今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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9月9日、重陽の節句

 平成19年9月9日(日)昨夜:阪神、怒涛の9連勝。原ジャイアンツを撃破、奪首。

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 9月9日は、「重陽の節句」です。(菊の節句)

 五節句の一つ。奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なることから
 「重陽」と呼ばれる。おめでたい日とされ、邪気を払い長寿を願って、
 菊花をかざり酒を酌みかわして祝った。


 ◇ 『甘谷(かんこく)の水』 槇 佐知子

 今からおよそ三千年前の周という国の五代目の王に穆王(ぼくおう)という方がおりました。穆王は翼を持っているかのように自在に駆ける馬・天馬に乗って遠く崑崙山脈を越え、印度シャエ国に行き、お釈迦様を訪ねました。

 「ようおいでなされました。わたくしの説く仏法の中に、国を治めるのに大切な教えがあります。あなたはそれを、お聞きになりますか」、「ぜひ拝聴して、民が安心して暮らせるような国にいたしとうございます」。そこでお釈迦様は八つの偈(げ)を穆王にお授けになりました。穆王はそれを大切に心に刻み、五十五年のあいだ世を治めたのです。そして百五歳のとき、位を第六代の共王にゆずりました。

 その穆王の侍者に慈童という少年がおりました。慈童は穆王が疲れたとき、足や腰、肩などを踏んで、血液のめぐりを良くする役目もしておりました。あるとき慈童は、誤って足をすべらせ、穆王の枕を蹴ってしまいました。それは大問題となり、子供のため死罪は免れましたが、れき(麗+おおざと)県山に追放されました。

 れき県山は人の近づかぬ険しい山で、深い谷間に獣や鋭い鳥の声がこだまし、山中に入って帰った者はない、と言われていました。穆王は慈童を哀れに思い、毎朝、身を清めて唱えるようにと、お釈迦様から戴いた八句の偈の二句を与えました。

 れき県山の谷沿いには、菊がたくさん生い茂っていました。慈童はかたわらの菊の葉に偈を記しては唱え、唱えては記し、日をかさねました。菊の葉に宿った露が落ちて土にしみ、しみた露はやがて谷川にそそぎました。また、その菊のはなびらは谷川に散り落ちて、淵に沈み、何年も、何十年も過ぎてゆきました。いつのまにか、谷川の水は甘露のようになり、その味わいはどんなご馳走よりも、心とからだを蘇えらせました。

 慈童はこの谷川の水を飲んでいたせいか、肌も髪も、目も耳も、少年の日のままでした。それだけではありません。この谷の下流に住む、三百軒以上の家の人々も、病気にかからなくなり、みな百歳以上の長寿を保ちました。この谷川は甘谷と呼ばれるようになり、谷川の水を甘谷水と呼んで、不老不死の水として評判を呼びました。

 こうして時は流れ、世は移り、ハ百年がたちました。そして曹操の子、魏の文帝のとき、仙人となっていた慈童は彭祖(ほうそ)と名を変え、菊によって長寿を保つ術を文帝に授けました。

 文帝は菊の花を盃に受けて寿命をのばす、菊の宴を催しました。それが九月九日の重陽の節句として、わが国にも伝わっております。【出典】三国伝記 

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 ◇「慈眼視衆生、福聚海無量」 観音経(法華経普門品)

 観音経は、観世音菩薩の慈悲の心を信じて名前を唱えれば、必ず救ってくれると説いたもの。「慈悲の目を持って人々を眺めている、その福の集まる姿は無量である」。(具一切功徳、慈眼視衆生、福聚海無量、是故応頂礼)

ぬれてほす山路の菊のつゆのまに いつか千歳を我は経にけむ  素性法師


 ◇ 四海領掌の偈(帝王の偈)

 穆王は周の第五代の王。八駿の駒を御し霊鷲山の釈尊の説法の席に連なった穆王は、釈尊から四海領掌の偈(帝王の偈)を授かる。『法華経』四要品からの八句で、穆王はこれを秘して人に語る事はなかった。

 十方仏土中 唯有一乗法(方便品)
 観一切法  空如実相 (安楽行品)
 仏語実不虚 如医善方便(寿量品)
 慈限視衆生 福聚海無量(普門品)

 穆王は慈童という侍者を寵愛していた。この童子が罪を犯した。「或ル時、慈童君ノ空位ヲ過ギケルガ、誤テ帝ノ御枕ノ上ヲゾ越エケル」、これが問題になった。群議は「死一等ヲ宥テ遠流」と決し、「此ノ山ヘ入ル人ノ、生テ帰ルト云フ事ナシ」というレッケン山へ配流された。

 「穆王、猶慈童ヲ哀ミ思召ケレバ」、釈尊から直に授けられ、故に尊く誰にも伝えることの無かった四海領掌の八偈の内の普門品の二句を密かに慈童に授けた。「毎朝ニ十方ヲ一礼シテ、此文ヲ唱フ可シ」との天子の言葉を胸に、慈童は刑に服した。

 慈童はこの二偈を菊の下葉に書き付け、そして、「其ヨリ此菊ノ葉ニオケル下露、僅ニ落テ流ルゝ谷ノ水ニ滴リケルガ、其水皆天ノ霊薬ト成ル」。

 この水を飲んだ慈童は、老いることなくその若さを八百年保ち(『菊慈童』では七百年、史実に照らせば千年以上)、魏の文帝の使者の前に姿を現す。使者の口より彼は穆王の死を聞き、己一人八百年を老いることなく生き延びてきたことを初めて知る。彼が穆王より授かり、今は彼のみが知れる尊い二句の偈を文帝に捧げる。そして「此文我朝ニ傳ハリ代々ノ聖主御即位ノ日、必ズ是ヲ受持シ給フ」。これが重陽の節句に不可欠な菊の酒の起こりであり、又、法華経の霊験の称揚でもある。

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 ◇ 千年の時を越えて、穆王が言霊甦る

 慈童と勅使、互いに理解しがたい両者。仙界と人間界とがタイム・スリップ。勅使の目には、悠久の時を「今まで生ける者あらじ。化生の者」としか映らない。そこで、慈童は帝から賜った二句の偈を書き添へ賜った御枕を指し示す。二人が「具一切功徳 慈眼視衆生。福聚海無量 是故応頂礼」を唱和した時、枕の霊が声を発する。

 此の妙文を菊の葉に、置く滴りや露の身の
 不老不死の薬となりて、七百歳を送りぬる
 汲む人も汲まざるも、延ぶるや千歳なるらん


 ◇ 「菊水の紋」

 戦国の武将・楠木正成は「菊水の紋」を家紋にしていました。この慈童の不老長寿伝説にあやかった家紋です。神戸の湊川神社は楠木正成を祀った神社ですが、当然の如く神紋も「菊水」です。


 【参照】9月9日、烏相撲
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/19147249.html

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誠に善く学問をなさって居られますね。大傑作

2008/7/21(月) 午後 8:41 [ f u k o ]


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