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平成19年10月24日(水)薬害肝炎大阪訴訟:国が一転、フィブリノゲン投与認める。 薬害肝炎大阪訴訟で、被告の国側が血液製剤フィブリノゲン投与を否定していた40代の原告女性について、厚生労働省は23日、一転して投与事実を認める方針を決めた。製薬企業が提出した418人の患者の症例一覧に含まれていることを確認したため。 10月24日は、超音速旅客機コンコルド、ラスト・フライトの日です。 2003年10月24日、コンコルドが最後の飛行、27年の歴史に幕を閉じました。 英航空最大手ブリティッシュ・エアウェイズの超音速旅客機コンコルドが2003年10月24日、最後の営業飛行をしました。ニューヨークを飛び立った大西洋便が同日夕にロンドンに到着したほか、スペイン沖を遊覧する特別便、ロンドンとエディンバラを往復する特別国内便も同じ頃、ヒースロー空港に戻りました。コンコルドの引退で、27年間に及んだマッハ旅行の時代は幕を下ろしました。 コンコルドは1962年、英仏が共同で開発に乗り出し、「欧州のアポロ計画」とも呼ばれました。1976年からブリティッシュ・エアウェイズとエールフランスが欧州と北米間などで定期便の運航を始めました。音速の2倍に達する速度で飛び、ロンドンとニューヨークを3時間余りで結ぶスピードが売り物でした。 しかし、コンコルドの非効率な燃費や騒音は当初から批判の的となり、利用は広がりませんでした。空の旅の大衆化に伴い、航空会社は大量の乗客を一度に運べるボーイング747など大型機の採用に傾倒してゆきます。2000年7月には、エールフランスのコンコルドが墜落し、113人が犠牲となる事故が起き、富裕層の利用も減ってゆきました。事故後のコンコルドが路線復帰を果たしたのは事故から1年3ヶ月半経った2001年11月7日のことでした。 事故の後遺症もあったことや、復帰直前に発生したアメリカ同時多発テロで顧客離れが起きたため、エール・フランスはもともと運航コストが高い割には収益が上がらなかったコンコルドの運航を2003年5月をもって終了し、ブリティッシュエアウェイズも2003年10月24日に運航を取りやめたため、全機のコンコルドが退役することになりました。今は世界各地の博物館などで、往古の勇姿を偲ぶばかりです。 ◇ コンコルド (Concorde=仏語で「協調」「調和」などの意味) イギリスとフランスが共同開発した超音速旅客機 (SST: supersonic transport) 。高度5万5,000〜6万フィートという通常の旅客機の2倍もの高高度をマッハ2.0で飛行した。定期運行路線をもった超音速民間旅客機としては、最初にして最後の航空機であった。 ◇ コンコルドの乗り心地 エンジン始動で、まず感じるのは音が大きいこと。巡航飛行に入るとマッハ2の割りには普通の旅客機よりもややうるさい程度。離陸の際はアフターバーナーを焚いて加速するので、まさに轟音そのもの。そして鼻をつくのがジェット燃料の匂い。乗客一人あたりジャンボジェットの20倍もの燃料を消費する。 離陸する時のスピードが時速400キロ以上、上昇していく角度もかなりの急角度。それからマッハ1の「音の壁」を越える瞬間。ここでもアフターバーナーを焚くため、「バーン」という音とともに一瞬だけ加速されます。操縦方法はかなり特殊なものになるはずです。 コンコルドは音速の壁を超える時の衝撃波で、他の旅客機に影響を及ぼさない為と、空気抵抗そのものを減らすために上空1万7000メートルと世界で最も高い高度を飛ぶ乗り物でした。機体の窓はハガキよりやや大きいくらいのサイズしかありません。そして窓は空気摩擦でかなり熱くなります。機首は摂氏100度を超します。 |

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