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◇ 映画『私が棄てた女』 1969年(昭和44年) 監督:浦山桐郎、 出演:浅丘ルリ子、小林トシ江、河原崎長一郎、小沢昭一、加藤武、 加藤治子、露口茂、佐野浅夫ほか、原作:遠藤周作、脚本:山内久 (1997年には『愛する』のタイトルで再映画化) 監督:熊井啓、出演:酒井美紀、渡部篤郎、岸田今日子、小林桂樹、三條美紀、 松原智恵子、宍戸錠、岡田眞澄、西田健、絵沢萌子ほか ◇『わたしが・棄てた・女』 遠藤周作 貧乏学生の吉岡努が、文通で知り合った女・森田ミツの体を奪う。安宿でのたった一度の情交だけで、吉岡はあっさりとミツのことなど忘れ去る。その後、運良く就職先で上司の親戚の可愛い女性との結婚話が進んでいく。しかし、結婚する女にはなかなか手が出せないので、ふと思い出したミツを欲望のはけ口にしようと呼び出すと、ミツはハンセン病に侵されているということを知り、吉岡は去っていく。 結婚後、暫くして吉岡はふとミツのことを思い出し、ハンセン病の療養所に年賀状を書くのだった。やがて、その療養所に努める修道女から長い手紙が届いた。この「修道女からの手紙」こそが、この作品の中核をなすものです。吉岡の賀状は、「謹賀新年、病気の恢復を祈る」とだけ書かれたごく簡単なものだった。 ◇ 修道女、スール・山形の手紙 森田ミツさんに過日、お送りくださいました年賀状の御返事が、このように遅れましたことを、心からお詫び申し上げます。そして、その返事とミッちゃん(森田さんのこと、私たちも患者たちもそう呼んでいました。)に起こった出来ごとを、一日も早くお知らせしようと思いながら、多忙にまぎれ、遅延した次第でございます。 お送りくださいました御年賀状から拝見いたしますと、ミッちゃんのその後のことは、何も御存知でないようですが、実はミッちゃんは当病院で精密検査の結果、陰性反応が判明し、ハンセン氏病ではないとわかりました。こういう例は、千人に一人ぐらいの割合で起る誤診ですが、本当に彼女には大きな痛手だったと思います。 しかし、ミッちゃんはそのまま、病院に残りました。東京に帰っても同じだからと、例によって、口を大きくあけて笑いながら病院から去ろうとしません。人が嫌がるこんな世界から出ていこうとせず、ここで働かせてほしいというのがミッちゃんの希望でした。 私たち修道女は、正直な話、こういうミッちゃんの気持ちを、一時的な衝動か、感傷のように考えていました。我々修道女の言葉に、愛徳の実践というものがあり、この愛徳の実践に、修道女は生きようと心がけておりますが、愛徳は感傷でも、憐憫でもございません。私たちは、悲惨な人や気の毒な方を同情しますが、同情は、本能や感傷にすぎず、つらい努力と忍耐のいる愛ではないと、教わってまいりました。だからミッちゃんの気持ちも、病気でない幸福な人間が、病気に苦しむ患者に当然、感じる一時的な感情にすぎないのだろう、と思ったのです。 だが、そのくせ、患者さんのために働きたいというミッちゃんの申し出を私たちが受け入れたのは本当のところ、人件費を節約せねばならない(癩病院は国家の僅かな援助金と一般の御寄付でどうやら、まかなっているのです。)病院にとって、彼女が雑用をしてくれるのは、助かるからでした。病棟の掃除は、軽症患者がしてくれますが、流石に配膳や厨房の支度は、私たちの仕事でございます。また患者さんが作った農作物や刺繍などを、御殿場の商店に運ぶのは、病人たちには許されません。当然、ミッちゃんが人手不足の私たちを手伝って、こういう仕事をやってくれることになりました。 私は、今でもミッちゃんの働いている姿が、眼にうかぶようです。 あなたはきっと御存知でしょう、流行歌が好きなミッちゃんは、頭に白い布をかぶって配膳盆を食堂に並べながら、いろんな歌を、歌っていました。はじめはこんな俗っぽい歌を、大声で歌うのを嫌われる外人の修道女もおられましたが、やがて、ミッちゃんの無邪気さに、もう何もおっしゃらなくなったのです。私のような世間知らずでさえ、あの人から『伊豆の山々、日がくれて』という流行歌を教えてもらって、そっと歌ったくらいです。 流行歌の次に、ミッちゃんの好きなのは、映画でした。病院では月に二度、御殿場の映画館からフィルムを借りて、患者さんに見せるのでしたが、その日になると、ミッちゃんはそわそわして、落ち着きがなくなります。患者さんたちにまじって、食堂をかねた娯楽室に、映画がうつしだされますと、一番大声をあげて騒ぐのは、ミッちゃんでした。 そのくせ、彼女は自分で病院外の映画館には行きませんでした。一、二度私は彼女に、「ミッちゃん。日曜日なんだから、御殿場に行けばいいのに。映画みてらっしゃいよ」そう言いますと、「ううん。」彼女は首をふるのです。 「どうしたの。面白い映画、やっているでしょ」「あなたは?」「わたしは駄目よ。修道女ですもの。勝手に出られないのよ。でも、ミッちゃんは自由なんだから、行ってらっしゃいな」「わたしも、やめとく」「どうして」「だって」と、彼女は当惑したような顔をして、「患者さんたちは映画、ほかの場所では見られないでしょう。あたし一人で行けば…行けない患者さんたちに可哀想だもん」「でも、あなたは…」「いいの。映画館、一人で行ったってさ。患者さんたちのことが気になって…詰まんないんだもん」。 彼女の場合、こういう行為というのは、ほとんど自発的に出るようでした。私はさきほど愛徳とは、一時のみじめな者にたいする感傷や憐憫ではなく、忍耐と努力の行為だと生意気なことを申しましたが、ミッちゃんには私たちのように、こうした努力や忍耐を必要としないほど、苦しむ人々にすぐ自分を合わせられるのでした。いいえ、ミッちゃんの愛徳に、努力や忍耐がなかったと言うのではありません。彼女の場合には、愛徳の行為にわざとらしさが少しも見られなかったのです。 私は時々、我が身とミッちゃんとをひきくらべて反省することがありました。『汝、幼児のごとく非んば』という聖書の言葉かどういう意味か、私にもわかります。「伊豆の山々、日がくれて」という流行歌が好きで、石浜朗の写真を、自分の小さな部屋の壁にはりつけている平凡な娘。そんなミッちゃんであればこそなお、神はいっそう愛し給うのではないかと思ったのです。あなたは神というものを、信じていらっしゃるか、どうか知りませんが、私たちの信じている神は、だれよりも幼児のようになることを命じられました。単純に、素直に幸福を悦ぶこと、単純に、素直に悲しみ泣くこと、…そして単純に、素直に愛の行為ができる人、それを幼児のごときと言うのでしょう。 でも、このミッちゃんは、私が信じている神については、決して首を縦にふりませんでした。 私自身、決して、患者さんにたいすると同様ミッちゃんにも、信仰に入れなどと奨めませんでした。ただ、二、三度、私たちはこんな会話をとりかわしたことがあります。たしか、昨年の十二月のはじめだったと思います。病院には、四人ほどの小児患者がおりましたが、(子供でもハンセン氏病にかかるのか、とお思いでしょうが、実は、抵抗力の乏しい子供ほど、この病気の進行が早いのでございます。)その小児患者のなかで、壮ちゃんという六つになる子供が、肺炎になった時、ミッちゃんはつききりで、看病しておりました。ミッちゃんの子供好きというのは、病院でも有名で、この子供たちに、自分がもらう僅かな手当から、何かを、いつも買ってやるのでした。壮ちゃんは、特に、彼女になついていたようでございます。 壮ちゃんは既に、神経まで癩病に犯されていましたし、その上、急性の肺炎のため、ほとんど絶望的な状態になりました。ペニシリン・ショックを受けやすい子なので、あの特効薬も使えなかったのでございます。三日間、ほとんど寝ないで、ミッちゃんはこの子に、付添っておりました。三日目には流石にげっそりして、眼なども充血しているので、私は、彼女に自分の部屋に戻るように、強く言わねばならなかったほどです。 「でも、あたしじゃなければ、壮ちゃん、ダメなの」、氷嚢袋の氷を割りながら、彼女は首をふりました。霜焼けのできたミッちゃんの手が、青紫にふくれあがっていました。「大丈夫よ。私たちがやるから。第一、あんたがまいっちゃうじゃない」そう申しますと、「あたしね、昨晩(ゆうべ)、壮ちゃんを助けてくれるなら、そのかわり、あたしが癩病になってもいいと祈ったわ。本当よ」ミッちゃんは、真剣な顔をして、そう言うのでした。「もし、神さまってあるなら…本当にこの願いをきいてくれないかなあ」「馬鹿ね。あなたは…」私はきびしい顔でたしなめました。「眠りなさい。あんた、神経まで疲れているわよ」。 しかし私には、昨晩のミッちゃんの姿が目にうかぶようでした。この娘なら本気で手を組みあわせ、つめたい木造病棟の床にひざまずいて、壮ちゃんが助かるなら、自分がどんなに苦しくても辛抱すると、祈ったにちがいありません。もし、あなたがミッちゃんをよく御存知なら、私のこの想像が、決してウソではないとわかって頂けるでしょう。 悲しいことに、子供はそれから五日間して、息を引きとりました。ミッちゃんがその時うけた苦痛を、私はここでは書きません。ただ彼女は怒ったようにはっきり、こう申しました。「あたし、神さまなど、あると、思わない。そんなもん、あるものですか」「なぜなの?壮ちゃんが死んだから?あなたの願いを、神が、きいてくれなかったから?」「そうじゃないの。そんなこと、今はどうでもいいんだ。ただ、あたしさ、神さまがなぜ壮ちゃんみたいな小さな子供まで苦しませるのか、わかんないもの。子供たちをいじめるのは、いけないことだもん。子供たちをいじめるものを、信じたくないわよ」。 純真な小さな子供に癩という運命を与え、そして死という結末しか呉れなかった神に、ミッちゃんは、小さな拳をふりあげているようでした。「なぜ、悪いこともしない人に、こんな苦しみがあるの。病院の患者さんたち、みんないい人なのに」ミッちゃんが、神を否定するのは、この苦悩の意味という点にかかっていました。ミッちゃんには、苦しんでいる者たちを見るのが、何時も耐えられなかったのです。しかし、どう説明したらよいのでしょう。人間が苦しんでいる時に、主もまた、同じ苦痛をわかちあってくれているのが、私たちの信仰でございます。どんな苦しみも、あの孤独の絶望にまさるものはございません。自分一人だけが苦しんでいるという気持ちほど、希望のないものはございません。しかし、人間はたとえ砂漠の中で一人ぽっちの時でも、一人だけで苦しんでいるのではないのです。私たちの苦しみは、必ず他の人の苦しみにつながっている筈です。しかし、このことをミッちゃんにどう、わかってもらえるか。いいえ、ミッちゃんはその苦しみの連帯を、自分の人生で知らずに実践していたのです。
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