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平成19年11月2日(金)昨日:海自がインド洋撤収、給油活動6年で中断。 石破茂防衛相は1日、テロ対策特別措置法の期限切れに伴い、インド洋で給油活動に従事する海上自衛隊の補給艦「ときわ」と護衛艦「きりさめ」に撤収命令を出した。両艦船は2日午前0時で活動を終了し、日本に向けて出発。2001年9月の米中枢同時テロを受け、同年12月に始まった海自の給油活動は5年11カ月で中断した。 政府、与党は給油活動再開に向けて新テロ対策特別措置法の早期成立を目指すが、参院で多数を占める野党の反対姿勢は強く、再開の道筋は見えない状況。福田康夫首相は1日夜、対テロ新法案が参院で否決された場合、衆院での再議決も選択肢との認識を表明、成立に強い決意を示した。2日に小沢一郎民主党代表と再会談し、打開策を模索する。首相は1日午後、談話を発表。「『テロとの闘い』はわが国自身の国益にかかわる。補給活動を可能な限り早期に再開できるよう、対テロ新法案の速やかな成立に全力を尽くす」と強調するとともに、派遣隊員の労をねぎらった。 ※ 特別措置法とは、何なのか? 5年11カ月も継続された特別措置法とは、一体全体何なのか?9.11のテロ危機が今尚続くとするのは、ブッシュ政権の戦略である。日本がいつまでも彼等に追随しなければならないと言うものではない。特別措置法が解除されて旧に復することに、何の不都合があろうか。レイムダック政権に、これ以上の義理立てはむしろ外聞が悪い。 11月2日は、永観忌です。(永観律師忌) 『往生拾因』を著した京都・禅林寺の僧、永観の命日。 禅林寺は彼の名に因んだ、永観堂の名でも知られ、紅葉の名所。 ◇ 「見返り弥陀」の伝説 伝説がある。東大寺開創供養の時、一老翁が捧げた阿弥陀像を宮中で祀りになっていたが、やがて東大寺に下賜された。この阿弥陀如来像は東大寺宝蔵に秘蔵されていたのだが、たまたま永観はその尊像を拝する機会があり、尊像の奥深いところから呼びかける声を聞いた。永観は衆生済度こそ、この仏の本願であり宝蔵にしまっておくのはもったいない、と嘆いた。これが白河法皇の耳に入り、永観が護持し供養することとなった。 後年、永観が東大寺別当職を辞して、尊像を背負って京に入る際、東大寺の僧がそれを取り戻そうと追いかけて京都の木幡まできたところ、尊像は永観の背に取り付いて離れず、僧たちはあきらめたと言い伝えられている。 永保2年(1082年)、永観50歳の頃2月15日払暁、永観は底冷えのするお堂で、ある時は正座し、ある時は阿弥陀像のまわりを念仏して行道していた。すると突然、須弥壇に安置してある阿弥陀像が壇を下りて永観を先導し行道を始められた。永観は驚き、呆然と立ちつくしたという。この時、阿弥陀は左肩越しに振り返り、「永観、おそし」と声をかけられた。 永観はその尊く、慈悲深いお姿を後世に伝えたいと阿弥陀に願われ、阿弥陀如来像は今にその尊容を伝えると言われている。 みな人を渡さんと思う心こそ 極楽にゆくしるべなりけれ(千載和歌集) 上の和歌は永観律師の作で、「みかえり阿弥陀如来」のお姿を現代風に解釈すると、次のようになろう。(HPより) 自分よりおくれる者たちを待つ姿勢。 自分自身の位置をかえりみる姿勢。 愛や情けをかける姿勢。 思いやり深く周囲をみつめる姿勢。 衆生とともに正しく前へ進むための リーダーの把握のふりむき。 真正面からおびただしい人々の心を受けとめても、 なお正面にまわれない人びとのことを案じて、 横をみかえらずにはいられない阿弥陀仏のみ心。 ◇ 浄土宗西山禅林寺派・総本山 永観堂 禅林寺 |

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