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平成19年8月30日(木)期限切れ弁当を飼料に:セブンイレブン。ローソンは昨4月。 セブン&アイ・ホールディングスは9月1日から、傘下のコンビニ「セブン−イレブン」の東京23区内の約1千店で、賞味期限切れで廃棄する弁当や食品を冷蔵回収し、豚や鶏の飼料にするリサイクル事業を始める。千葉県内のリサイクル会社と連携し、1日約15トンの廃棄食品を飼料化。今後、千葉や埼玉などでも飼料化を進める考え。 コンビニ業界では、ローソンが昨年4月、首都圏約千店から出る廃棄食品の飼料化を始めた。国内自給率の低さから飼料の需要が高いことに加え、期限切れ弁当など廃棄食品の扱いは業界の課題となっており、リサイクル化の流れは今後、より活発化しそうだ。 ※ 資源の有効活用で、食べ物を無駄にしない意味でも大いに結構だが、横流し防止にはしっかりとした監視体制も不可欠。中国に笑われないようにしたいものだ。 ※ たまたま私は昨日、サークルKでEdyカードを購入(カードを3百円で買うというのも納得いかないけれど…)。早速、金一万円也をチャージしておきました。小銭の出し入れがなくなる、財布を持たなくても買い物ができる…、程度のものですけど。 8月30日は、【富士山測候所完成記念日】です。 1895年8月30日、気象学者・野中至(いたる)氏が富士山頂に私費で測候所を 開設しました。現在の気象庁富士山観測所の前身となる。
1895年(明治28年)8月30日、気象研究家の野中至氏が私財を投じて富士山剣ケ峰に6坪の私設観測小屋を完成させた「富士山測候所完成記念日」です。その年の冬、野中氏は千代子夫人と共に、山頂越冬観測に文字通り命がけで挑みますが、夫婦共に病に倒れ12月にやむなく下山。元気象庁職員で富士山測候所の勤務経験もある作家の新田次郎の小説『芙蓉の人』は、この野中夫妻を主人公にした越冬観測の物語。夫妻は病に倒れ成功しなかったが、富士山頂の気象観測の歴史は、この野中夫妻ぬきに語ることは許されない。 野中夫妻が夢見た富士山頂での通年気象観測は、1932年(昭和7年)になってようやく実現します。最初の挑戦から37年を経ての達成ですが、やはり当時の装備や物資は貧弱で、常に危険と隣り合わせの観測であることに変わりはありませんでした。 1964年(昭和39年)9月には、気象観測や台風予報のための富士山レーダーが完成します。その設置工事は困難を極め、あの『プロジェクトX』の第1回放送で「巨大台風から日本を守れ〜富士山頂・男たちは命をかけた〜」として取り上げられました。 富士山レーダーは1999年11月にその役割を終えて撤去され、現在は富士吉田市の体験学習施設「富士山レーダードーム館」に展示されています。有人の気象観測は、2004年10月1日に幕を閉じました。 ◇ 富士山レーダーの使命 天気は上空から変わってくる。天気予報をする際、上空の気象データは非常に重要な資料になる。今日では、気象衛星の画像や気象レーダー、定時に飛ばす観測気球などから地球規模で上空の気象データが得られます。しかし、日本で近代的な天気予報が始まったばかりの明治の頃は、高い空の状況を知る術はなかった。 「富士山があるじゃないか」、そう考えた先人がいました。山頂は3776メートル。山頂での地上観測は、そのまま上空の気象観測にもなる。その人こそ野中至さん。1895年(明治28年)末、千代子夫人とともに極寒の山頂で越冬観測に挑んだ。 「天気予報が当たらないのは、高層気象観測所がないからなのだ。天気は高い空から変わってくるだろう。その高い空の気象が分からないで天気予報が出せるわけがない。富士山は3776メートルある。その頂に気象観測所を設置して、そこで一年中、気象観測をつづければ、天気予報は必ず当たるようになる…」。『芙蓉の人』の一節にある野中至の思い。 富士山での越冬観測は、中央気象台(気象庁の前身)の佐藤順一が1930(昭和5)年1月に果たした。通年観測はその2年後の1932年、佐藤の小屋があった山頂東安河原に建設された「中央気象台臨時富士山頂観測所」で始まった。野中至の夢は、夫妻の命がけの越冬観測から37年後に実現した。 ◇ 富士山頂は神様のもの 富士山の山頂部分(8合目以上)の殆どが富士山本宮浅間大社の所有に属します。 富士山測候所や登山道などを除いた約96%の土地が、富士山本宮浅間大社の所有物とのこと。かつては私有化反対運動も展開されたそうですが、1974年の最高裁判決に基づき、無償譲与の通知書が神社に交付されております。 |

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