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平成19年7月15日(日)昨日:安倍首相の車に警察車が追突。参院選、大当たりの卦? 事故は午前11時40分ごろ、大阪府堺市の国道で、首相秘書官らが乗ったジャンボタクシーが前を走る警察車両に追突。その弾みで警察車両が首相の乗った国産高級車に追突。けが人はなく、遊説日程にも影響はなかったが、首相の乗用車はバンパーがへこんだ。それでも安倍さんは、へこむ事なく街頭演説にパワー全開。 ※ 「7月最強」の台風4号、列島縦断へ 7月15日は、国木田独歩の誕生日です。(旧暦の「7月15日」) 国木田独歩(1871〜1908)(本名:哲夫) 明治4年、千葉県生まれ。東京専門学校(現、早稲田大学)に入学し、キリスト教の洗礼を受け熱心なキリスト教信者となる。学校を中途退学し、雑誌の編集や教師を経て、日清戦争が起こると、明治27年、国民新聞記者として従軍、軍艦千代田に乗り込み、送り続けた従軍記「愛弟通信」が新聞に連載されて好評を得る。帰国して、佐々城信子と恋愛結婚するが半年で離婚、彼がなくなった後、発表された手記「欺かざるの記」がその間の事情を伝える。 明治30年、共著詩集「抒情詩」を出版、「源叔父」「忘れえぬ人々」などを発表して浪漫的抒情文学に新風を吹き込み、「春の鳥」で浪漫主義の極致を示す。晩年は「窮死」「竹の木戸」などの作品で自然主義作家として評価されるが、生活苦が続き健康を害し、島崎藤村と並ぶ新時代文学の旗手と目されながらも結核に倒れる。明治41年、肺結核のため死す、享年36。多くの作品が死後に続々出版され、自然主義の先駆者としての評価を高める。 ◇ 『源叔父』 国木田独歩(抜粋) 源おじ:渡し舟で暮らす。若い頃は美声で、ひいきの客も出来たほど。美しい妻が死んで、残った子にも死なれ、口数の少なかった彼は、よりいっそう孤独になる。紀州と呼ばれる乞食の子を引き取り、わが子として育てようとするが、紀州は彼に心を開くことはなく、紀州に去られた源おじは首を吊って死んでしまう。 紀州:乞食の子。母親と共に佐伯(さいき)の地にたどり着いたが、母親は彼をおいていなくなり、その後、彼は町の付属物のように扱われる。紀州というのは彼の生まれ故郷から取った呼び名。 源おじの寂しい人生と、人としての生き方を知らずに育った紀州と、相寄る魂とはならない辛い話。ふたりの孤独が、無限の孤独を生み出してしまう悲劇。 上 「否、彼とてもいかで初めより独り暮さんや。妻は美しかりし。名を百合と呼び、大入島の生まれなり。人の噂をなかば偽りとみるも、この事のみは信なりと源叔父がある夜酒に呑まれて語りしを聞けば、彼の年二十八九のころ、春の夜更けて妙見の燈も消えし時、ほとほとと戸たたく者あり。源起きいで誰れぞと問うに、島まで渡したまえというは女の声なり。傾きし月の光にすかし見ればかねて見知りし大入島の百合という小娘にぞありける。 「そのころ渡船(おろし)を業となすもの多きうちにも、源が名は浦々にまで聞こえし。そは心たしかに侠気ある若者なりしがゆえのみならず、べつに深きゆえあり、げに君にも聞かしたきはそのころの源が声にぞありける。人々は彼が櫓こぎつつ歌うを聴かんとて撰びて彼が舟に乗りたり。されど言葉すくなきは今も昔も変わらず。(中略) 「源が歌う声冴えまさりつ。かくて若き夫婦の幸しき月日は夢よりも淡く過ぎたり。独子の幸助七歳の時、妻ゆりは二度目の産重くしてついにみまかりぬ。城下の者にて幸助を引取り、ゆくゆくは商人に仕立てやらんといいいでしがありしも、可愛き妻には死別れ、さらに独子と離るるは忍びがたしとて辞しぬ。言葉すくなき彼はこのごろよりいよいよ言葉すくなくなりつ、笑うことも稀に、櫓こぐにも酒の勢いならでは歌わず、醍醐の入江を夕月の光砕きつつ朗らかに歌う声さえ哀れをそめたり、こは聞くものの心にや、あらず、妻失いしことは元気よかりし彼が心をなかば砕き去りたり。雨のそぼ降る日など、淋しき家に幸助一人をのこしおくは不憫なりとて、客とともに舟に乗せゆけば、人々哀れがりぬ。されば小供への土産にと城下にて買いし菓子の袋開きてこの孤児に分つ母親もすくなからざりし。父は見知らぬ風にて礼もいわぬが常なり、これも悲しさのあまりなるべしと心にとむる者なし。(中略) 「かくてまた三年過ぎぬ。幸助十二歳の時、子供らと海に遊び、誤りて溺れしを、見てありし子供ら、畏れ逃げてこの事を人に告げざりき。夕暮になりて幸助の帰りこぬに心づき、驚きて吾らもともに捜せし時はいうまでもなく事遅れて、哀れの骸は不思議にも源叔父が舟底に沈みいたり。 「彼はもはやけっしてうたわざりき、親しき人々にすら言葉かわすことを避くるようになりぬ。ものいわず、歌わず、笑わずして年月を送るうちにはいかなる人も世より忘れらるるものとみえたり。源叔父の舟こぐことは昔に変わらねど、浦人らは源叔父の舟に乗りながら源叔父の世にあることを忘れしようになりぬ。かく語る我身すらおりおり源叔父がかの丸き眼をなかば閉じ櫓担いて帰りくるを見る時、源叔父はまだ生きてあるよなど思うことあり。彼はいかなる人ぞと問いたまいしは君が初めなり。(中略) 中 祭の日などには舞台据えらるべき広辻あり、貧しき家の児ら血色なき顔を曝して戯れす、懐手して立てるもあり。ここに来かかりし乞食あり。小供の一人、「紀州、紀州」と呼びしが振向きもせで行過ぎんとす。うち見には十五六と思わる、蓬なす頭髪は頸を被い、顔の長きが上に頬肉こけたれば頷の骨尖れり。眼の光濁り瞳動くこと遅くいずこともなくみつむるまなざし鈍し。纒いしは袷一枚、裾は短かく襤褸下がり濡れしままわずかに脛を隠せり。腋よりは蟋蟀の足めきたる肱現われつ、わなわなと戦慄いつつゆけり。この時またかなたより来かかりしは源叔父なり。二人は辻の真中にて出遇いぬ。源叔父はその丸き目みはりて乞食を見たり。 「紀州」と呼びかけし翁の声は低けれども太し。若き乞食はその鈍き目を顔とともにあげて、石なんどを見るように源叔父が眼を見たり。二人はしばし目と目見あわして立ちぬ。源叔父は袂をさぐりて竹の皮包取りだし握飯一つ撮みて紀州の前に突きだせば、乞食は懐より椀をだしてこれを受けぬ。与えしものも言葉なく受けしものも言葉なく、互いに嬉れしとも憐れとも思わぬようなり、紀州はそのまま行き過ぎて後振向きもせず、源叔父はその後影角をめぐりて見えずなるまで目送(みおく)りつ、大空仰げば降るともなしに降りくるは雪の二片三片なり、今一度乞食のゆきし方を見て太き嘆息せり。小供らは笑を忍びて肱つつきあえど翁は知らず。 源叔父家に帰りしは夕暮なりし。彼が家の窓は道に向かえど開かれしことなく、さなきだに闇きを燈つけず、炉の前に坐り指太き両手を顔に当て、首を垂れて嘆息つきたり。炉には枯枝一掴みくべあり。細き枝に蝋燭の焔ほどの火燃え移りてかわるがわる消えつ燃えつす。燃ゆる時は一間のうちしばらく明し。翁の影太く壁に映りて動き、煤けし壁に浮かびいずるは錦絵なり。(中略) 夜は更けたり。雪は霙と変わり霙は雪となり降りつ止みつす。灘山の端を月はなれて雲の海に光を包めば、古城市はさながら乾ける墓原のごとし。山々の麓には村あり、村々の奥には墓あり、墓はこの時覚め、人はこの時眠り、夢の世界にて故人相まみえ泣きつ笑いつす。影のごとき人今しも広辻を横ぎりて小橋の上をゆけり。橋の袂に眠りし犬頭をあげてその後影を見たれど吠えず。あわれこの人墓よりや脱け出でし。誰に遇い誰れと語らんとてかくはさまよう。彼は紀州なり。 源叔父の独子幸助海に溺れて失せし同じ年の秋、一人の女乞食日向の方より迷いきて佐伯の町に足をとどめぬ。伴いしは八歳ばかりの男子なり。母はこの子を連れて家々の門に立てば、貰い物多く、ここの人の慈悲深きは他国にて見ざりしほどなれば、子のために行末よしやと思いはかりけん、次の年の春、母は子を残していずれにか影を隠したり。 太宰府訪でし人帰りきての話に、かの女乞食に肖たるが襤褸着し、力士に伴いて鳥居のわきに袖乞いするを見しという。人々皆な思いあたる節なりといえり。町の者母の無情を憎み残されし子をいや増してあわれがりぬ。かくて母の計あたりしとみえし。あらず、村々には寺あれど人々の慈悲には限あり。不憫なりとは語りあえど、まじめに引取りて末永く育てんというものなく、時には庭先の掃除など命じ人らしく扱うものありしかど、永くは続かず。初めは童母を慕いて泣きぬ、人人物与えて慰めたり。童は母を思わずなりぬ、人人の慈悲は童をして母を忘れしめたるのみ。物忘れする子なりともいい、白痴なりともいい、不潔なりともいい、盗すともいう、口実はさまざまなれどこの童を乞食の境に落としつくし人情の世界のそとに葬りし結果はひとつなりき。 戯れにいろは教うればいろはを覚え、戯れに読本教うればその一節二節を暗誦し、小供らの歌聞きてまた歌い、笑い語り戯れて、世の常の子と変わらざりき。げに変わらずみえたり。生国を紀州なりと童のいうがままに「紀州」と呼びなされて、はては佐伯町附属の品物のように取扱われつ、街に遊ぶ子はこの童とともに育ちぬ。かくて彼が心は人々の知らぬ間に亡び、人々は彼と朝日照り炊煙棚引き親子あり夫婦あり兄弟あり朋友あり涙ある世界に同居せりと思える間、彼はいつしか無人の島にその淋しき巣を移しここにその心を葬りたり。 彼に物与えても礼言わずなりぬ。笑わずなりぬ。彼の怒りしを見んは難く彼の泣くを見んはたやすからず、彼は恨みも喜びもせず。ただ動き、ただ歩み、ただ食らう。食らう時かたわらよりうまきやと問えばアクセントなき言葉にてうましと答うその声は地の底にて響くがごとし。戯れに棒振りあげて彼の頭上に翳せば、笑うごとき面持してゆるやかに歩みを運ぶ様は主人に叱られし犬の尾振りつつ逃ぐるに似て異なり、彼はけっして媚を人にささげず。世の常の乞食見て憐れと思う心もて彼を憐れというは至らず。浮世の波に漂うて溺るる人を憐れとみる眼には彼を見出さんこと難かるべし、彼は波の底を這うものなれば。 紀州が小橋をかなたに渡りてより間もなく広辻に来かかりてあたりを見廻すものあり。手には小さき舷燈提げたり。舷燈の光射す口をかなたこなたと転らすごとに、薄く積みし雪の上を末広がりし火影走りて雪は美しく閃めき、辻を囲める家々の暗き軒下を丸き火影飛びぬ。この時本町の方より突如と現われしは巡査なり。ずかずかと歩み寄りて何者ぞと声かけ、燈をかかげてこなたの顔を照らしぬ。丸き目、深き皺、太き鼻、逞ましき舟子なり。 「源叔父ならずや」、巡査は呆れし様なり。「さなり」、嗄れし声にて答う。「夜更けて何者をか捜す」「紀州を見たまわざりしか」「紀州に何の用ありてか」「今夜はあまりに寒ければ家に伴わんと思いはべり」「されど彼の寝床は犬も知らざるべし、みずから風ひかぬがよし」、情ある巡査は行きさりぬ。源叔父は嘆息つきつつ小橋の上まで来しが、火影落ちしところに足跡あり。今踏みしようなり。紀州ならで誰かこの雪を跣足のまま歩まんや。翁は小走りに足跡向きし方へと馳せぬ。 |

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