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平成19年8月17日(金)昨夜:原巨人5連敗で首位陥落。ただ只、暑苦しい。 <阪神2−3中日> 16日 京セラドーム大阪 8回裏、微妙な判定を巡り岡田監督が審判に抗議、今季2度目の退場処分。 1点が届かず、中日は逃げ切り。岡田監督は試合後も無言のまま帰路に。 (明らかに岡田監督が正しかった。審判は熱中症だったんだろう?) 鳥谷の放った一打は二塁・荒木へのゴロ。だが、二塁ベースに入った井端へのグラブトスに失敗してポロリと落とし、慌てて拾って再びトスしたが…。誰が見ても、一塁走者・藤原の足が先に二塁に到達していた。しかし二塁・井野塁審はアウトの判定だった。 1949年8月17日、松川事件が起きました。 松川事件とは、鉄道のレール外しによる意図的な列車往来妨害事件。 下山事件、三鷹事件と並び、1949年夏の国鉄三大ミステリーの一つ。 (下山事件<7/5>、三鷹事件<7/15>、松川事件<8/17>) 1949年(昭和24年)8月17日午前3時9分(占領中でサマータイムが導入されており、現在の午前2時9分)頃、福島県信夫郡松川町を通過中だった東北本線上り列車が脱線転覆した事件。現場は、東北本線松川駅−金谷川駅間のカーブ入り口地点だった。 転覆地点の線路継目部のボルト・ナットが緩められ、継ぎ目板が外されているのが確認され、さらにレールを枕木上に固定する犬釘も多数抜かれており、長さ25mのレールが13mも移動されていた。 謀略事件の狙い 捜査当局は、この事件を当時の大量人員整理に反対していた、東芝労組、国鉄労働組合と日本共産党の謀議による犯行と断定。犯人と目した労働組合関係者達を次々に逮捕・起訴する。一審、二審では有罪となるものの、裁判が進むにつれ被告らの無実が明らかになり、作家の広津和郎が中央公論で無罪論を展開した。 また宇野浩二・吉川英治・川端康成・志賀直哉・武者小路実篤・松本清張・佐多稲子らの作家・知識人の支援運動が起こり、世論の関心も高まった。1959年、最高裁で高裁差し戻し。検察の隠していた「諏訪メモ」(被告達のアリバイを証明する文書)が明るみに出て謀議がそもそも成立しなかったことが判明し、1963年全員無罪が確定する。 ※ 占領国・ニッポンは、GHQの掌中にあった。米軍のシナリオで日本が動かされていた時代。冤罪事件などではなく、明白な謀略事件。そんな時代が、今も続いているなんて思いたくないけれど…。 ※ いろいろな 出来事あって ひと齧り |

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松川事件が起こったとき、私は目白の寮にいました。女子大の夏季スクーリングを受けていました。岐阜から東京まで鈍行でほぼ、半日、東海道線をエッチラオッチラと上京したのです。下山事件、三鷹事件と続いており、帰りの汽車は大丈夫かしらと心配しました。
2007/8/19(日) 午前 4:18 [ kaz*_51** ]