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平成20年1月6日(日)昨日:小倉百人一首競技かるた、名人、クイーンとも連覇。 小倉百人一首競技かるたの日本一を決める新春恒例の「第54期名人位・第52期クイーン位決定戦」が5日、近江神宮(大津市)で開かれ、名人戦(5回戦)は東京都葛飾区の会社員西郷直樹さん(29)が歴代最多タイの10連覇を達成。クイーン戦(3回戦)も大分県中津市の県立高校3年楠木早紀さん(18)が4年連続で日本一の座に就いた。 西郷さんは「家族の協力のおかげ。今後も大会に出続ける限り勝ちたい」と笑顔。 楠木さんは「友達の応援メールが支えだった。春から大学に入学して練習環境が変わるが、来年も頑張りたい」と語った。 ◇ 高2男子が5人切りつけ、東京の商店街 5日午後3時20分ごろ、東京都品川区平塚1の戸越銀座商店街で、包丁3本を持った若い男が「殺してやる」などと叫びながら、通行人の男女5人に次々と切りつけた。5人のうち、30歳と42歳の会社員女性2人が胸や背中などに軽傷を負った。 通報で駆けつけた警視庁荏原署員が男を取り押さえ、殺人未遂の現行犯で逮捕した。同庁少年事件課と同署によると、男は品川区に住む私立高校2年の少年(16)。調べに「誰でもいいから皆殺しにしたかった」などと供述。「(自分は精神科の)病院に通っている」とも話しているといい、同署で詳しい動機とともに、刑事責任能力についても慎重に調べる。 少年は「ばかにするな」「なめんなよ」などと叫びながら包丁を振り回し、東急池上線戸越銀座駅の駅前から、商店街を西方に約350メートルにわたって歩いた。取り押さえられるまでに少なくとも2カ所で通行人に切りつけたほか、商店のドアをたたいたり、通行人に向けて包丁を振り回したりした。 ※ 意味の無い時代を映す意味の無い 出来事ばかり空しいばかり。 ◇ 第30回ダカールラリー2008(パリ・ダカ)中止 世界で最も過酷なモータースポーツといわれるダカール・ラリーが、治安悪化のため全面中止に追い込まれた。開幕前日の4日の発表で、準備を重ねてきたドライバーや関係者は落胆を隠せない。これまでもテロの危険性や武装強盗団の出没などがつきまとい、区間中止は珍しくなかったが、大会中止は79年のレース発足以来初めて。79年の第1回大会以来、死者は50人に迫っている。 1月6日は、春秋園事件がありました。 1932年1月6日、天龍ら32人の力士が角道改革の要望書を相撲協会に提出。 昭和7年1月場所番附が発表された翌日の1月6日正午、大井町中華料理店・春秋園の勤王の間に32名の出羽海一門力士(幕内20・十枚目11・幕下1)が集まった事に端を発する。 首謀格の天竜は、以前から力士の不安定な生活に対して憂慮しており、協会に改革を要求するべく慎重に計画を進めていた。この事件の動機を、武藏山・天竜の大関争いに因るものと考える向きもあるが、やはり協会改革が第一にあったと考えるべきだろう。 春秋園で、天竜は力士の生活状況と相撲協会改革の必要を述べ、改革方針として10箇条の項目を挙げて説明、相撲協会への要求を主張した。大ノ里も相撲協会改革の必要を重ねて述べ、天竜の提案は出席者の賛成を得て、奉書に認め以下の様な要求書が協会に提出された。箇条書きは天竜らの要求、その下は協会からの回答を示す。 一、 相撲協会の会計制度の確立とその収支を明らかにすること。 従来も会計制度は確立しているし、その都度公表して来た通りである。なお将来は部内一般に収支決算を明らかにし、周知せしむるよう努力する。 一、 興行時間の改正、夏場所は夜間興行にすること。 時間の改正については従来も力士の健康や観客諸氏の利便、場内取締等を顧慮したので差し控えてきた。将来は更に研究した上で希望に添うようにしたい。 一、 入場料の値下げ、角技の大衆化、枡席を少く大衆席を多くすること。 入場料の低下には既に相当努力を重ねてきた。次場所からは一層その低下を実現しよう。 一、 相撲茶屋の撤廃。 茶屋はそもそも國技館の建設以前からの切符の前売り、好角家諸氏の勧誘などに全力を尽くしてきた。その功績は顕著である。これには経済問題を伴うから、慎重に研究の上考慮を加えよう。 一、 年寄の制度の漸次廃止。 年寄制度については周知のように古い歴史と伝統がある。また廃業力士の待遇という問題もあるし、これは直ちに全廃するという意向には同じがたい。 一、 養老金制度の確立。 養老金制度も確立している。ただ何分にも財政の関係上、とかくその交付金の下付が遅れる傾向があったのは遺憾である。今後は努めて引退後即座にこれを実行するよう計りたい。 一、 地方巡業制度の根本的改革。 巡業制度についても綿密な研究を重ねてきた。将来は一層これを改善、合理化に努力しよう。 一、 力士の収入増による生活の安定。 力士も協会員も一丸となって冗員を省き、もって全員の増収を計るべく励みたい。 一、 冗員の整理。 冗員の淘汰については着々実現に努めている。例えば新弟子の採用方法にも近時いろいろと条件を改めてきた。 一、 力士協会の設立と力士の共済制度の確立。 力士協会と共済制度については再考を促したい。 ※ この回答を誠意の無いものと見た天竜ら32名は脱退声明書を発表、 協会へ脱退届を提出して大日本新興力士団を結成。 協会は役員会で1月場所の無期延期を決定。協会の意向を受けた大日本関東国粋会が調停に乗り出し、銀座松本楼での会合で新興力士団に「白紙委任」という威圧的調停案を迫った。新興力士団はこれを条件付きで断ったため、一時は、国粋会会員がトラック3台で新興力士団本部を襲撃する、との噂により天竜を除く各力士が本部から避難する騒ぎとなった。 単独での1月場所出場を拒否していた東方力士達は、東京深川の料亭「鳥みね」に有志17名が集まり、西方力士の意見に同調する旨の脱退声明書を発表。翌日、彼らは伊勢神宮参拝と称して東京を離れ、伊勢神宮前で革新力士団の結盟式を行った。また、東方力士達の脱退声明書が発表された日、武藏山が出羽海部屋への復帰声明書を発表した。 この危機的状況に直面した協会は年寄総会で改革案を決め、残留力士の承諾を得た後に発表した。また、この事件の責任を負って出羽海・入間川・高砂ら取締以下の全役員が総辞職し、役員改選により藤嶋が取締に抜擢された。 新興力士団と革新力士団は3月に合併して大日本相撲連盟を結成し、5月3日に靖國神社相撲場で晴天10日間興行を行った。この時、新興力士団は白と赤のストライプ入りガウン、革新力士団は水色のガウンを着て入場し、締め込みの替わりに猿股を用いたという。 天竜は熊本の吉田司家に赴いて「玉錦は人格において横綱の資格が無い」と訴え出たが、土相撲扱いされて相手にされず、昭和9年と10年に相撲協会に挑戦状を送ったが断られ、明治神宮全日本力士選士権大会への出場も明治神宮から「出場に及ばず」と認められないなど、次第に苦戦を強いられた。一方の相撲協会は玉錦が横綱として充実した土俵を務めており、双葉山が台頭する頃で、人気を盛り返していた。 天竜は、一緒に廃業する力士達と上京して出羽海に挨拶した後、新入幕の頃から昵懇だった星野 直樹・満州国総務長官の招きにより単身満州へ亘って張 景恵・国務総理秘書として迎えられ、満州国政府体育聯盟嘱託に就任した。以後、満州角道会を設立して満州の相撲組織を統合したり、昭和15年7月の相撲協会 満州準本場所の開催や満州国神武殿の建設に尽力するなど、大陸における相撲道の普及に努めた。これらの功績が認められ、昭和23年11月に吉田司家は、天竜三郎ではなく和久田 三郎として故実門人免許を授与している。 この春秋園事件は失敗に終わったが、25年後の昭和32年、国会で協会のあり方が問われたのをきっかけに協会の改革が行われ(天竜も参考人として国会に出席)、天竜らが主張していた力士の生活の安定化も実現されたのだった。 ※ 今日でも相撲協会が多くの問題を抱えていることは周知の事実。守るべき伝統と、改めるべき旧弊とが峻別できずにいる、無自覚の親方衆が多いように見える。親方株が有価証券化して高騰したことも、大きな弊害をもたらした。特に理事長の人格、資質を厳正に糾さねばならない。 |

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