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平成19年12月12日(水)昨日:年金便は受給者優先、舛添氏「全面解決」を撤回。 5000万件の2割近くに当たる945万件が統合困難とみられることについては「記録の統合作業はエンドレス。来年3月末までにすべての問題を解決すると言った覚えはない」と釈明。全面解決するとの公約を事実上、撤回。公約違反を強く否定した。 特別便は、名寄せ作業で氏名、生年月日、性別の3条件が一致した受給者約250万人を優先し、今月17日から発送を開始。3条件一致の現役加入者約600万人と、検索条件を緩和した2次名寄せで判明しそうな約100万〜200万人には、来年2月下旬以降に送る。来年3月末までに特別便が届くのは、合計で1000万人前後になるとみられる。来年10月までには、全ての加入者に届く予定とのこと。 ◇ 年金記録、1975万件は持ち主の特定困難(12月11日) 該当者不明の約5000万件の年金記録の約38.8%にあたる1975万件が、社会保険庁のコンピューター上で記録の持ち主を照合する「名寄せ」作業では、持ち主の特定が困難であることが11日、社保庁の推計で明らかになった。 中でも、社保庁による入力ミスなどが原因の945万件は、原本の紙台帳との突き合わせ作業などを行っても、持ち主が特定できない可能性があるとした。すべての記録の持ち主を特定するという政府の公約達成は、極めて困難となった。 社保庁が現在実施している名寄せ作業で、持ち主と結びつく可能性がある記録は、現時点で全体の約21.6%の1100万件にとどまっているとした。このうち、すでに年金を受給している人の記録は300万件で、現役世代である年金加入者の記録は800万件だった。300万件の記録は、受給者数にすると約250万人分にあたることから、受給者のうち少なくとも250万人が、本来よりも少ない年金しか受け取れていない可能性がある。 社保庁は今月17日から、1100万件の記録について、本人への記録確認を求める「ねんきん特別便」を発送する予定だ。一方、名寄せが困難な1975万件の記録は、(1) 死亡している可能性がある人、(2) 結婚で姓が変わった人、(3) 社保庁独自の漢字カナ変換ソフトで氏名の読みが誤って記録された人、(4) 記録のオンライン化の過程で、社保庁による氏名などの入力ミスや偽名で届け出た人、に分類された。 ※ 選挙の際に、おいしいコト言うのは政治屋さんの常道。今さら怒るほどの事でもないけれども、舛添氏も大臣になってしまうと、官僚の「バカの壁」を突き破ることが出来ず、威勢の良い言葉は奥のほうに引っ込んでしまった。 右顧左眄の股公約、年金消えて民嘆き、国疲弊して官吏あり、虚偽虚飾の吾が日本。 12月12日は、妙心寺開山忌です。(慧玄忌) ◇ 妙心寺の御開山・関山慧玄禅師(延文五年<1360年>陰暦12月12日、示寂) 鎌倉時代後期、現在の長野県高井郡、中野城の誉れ高き武門に呱々の声を上げる。幼年より仏門に帰依し、鎌倉の建長寺にて得度、参禅されました。後、京都洛北・大徳寺の開山・大燈国師について修行、禅関の奥義を極め、52才のとき、印可と関山慧玄の道号を授かりました。その後、美濃の伊深の里に身を隠し、里人と一緒になって牛を追い、田畑を耕して悟後の修行に励まれました。 暦応元年(1338年)の春、甘露寺朝臣藤長は、開創された妙心寺開山の勅請をもって師の小庵を訪れました。師は固く辞退されましたが、師・大燈国師の遺命と聞き意を決して上洛、妙心寺の第一世開山禅師となられました。当時の妙心寺は、花園法皇様の旧御所と言っても極めて質素で小規模な禅院でした。その小院こそ開山様の真の人間教育の道場にふさわしいものでした。 この禅院で、開山様が嗣法の二祖微妙大師をはじめ、求道者に与えた禅の第一義の公案は『本有圓成佛 何故 為迷倒衆生』でした。時は南北朝の動乱期、人間不信の混迷の時代でした。開山様は時勢に流されることなく、人間性の尊厳を説き、真実なる人間性(佛性)に目覚めることが人間の救済、完成の道であることを宣揚し、教示されました。 開山様はこれを更に御遺誡に、 『汝等請う其の本を務めよ。誤って葉を摘み枝を尋ぬること莫くんばよし』 と誡めておられます。 延文五年(1360年)、雪の降る12月12日、開山様は行脚の旅姿で風水泉のほとりで、二祖微妙大師に後事を託して立亡されました。御遺体は修行僧によって御本山の東北の地に埋葬されました。現在の開山堂微笑庵です。『汝等請う其の本を務めよ』は妙心寺の伝法の燈であります。 (『花園』誌の2003.12月号『汝等請う其の本を務めよ』より) 妙心寺派宗務本所 〒616-8035 京都府京都市右京区花園妙心寺町64 TEL075-463-3121(代) FAX075-464-9586 ◇『無相大師遺誡』に学ぶ 松原泰道(『花園』誌 2003.12月号) 開山大師の御遺誡は、ご遷化の翌年の康安元年(1361)一月十二日に成文化され、『無相大師遺誡』として読誦されている。以下、あらましを意訳する。 (わが恩師・大燈国師の師である)大応国師は1259年宋に渡り、虚堂禅師のもとで八年間にわたる修行を重ね、ついにその奥義を究め、虚堂禅師から「臨済禅は、汝により日本に栄えん」と予言された。かくて臨済禅の正脈を日本にお伝えになったのは、大応国師のお力である。 大応国師の禅法を継がれたのが、わが大燈国師である。師は、夜間といえども横臥することなく、坐睡されたほど修行に励まれた。大応の禅法を獲た後も、大応の命に従い世間から行方をくらまし、五条の橋下で路上生活者の仲間に入り、わが得た悟りを再点検する悟後の修行を積まれた。 師大燈は、大徳寺を開創し、花園、後醍醐両天皇の崇敬をうけられ、禅法を高く掲げられたのは、師大燈である。老僧(わたし)がここに花園先帝のお言葉を承り、正法山妙心寺を開創するのも(私の力ではなく)師大燈が、あたかも母親が固いご飯をよく噛んでおまじりにして、赤子に口移しにして育てるように、師の心から私の心に禅を伝えて頂いたお陰である。 後に、たとえ私を忘れても、大応、大燈(応燈という)二祖の深恩を忘却する者は、私の子孫ではない。と厳しいご訓戒です。そして「その本をただせば応燈二祖にあるから、応燈二祖に、報恩せよ」とまことに謙虚なお言葉です。開山大師のご命日の今日、私は私自身の本を静思いたします。 ◇ 「臭木」( 中西東峰、『花園』誌、1996年12月号 ) 妙心寺御開山・関山慧玄禅師は詩文を作らず語録も残しませんでした。しかし、その深い意味を示す数々の行跡が残されています。慧玄禅師の聖胎長養の地である岐阜県美濃加茂市伊深に妙心寺の奥の院と呼ばれる「正眼寺」があります。ここ正眼寺の開山忌のお斎には「常山」という珍しいご馳走がでます。 常山の素材は臭木(小臭木)と呼ばれるユキノシタ科のアジサイに似た低木で、畔道や川べり、石垣の隙間にまで生えて生命力はとりわけ強く、根絶やしにしようと力んでもなかなか絶やせず、さらに名前の示す通り実に厭な悪臭のする厄介な代物です。 六月初旬に臭木を枝ごと刈り取ってきます。葉をむしって茄で、茄でたものを水に晒し、朝夕二回水を換え、臭気が抜けるまで三、四日続けます。梅雨の晴れ間を見極めて、一枚一枚葉を広げ一日で干しあげます。もし急な雨で一日で干し上がらなければ、元の水桶に戻して晴れの日を待ちます。必ず一日で干し上げるのが秘訣です。出来上がった常山はいつまでも保存でき、必要な時には水に数時間つけて戻し、油で妙めて大豆と一緒に煮ると、ようよう手間入りの悪臭の消えた珍味がいただけることとなります。 慧玄禅師は、貧しい村人からの施しを気遣い、嫌われものの臭木を敢えて集め、更にこの悪材料をおいしく食べるように工夫し活かされました。草木自然すべての生命を平等に尊ばれたのです。それは、材料の好し悪しを選り好みしないことのみにとどまらず、何ものをも優しく受け入れる正しい心のあり方をも諭しておられるのでしょう。「人間の持つ差別心に気付けよ!」との声無き声が聞こえてまいります。 伊深の人々は、正眼寺の雲水さんを「伊深のおっさま」と呼び、雲水さんはご開山様の時代そのままに黙々と臭木の束を背負い、この一菜と共に、ご開山関山慧玄禅師の枯淡な宗風を今になお脈々と受けついでいるのです。今月十二日は慧玄禅師のお命日です。常山を食して、禅師のお徳を偲ぶ縁としたいものです。(聖胎長養…お悟り後の更なるご修行) 日本の臨済宗寺院約6000ヶ寺の内、約3500ヶ寺が妙心寺派。臨済宗きっての大教団を形成する。かつて「妙心寺の算盤面」と揶揄されたこともあった。妙心寺山内には、46ヶ寺におよぶ塔頭寺院があります。 |

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