ危機管理術」というような特集を組む雑誌が未だにあとを絶たない。だがバカな中高年の男たちのことはもう放っておくしかない。自分のこれまでの人生を否定することになるので、よりよい集団に属するという価値観を彼らは死ぬまで変えないだろうし、退行と反動化の中枢を担っていくはずだ。 「これからの日本をどう変えていけばいいのか」などと言っている人をわたしは信用しない。そんなたわけたことを言う前にまずお前が変われ、といつも思う。システムを変えることで個人が変わる時代は終わっている。 ※ 柳 美里は酒鬼薔薇事件に触発され、『ゴールドラッシュ』を書く。 ※ 新潮社「FOCUS」には、もともと自殺願望的とも言える突出した記事掲載が目立った。写真週刊誌とは本来、自爆的なメディアだったのか。大衆を扇情的にさせて利を稼ぐやり方は、大手出版社の取るべき“ふるまい”ではなかった。「FOCUS」は、1981年に創刊され、一時期は発行部数200万部に達したが、その後、売れ行きが悪化し、2001年に休刊。 |

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