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平成19年10月20日(土)昨夜:セCS第2戦、G4番李が2併殺、D李は絶好調。 <巨人4−7中日>(19日)東京ドーム 第1戦は高橋由が5タコ、昨夜は李が2併殺の大ブレーキ。ここにきて2週間のブランクが問題視されるが、さにあらず。落合ドラゴンズが短期決戦のゲームに、しっかりと対応してきた成果が顕れたもの。レギュラーシーズンとは違うゲームスタイルが、原ジャイアンツには無いと言う事。 10月20日は、『きけわだつみのこえ』が出版された日です。 1949年10月20日、戦没学生の手記『きけわだつみのこえ』が出版されました。 ◇『きけ わだつみのこえ』 第二次世界大戦末期に戦没した日本の学徒兵の遺書を集めた遺稿集。1947年に出版された東京大学戦没学徒兵の手記集『はるかなる山河に』に続いて、1949年に出版された。 BC級戦犯として死刑に処された学徒兵の遺書も掲載されている。編集顧問として、渡辺一夫、真下信一、小田切秀雄、桜井恒次が関わった。 この刊行収入を基金にして、戦没学生記念・わだつみ像が製作され、立命館大学で展示されています。 学徒兵の遺稿を出版する際に、全国から書名を公募しました。応募のあった約2千通の中から京都府在住の藤谷多喜雄さんのものが採用されました。藤谷氏の応募作は「はてしなきわだつみ」であったが、それに添えて応募用紙に「なげけるか/いかれるか/はたもだせるか/きけはてしなき/わだつみのこえ」という短歌が添付されていた。この詩は本書の巻頭に記載されています。 「わだつみ」は戦没学生をあらわす普通名詞のように使われますが、「わたつみ(わだつみ)」は海神(Father Neptune)を意味する古語です。 ◇『母へ最後の手紙』林市造 京大経済学部学生 昭和20年4月12日、特別攻撃隊員として沖縄にて戦死、享年23。 お母さん、とうとう悲しい便りを出さねばならないときが来ました。親思う心にまさる親心今日のおとずれなんときくらん。この歌がしみじみと思われます。ほんとに私は幸福だったです。わがままばかりとおしましたね。けれども、あれも私の甘え心だと思って許してくださいね。晴れて特攻隊員と選ばれて出陣するのは嬉しいですが、お母さんのことを思うと泣けてきます。母チャンが私をたのみと必死でそだててくれたことを思うと、何も喜ばせることができずに、安心させることもできずに死んでいくのがつらいです。 私は至らぬものですが、私を母チャンに諦めてくれ、と言うことは、立派に死んだと喜んでください、と言うことは、とてもできません。けどあまりこんなことは言いますまい。母チャンは私の気持をよく知っておられるのですから。 ◇『情けある母の哀訴嘆願』 平井聖 東北大法学部学生 昭和20年7月9日仙台にて爆死、享年20。 またしても母の転科をすすむるますます激しくなった。ただひとりの息子、その成長ばかりを願ってきた母は、わが子をみすみす戦場に死なせるのはけだし“願わざるのはなはだしき”ものであろう! この憂いその心配はまるで狂気のごとく、母としてはほとんど泣かんばかりの真剣な態度で自分に哀訴するのであった。説き去り説き来たりためつなだめつ一生懸命説得するのであった。 最初理科方面への転向慫慂は、「将来大学を出よ」との打算的な考えにすぎなかったようであるが、今や母親の本能は敏感に 我が子の血の臭いを嗅いでいる! 的確に“死”の予想をしていたようであった。もちろん飛行機に乗れば当然生命はなく、「仙台青葉師団」の戦闘幹部にでもなれば、これまた当然生還の目算は立たぬのである。そぞろ母親は感慨深く、「お前の性格からしても猪突猛進してついには生命を失くすであろう」という。いかに我が性格はわざわいなるかな、自分もそう思っていたところをズバリ言い当てられたので愕然とした。しみじみ自分の一徹な性格をば嘆く! しかもこの若さにおいて散ることこそ、自分の最も本望とするところ、だが両親の考えは、一概に自由主義思想の残滓的感情とばかりはいい切れない。心中で泣いて合掌しながらも表面ではただただ微笑をたたえて、情けある母の哀訴嘆願に対さねばならない。この矛盾そしてこのジレンマ、自分は二つの相反した魂の葛藤に、心苦しくも泣き、果ては慟哭したのであった! お母さん、お気持ちはようくわかります。しかし時代とわれわれの教養がお言葉にそうのを許さないのです。どうぞ先立つ不幸はおゆるしください。 ◇ 雨の神宮外苑「学徒出陣壮行会」 昭和18年(1943年)10月21日 明治神宮外苑の国立競技場で2万5千人の学生の出陣壮行会が行われた。戦況悪化に伴い、20歳以上の学生の兵役免除が解除され、戦地に赴くことになったもの。見送る女子学生ら約5万人 文部省から通達された壮行会の目的は、「学生たちに戦場に赴く決意を促し、意識を昂揚する」とあった。そのため大観衆が集められることになり、女子学生や旧制高校生らが動員された。これら若き人々の胸中や如何。東條首相の訓示、そして出陣学生代表の答辞、最後には「海ゆかば」の大合唱で壮行会の幕を閉じた。この壮行会の出陣学生のうち、戦死した者約三千人。 東條英樹は敗戦後、家族らに「一切語る勿れ」と言い遺して、絞首台に消えた。 ◇ 皇后さま、73歳の誕生日 皇后さまは20日、73歳の誕生日を迎えられた。宮内記者会の質問に文書で回答し、「祖母として幼い者と接する喜びには、親として味わったものとも違う特別のものがある」と4人の孫たちへの思いを綴った。皇居で朝の散歩中、実を付けたジュズダマの茂みを見つけ、天皇陛下と少しだけ実を採ったといい、「毎年集めると、いつか針の持てるようになった愛子と首飾りを作って遊べるかもしれません」と成長した愛子さまの姿に思いを馳せた。 高校生、中学生となった秋篠宮家の眞子さま、佳子さまのお姉さまぶりには、「小さなお母さんのよう」「十分に手加減を知った無造作さで、抱いたり着替えさせたりしている姿や、小さな愛子が、自分よりさらに小さい悠仁のかたわらでそっと手に触っていたりする姿を本当に好もしく、かわいく思います」と記しています。 |

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私の兄が、東京の球場で「学徒出陣壮行会」に出ました。あの中からもたくさんの若い人が戦死しております。『きけわだつみのこえ』を今の若い人に読んでもらいたいですね。
2007/10/21(日) 午前 4:03 [ kaz*_51** ]