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平成20年1月12日(土)昨日:福岡3児死亡事故、地検が週明けにも控訴。 2006年8月、幼児3人が犠牲になった福岡市の飲酒運転追突事故で、福岡地裁で業務上過失致死傷罪と道交法違反を適用されて懲役7年6月の判決を受けた元市職員今林大被告(23)について、福岡地検は11日、危険運転致死傷罪を適用しなかった判決を不服として週明けにも控訴する方針を固めた。 福岡地裁は、事故現場まで蛇行運転や居眠り運転がなかったことなどから飲酒の影響を認めず、「事故原因は脇見をしたこと」と結論づけた。これに対し福岡地検は、現場が見通しの良い直線道路にもかかわらず、被害者の車を発見するのが遅れた理由は単なる脇見とは考えられず、危険運転致死傷罪の構成要件である「アルコールの影響で正常な運転が困難な状態だった」と判断。「判決には事実誤認がある」としている。 今日1月12日は、平田精耕師の密葬があります。午後1時から。 ◇ 平田精耕師(臨済宗天龍寺派管長) 臨済宗天龍寺派管長で、天龍寺住職の平田精耕師が9日午後5時39分、多臓器不全のため京都市西京区の病院で遷化された。享年83、京都市出身。 1924年、天龍寺塔頭で生まれた。1933年(昭和8)に得度。京都大哲学科卒業後、旧西ドイツのハイデルベルク大に留学。花園大教授を務め、1989年には、研究機関「禅文化研究所」の第2代所長に選ばれた。 天龍寺派では宗務総長などを歴任し、1991年2月、第9代管長に就任。天龍僧堂師家として次世代の人材育成に尽力した。1988年、共産圏で初めて旧東ドイツで「ZEN」について講演。禅とカトリックの交流(東西霊性交流)を進めるなど、禅の普及に努める国際派僧侶としても知られた。「禅からの発想」「禅語事典」「一切は空」など著書多数。 ◇ 己に厳しく人に優しく、平田精耕師遷化に惜しむ声 臨済宗を代表する碩学が逝った。9日、臨済宗天龍寺派(大本山・天龍寺、京都市右京区)の管長・平田精耕師が亡くなった。自分に厳しく、人に優しい人柄は入院中も変わらず、周囲への気配りと笑顔を絶やさなかった。仏教界に残した功績は大きく、惜しむ声が広がった。 平田師は若いころは僧侶になるつもりはなく、将来に迷っていたという。京都大哲学科の恩師で禅の研究者でもあった故久松真一さんに僧侶になるよう勧められた。専門道場での修行後も久松さんに相談し、西ドイツへの留学を決意した。留学したころに米国によるキューバ封鎖があった。冷戦下の東西対立が厳しい時代。そのことが「東西霊性交流」など後に宗教間交流を進める動機になったともいわれる。 国際派の宗教家として、バチカンではローマ教皇の故ヨハネ・パウロ二世にも禅の心を説いた。同じ頃に京大で学んだ哲学者梅原猛さん(82)は「西洋哲学やドイツ語を学んだことをバックボーンに、ヨーロッパに禅を普及したことが平田さんの最大の功績だ。日本を代表する禅僧として、まだまだ活躍してもらいたかった」と残念がる。 日本の仏教界や社会にも警鐘を鳴らし続けた。京都大名誉教授の上田正昭さん(80)は天龍寺の崇敬者団体「一滴会」の会合でたびたび講演した。「気配りの人。人に優しく、己に厳しい方でした」と振り返る。親が子を殺し、子が親を殺す事件が相次ぐ世相に、平田師は「現代人の心の荒廃に、今の仏教界は十分に応えられていない」と寂しそうに話していたという。 平田師の葬儀で導師を務める臨済宗相国寺派管長の有馬頼底師(74)は「私が雲水時代に会った平田さんは教学についての質問にも切れ味よく答えていただき、颯爽としてあこがれの存在だった」と故人をしのんだ。 密葬は12日午後1時、本葬にあたる津送(しんそう)は3月6日午前11時から、いずれも京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68の天龍寺にて。喪主にあたる遺弟(ゆいてい)は、天龍寺専門道場師家の佐々木容道師と、松巌寺副住職の平田祖高師。津送の導師は、臨済宗相国寺派の有馬頼底管長。 |

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