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◇ 久間発言と「神の摂理」「祈りの長崎」 原爆忌を評して、「怒りの広島、祈りの長崎」といわれる。 世界に強い怒りのメッセージを放つ広島に比べ、 長崎原爆忌では、「核の犠牲者は私たちを最後に」 との静かな祈りに包まれる。 長崎原爆忌に祈りのイメージを定着せしめたのは、永井隆博士といわれる。 手記『長崎の鐘』での「祈りの長崎」のイメージは多くの県民を癒した。 被爆の中心地・浦上地区はクリスチャンが多い地域だった。自ら被爆しながら救護活動に従事して、「聖者」とたたえられた永井博士は「神の摂理」を説いた。戦争という愚かな殺し合いに狂奔した人間の罪に対して神が罰を与えたのだ、と。長年、数々の苦難にさらされてきた信者にとっても、その言葉は救いでもあったのだ。 『批判精神やむことなく』山田貴己(よしき、38歳、長崎新聞記者) (2003年8月4日長崎新聞掲載) 「神の摂理によって爆弾がこの地点にもち来らされた」「世界大戦争という人類の罪悪の償いとして、日本唯一の聖地浦上が犠牲の祭壇に屠られ燃やさるべき潔き羔(こひつじ)として選ばれた」 自ら被爆し救護活動に従事した故永井隆博士(1908〜1951)は、長崎・浦上に投下された原爆について、著書「長崎の鐘」でこう記している。「浦上の聖者」とたたえられたカトリック信者の永井博士は、長崎市名誉市民であり天皇の見舞いも受けた人だ。 父・山田かんは1972年、雑誌に掲載された「聖者・招かざる代弁者」で、永井博士の言説について「『原爆』の内質としてある反人類的な原理をおおい隠すべき加担にほかならなく、民衆の癒しがたい怨恨をそらし慰撫する、アメリカの政治的発想を補強し支えるデマゴギー(事実に反する扇動的な宣伝)」などと厳しく指摘。批判の姿勢を崩すことはなかった。 掲載当時、家庭内にはタブーに触れた恐れのような、うっすらとした不安感が漂っていたのを覚えている。それでも父は「差別され被爆したカトリック信者は永井の言葉に救われたかもしれない。だが『原爆は神の摂理』という永井の言説は、長崎原爆に神や祈りのイメージを付加し被爆者を沈黙させ、原爆による大量虐殺の本質、使ったアメリカの罪悪を覆い隠す役割を果たした」と語っていた。 永井博士の言説の意味や社会への影響については、特に近年、地道な研究も進んでおり、賛否両論がある。 父は、被爆体験と非常なる読書量で得た知識、言葉と論理の研鑽によって、多岐にわたり怒りの意志を表現した。平和祈念像とその制作者、浦上天主堂を取り壊した長崎市、白馬の天皇、核を作動させ保有する権力、その権力におもねる権力…。これらに対する怒りだ。 被爆五十八周年のこの夏、私は、父の詩集や今も長崎原爆の象徴的位置にあり続ける永井博士の著書などを読み返し、父の怒りの意味を考えている。まだ時間がかかりそうだが、未来を見据えるため、被爆地長崎がこの五十八年間で何を積み上げ、置き去りにしてきたのかをとらえる上で必要な作業だと思っている。 父が息を引き取る十時間ほど前、有事関連法成立などについて父と会話した作家の中里喜昭さん(67)は、告別式の弔辞で「きみは、はらはらするようなほんとのことを、けっして飾らない言葉でそのまま言ってしまう恐ろしい詩人でした」と述べた。 母・和子(69)は「批判精神の裏側には人間に対する優しさがあったのだと思う。だからこそ、無残な死に方を強いた戦争と原爆に怒り、それを覆い隠すすべてのものにも憤り続けたのかもしれない」と話す。(『批判精神やむことなく』おわり) ※ 山田かんは、原爆は罰ではなく、キリスト教の地・米国が同じ信者を含む人々の頭上に落とした大量殺人爆弾だと断じた。そして、戦後占領下のGHQに永井説は大いに歓迎され、大量虐殺の本質や米国の罪悪を覆い隠す役割を果たしたと、山田かんは指弾した。(永井博士は、反ソ・反共の傾向が顕著だった。) 山田かんは死の床で、最期のメッセージをこう残した。 「言い過ぎてもいい。そこから変化は生まれる。思考を停止するな」。
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旧約聖書「ヨシュア記」のせいでしょうか?異教徒、異邦人は人類にあらずっと。これじゃ、永遠に平和などこないでしょう。
2009/1/5(月) 午前 0:17