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平成19年12月6日(木)昨日:渡辺行革相、サッカーくじ廃止求める、文科相拒否。 渡辺行革担当相は5日、独立行政法人改革を巡って渡海文科相と会談、同省所管の独法「日本スポーツ振興センター」が運営するスポーツ振興くじ(サッカーくじ、toto)を早期に廃止するよう求めた。渡海氏は事業存続を主張、議論は平行線に終わった。 渡辺氏はサッカーくじの累積赤字が2006年度末で約260億円に上ることを指摘。「累積欠損金が増えるようなら、即刻この事業はやめてほしい」と要求した。これに対し、渡海氏は「今年の売り上げが上昇に転じた。今年度から3年間で赤字は解消できる」として、10年までの事業存続を求めたが、渡辺氏は「結論までの時間が長過ぎる。累積欠損金が解消できるなら独法である必要性の問題も出てくる」と決断を迫った。 ※ 赤字は発足当初より指摘されていたもの。そもそも「くじ」と言う名称がとんでもない詐称であり、教育を扱うべき文科省が堂々と「博打」をするとは言語道断。族議員を処断すべし。 12月6日は、黄門忌です。 水戸徳川家2代藩主、徳川光圀の命日、享年72。「水戸黄門」と称された。 諸国から学者を招聘して、『大日本史』の編纂に着手したことで知られる。 権中納言の唐名から水戸黄門と呼ばれ、光圀逝去の折は狂歌が広まった。 「天が下二つの宝つきはてぬ佐渡の金山水戸の黄門」。 ◇ 徳川光圀(1628〜1700) 1628年(寛永5年)、家康の11男・徳川頼房の3男として生れ、1661年(寛文元年)に水戸藩2代藩主に就任。光圀の最大の業績は、日本の歴史をまとめあげた『大日本史』の編纂事業。 光圀は家康の孫にあたり官職が権中納言(太政官の次官)で、これを唐名で黄門と呼ぶため水戸黄門と称した。1690年(元禄元年)、養子に家督を継がせ西山荘に隠居。1700年(元禄13年)12月6日、73歳の天寿を全うした。 『大日本史』は資料が膨大なため、光圀は完成を見ずして世を去る。編纂事業は歴代藩主に引き継がれ、約250年後の明治39年、栗田寛により全397巻をもって完成をするに至る。 助さん、格さんには実在のモデルがおります。助さんこと佐々介三郎宗淳は、光圀の命により、湊川の岸に『嗚呼忠臣楠子墓』の石碑を建てたことで知られる。格さんこと安積覚兵衛は、高名な歴史学者。 ※ 最近のテレビドラマ「水戸黄門」での歴代黄門さま:月形龍之介、東野英治郎、西村晃、佐野浅夫、石坂浩二、里見浩太朗。 |

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