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平成19年12月19日(水)福留孝介:あす午前、シカゴ・カブス入団発表のはこび。 中日からFAとなり、米大リーグのカブス入りで合意した福留孝介外野手は18日朝(日本時間同日夜)、カブスの本拠地シカゴのオヘア国際空港に到着。 福留はこの日は身体検査や球団幹部との会談などを行い、契約後、19日午後(同20日午前)に入団発表に臨む。シカゴに降り立った福留は「早く着かないかなと、ずっと起きていた。わくわくしています」と話した。外は雪が積もり、気温は氷点下4度。「うわー。本当に寒いな」と驚いた様子だったが、記者団から「街ではフクドメの名前が聞かれますよ」と問われると、「それ以上に覚えてもらえるよう頑張ります」と答えていた。 12月19日は、ベルツの誕生日です。 ◇ エルウィン・フォン・ベルツ(1849〜1913) 草津温泉を世界に紹介した「草津の恩人」 南ドイツのビーティッヒハイムに生まれ、ライプチヒ大学を卒業。明治9年、日本政府の招きで来日。東京医学校(現・東京大学)で、生理学教師となり、以後26年間にわたり生理学、内科学、婦人科学を講義し、医学生の教育や治療を行う。又、日本人の人類学的、病理学的特徴を研究、脚気 やハンセン氏病、ツツガムシ病、肝臓ジストマなど、当時の日本に特有の病気についても研究し、日本医学の発展に尽力しています。 明治20年、38歳で戸田花と結婚し、翌々年には長男の徳之助が誕生。明治23年には、明治天皇および皇太子嘉仁親王の侍医に就任。東京帝国大学退職後は、宮内省御用掛として、明治天皇や皇太子の主治医として侍医を務める。 彼は日本風俗をよく理解し、当時の日本の社会を批判した有名な「ベルツの日記」を書いています。また、温泉を使っての温泉療法を本格的に研究し提唱した、最初の人でもありました。彼は草津温泉を「日本の典型的温泉」とし、「草津には、無比の温泉のほかにも、日本で最上の山の空気と全く理想的な飲料水が有る」と世界無比の高原温泉であることを世界に紹介し、日本の草津を世界水準に引き上げたのでした。 明治38年、家族を連れて帰国。シュツットガルトに住み、余生を人類学研究にあて、熱帯医学会会長、人類学会東洋部長などを務めた。 「私たち外国人教師の使命は、日本に科学の樹を育てることでした。しかし日本人は、西洋の科学の木に育った実だけを、私たちから受け取ろうとしたのです。私たちの実を欲しがるだけで、この実をもたらした精神を学ぼうとはしないのです」 「東京全市は、11日の憲法発布をひかえて、その準備のため、言語に絶した騒ぎを演じている。到るところ、奉祝門、照明、行列の計画。だが、滑稽なことには、誰も憲法の内容を御存知ないのだ」 ベルツ ※ 今日の我々にも当てはまる警句。確かに日本人は、外からの借り物を巧みに使いこなすけれど、その本質には、いたって無関心だ。「和魂洋才」なる言葉があるが、かなり欺瞞的だ。「和洋折衷」なる言葉があるが、かなり乱暴だ。「民主主義」は日本に根付いていない。「宗教」また然り。切支丹以来、キリスト教は日本に本格的普及を見ることはなかった。仏教またまた然り。 わが国に、真の仏教徒がいかほどあるのだろうか。多くは江戸幕府の寺請制度としての「檀家」という残滓に、無批判に繋がっているだけの名目的信者なのではないか。キリスト教文化も仏教文化も、日本に輝かしい精華を招来した。しかし、その「宗旨」は枯渇するかに見える。諸外国から日本を見たとき、「宗教の泥沼」と批判される所以か。 |

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