今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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7月26日、幽霊の日

 平成19年7月26日(木)柏崎刈羽原発:被害深刻、運転再開までに「最低1年」。


 ◇ 仏教系大学が古都で苦戦、定員割れでイメチェンも(7月26日)

 多くの仏教宗派の本山を抱える京都で、僧侶の子弟らが通う仏教系大学が近年、定員割れに苦しんでいる。中には看板の「仏教」を学部名などから外してイメージ一新を図る大学も。少子化に加え「一般大学卒業後に僧侶の資格を得るケースが増えたからでは」と大学の担当者は指摘する。

 弘法大師空海ゆかりの種智院大(京都市伏見区)は仏教学部(定員640人)だけの単科大。ことし4月、学部名を2008年から「人文学部」とする変更届を文部科学省に提出した。

 臨済宗系の花園大(同市中京区)は2002年、仏教学科を「国際禅学科」に改称したが、2004年以降も定員割れが続く。浄土宗系の仏教大(同市北区)は定員を満たすものの、3年前に仏教学科が姿を消した。真宗大谷派系の大谷大(同市北区)では宗祖・親鸞の教えを学ぶ真宗学科が2年連続で定員割れ。



 7月26日は、【幽霊の日】です。
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 1825年(文政8年)、浅草中村座で四世・鶴屋南北作『東海道四谷怪談』が初演。
 東海道四谷怪談は、夫・民谷伊右衛門に毒殺された四谷左門の娘お岩の復讐話で
 江戸の町に実際に起こった事件をモデルにしています。

 愛を裏切り、毒を盛った民谷伊右衛門を呪い殺そうとするお岩様の亡霊。
 そして最後に伊右衛門は、四十七士の一人、佐藤与茂七に討たれます。

 もともと『東海道四谷怪談』は、1825年7月の初演では、『忠臣蔵』と併演されました。伊右衛門は、討ち入りに加わろうとしなかった不忠義な家臣という設定。そして初日に『忠臣蔵』前半と『四谷怪談』前半を、二日目に『四谷怪談』後半と『忠臣蔵』後半を組み入れることで、光と影、忠義と不忠義を合せ鏡のように見せ、互いを際立たせる演出です。

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 ◇ 元祖「うらめしや〜」、鶴屋南北

 わが国の幽霊は、「うらめしや〜」がお定めですが、これは『四谷怪談』の「ただ恨めしき伊右衛門殿、喜兵衛一家の者どもも、なに安穏におくべきや。思えば思えば、ええ恨めしい」という、お岩様のセリフが始まりだとか。鶴屋南北の台詞が今も尚生き続けるいると思えば、南北の霊も浮かばれよう。

 この演目、三代目・尾上菊五郎が大坂へと出向くお名残狂言として企画されたもの。上演の内容とは関係なく、彼が江戸から大坂へと下るため『東海道』と付けたのです。しかし、菊五郎は結局、大坂には行かなかったとか。
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 ◇ 田宮稲荷神社跡(都旧跡:新宿区左門町17番地)(通称:於岩稲荷)

 文化文政期に江戸文化は爛熟期に達し、いわゆる化政時代を出現させた。歌舞伎は民衆娯楽の中心になった。「東海道四谷怪談」の作者として有名な四代目鶴屋南北(金井三笑の門人で幼名源蔵、のち伊之助、文政12年(1829年)11月27日歿)も化政時代の著名人である。「東海道四谷怪談」の主人公・田宮伊左衛門(南北の芝居では民谷伊右衛門)の妻お岩を祭ったお岩稲荷神社の旧地である。物語は文政10年(1827年)10月名主茂八郎が町の伝説を集録して、町奉行に提出した「文政町方書上」にある伝説を脚色したものである。明治5年ごろお岩神社を田宮稲荷と改称し、火災で一時移転したが、昭和27年再びここに移転したものである。 東京都教育委員会

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 ◇ 「お岩さま」は美人で貞淑、幸福な生涯を全うされました

四谷怪談で有名な「お岩さま」は、江戸の初期、四谷左門町で夫を助け、健気な一生を送った女性で、左門町にある「於岩稲荷田宮神社」はそのお岩さまを祀っています。

お岩は徳川家の御家人の田宮又左衛門の娘で、夫の田宮伊左衛門とは人も羨むとても仲のいい夫婦だった。しかし、30俵3人扶持というから毎年の俸給は16石足らずで、田宮家の台所はいつも火の車だった。お岩夫婦は家計を支えるために商家に奉公に出て働き、またお岩が屋敷社を熱心に信仰したこともあり、田宮家はかつての隆盛を取り戻した。

お岩は美人で貞淑な女性であったと言われており、そのお岩の熱心な信仰のために田宮家が復興したという話は、たちまち江戸の評判になり、人々はお岩の幸運にあやかろうとして、屋敷社を「お岩稲荷」と呼んで参拝し、信仰するようになったとか。

お岩が亡くなってから200年後の江戸時代後期、鶴屋南北の脚色で…

依然として衰えを知らないお岩の人気に注目したのは歌舞伎作家の鶴屋南北。南北は、美人で貞淑と評判が高いお岩という名前を使って歌舞伎にすれば大当たり間違いなしと踏んだ。しかし、過激な刺激を好む江戸で人気を取るには脚色が必要だった。お岩が只の善人ではおもしろくない。そこで南北は、お岩の名前だけを拝借し、あとは当時江戸で発生したさまざまな事件をドラマティックに組み合わせて物語を創作する。

 密通のために戸板に釘づけになった男女が神田川に浮かんだ事件、人気役者が姦通の相手に図られて殺された事件、その他、江戸の人なら誰でも記憶しているさまざまな事件を、持ち前の空想力で操って歌舞伎の脚本はできあがった。(何でも、ぶっこんだれってカンジ?)

四谷左門町の浪人・民谷伊右衛門は、不義をした上、妻のお岩を毒殺し、その亡霊に報復されるというショッキングなストーリーだった。天才的な劇作家が虚実織り混ぜて創作したのが、いまだに歌舞伎では人気の出し物のひとつであるお岩の怨霊劇だった。江戸が最も華やかで、文化が爛熟したと言われた文政8年(1825)、浅草の中村座で初演された。お岩は三代目尾上菊五郎、伊右衛門は七代目市川団十郎。果たせるかな『東海道四谷怪談』は大当たりになり、江戸中の話題をさらった。以来、お岩の役は尾上家の「お家芸」になった。

その後、この「於岩稲荷神社」は、歌舞伎に出演した役者がたびたび参拝するようになった。そのうちに、上演前に参拝しないと役者が病気になるとか事故が起こるといった話にまで発展するようになった。怪談であるためトリックを多用し、道具だても巧妙で複雑、障害物も多かった。照明も暗く、天井からの吊るし物も多数あった。そんな中で芝居をするのだから、事故や怪我が多いのはごく当たり前のことだった。それが怪談にからめて「祟り」とされていった。

明治12年(1879年)の四谷左門町の火事で社殿が焼失したのを契機に、隅田川の畔にあった田宮家の敷地内にも同体の神社がつくられた。これが現在の中央区新川にある「於岩神社」である。四谷左門町には小祠だけが残ったが、太平洋戦争の戦火で焼失した。その後、昭和27年(1952年)に現在の現在の「於岩稲荷田宮神社」が再建・復興興された。神社は東京都の史跡として指定されている。

 福を招き、商売繁盛の御利益があり、芸能の成功にはことさら霊験あらたかということで、今でも参拝の人が絶えることがない。

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 ◇ 妙行寺(東京都北区西巣鴨4丁目にある日蓮宗のお寺)

 お岩さまのお墓がある事で有名。明治42年(1909年)に四谷から移転してきたもの。お岩さまのお墓のほかに、「魚河岸供養塔」、「うなぎ供養塔」、赤穂浪士の浅野氏のお墓などが御座います。


 【参照】幽霊の暑中見舞いは、♪ユーレイヒー♪
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/16471887.html

 【参照】7月26日、「国家安康」鐘銘事件
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/13924044.html


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 ※ 【ユーレイの日】に、山本昌が4度目の2軍落ち。
   昌の200勝今季達成は、ユーレイのように、すうーっと消えました。

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ゆーれいひー 暑中御見舞い申し上げます。
お岩様のお顔を見ると,暑さも何所へやら。私は、臆病のくせに、怖いもの見たがりですね。度胸試し、いいね、いいね、一番に手を挙げます。

2007/7/26(木) 午後 0:07 [ kaz*_51** ]


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