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平成20年1月26日(土)今朝:4時33分頃、石川県輪島で震度5弱の地震。 1月26日は、寒梅忌です。(藤沢周平 命日、午後10時12分) ◇ 藤沢周平(1927年〜1997年)本名:小菅留治(こすげ とめじ) 江戸時代に材を取った作品を多く残す。中でも出身地、山形県鶴岡市に あった庄内藩をモチーフにしたと言われる架空の藩 「海坂藩(うなさかはん)」を舞台にした作品は有名。 ◇ 略歴 1927(昭和2) 旧黄金村高坂(現・鶴岡市高坂)に生まれる 1942(昭和17) 県立鶴岡中学(現・鶴岡南高校)夜間部に入学 昼は印刷会社や黄金村役場で働く 1946(昭和21) 鶴岡中学夜間部卒業。山形師範学校入学 1949(昭和24) 師範学校卒業後、湯田川中学へ赴任 1951(昭和26) 集団検診で肺結核が見つかり、新学期から休職 1953(昭和28) 2月に上京。篠田病院に入院 1957(昭和32) 11月退院。業界新聞社に勤務 1959(昭和34) 結婚 1963(昭和38) 小説を書き始める。2月に長女誕生、10月に妻と死別 1969(昭和44) 再婚 1971(昭和46) 『溟い海』で第38回「オール讀物」新人賞受賞 1973(昭和48) 『暗殺の年輪』で第69回直木賞受賞。 1984(昭和59) 慢性肝炎が発症。通院が始まる 1986(昭和61) 1月に直木賞選考委員として初の選考会に臨む 4月には『白き瓶』で第20回吉川英治文学賞受賞 1989(平成元) 第37回菊池寛賞受賞 1995(平成7) 紫綬褒章受章 1996(平成8) 20期11年務めた直木賞選考委員を辞任 1997(平成9) 1月26日、都内の病院で死去。享年69。 ◇ 藤沢周平 没後10年の風景 (2007年1月23日) 日本人すべての古里「海坂藩」、「藤沢周平こころの絆展」 出羽三山の白峰を望む山形県鶴岡市。冬景色の庄内平野の城下町で21日、郷土出身の作家、藤沢周平をしのぶ「寒梅忌」が営まれました。「先生は、二枚目俳優の佐田啓二に似てると女生徒に騒がれた」。藤沢の旧湯田川中学校(同市)教師時代の教え子の対談に約400人の観衆が沸く。壇上の梅花の隣で、作家の遺影が柔和にほほ笑んでいた。 地元ファンで作る鶴岡藤沢周平文学愛好会が、1月26日の命日直前に毎年開くこの催しも8回目。「名前の由来は寒きに耐え凛と咲くイメージが藤沢文学に重なること。手作りで始めた寒梅忌も、遠く四国や東京からもファンが来るまでに育った」。会長の萬年慶一さん(69)は感慨深げ。 結核治療のため25歳で教職を離れ上京した藤沢は終生、郷里を愛し続けた。その象徴が鶴岡の庄内藩をモデルにした「海坂(うなさか)藩」。『蝉しぐれ』『たそがれ清兵衛』など、架空の小藩の人間ドラマを描き出す海坂藩ものには、庄内地方の地形や風土が織り込まれる。近年の映画化作品4作はすべてそうであるなど、海坂藩ものの人気が高いのはなぜか。 鶴岡市の周平研究家、松田静子さん(66)は、無名時代の作品を発掘した『藤沢周平 未刊行初期短篇』(文芸春秋)で14編中7作が現実の庄内藩史を題材にとっていることに注目する。「作家を目指した当初は庄内の歴史を題材に取り、次第にその枠にとらわれず自由に書ける理想的な古里を作り上げた。だから庄内以外の読者も、海坂藩に自分の故郷を投影できる」。地元以外の立場で見ても、文芸評論家の関川夏央さんは、「海坂藩ものは経済的側面をはぶき、貧しくても穏やかな生活が続くユートピア小説。半分は庄内藩だが半分はそうでない」と言う。作家の望郷の念が育てた日本人すべての古里が海坂藩なのだろう。 藤沢は2年に終わった湯田川中学の教え子たちと晩年まで文通や同窓会を通して交流を続けた。鶴岡に残り農業を営んだ愛好会会長の萬年さんも教え子の一人。「見慣れた庄内の自然も、先生の筆を通すと新鮮で泣きたいような気持ちになる」と話す。10年前、教え子を代表した弔辞では「読者に故郷の素晴らしさを伝える先生の小説は、地方にとって百万の味方。逝去は大きな損失」と死を悼んだ。 「凍える冬の 夜は 山形の雪を懐い 山形の人を懐う」 (藤沢氏が萬年さんに贈った色紙) ◇「文化財防火デー」で防火訓練 奈良・法隆寺(2008.1.26) 「文化財防火デー」にちなみ、法隆寺で行われた防火訓練=26日午前11時4分 「文化財防火デー」の26日、59年前に金堂壁画が焼損し、防火デー制定のきっかけとなった奈良県斑鳩町の法隆寺で法要と訓練があり、参加した僧侶らは、過去の惨事を風化させないよう防火への誓いを新たにした。 この日、大野玄妙管長ら僧侶が、再現された壁画がある金堂と、焼損当時の壁画や黒く焦げた柱が生々しく保存されている収蔵庫で順に読経し、再発防止を誓った。その後、地元の消防隊員らが境内で訓練を開始。緊迫した雰囲気の中、鏡池に向かって一斉に放水され、辺りは水煙に包まれた。 |

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藤沢周平の作品は、海坂藩(庄内藩)が舞台ですが、
史実にぴったり則しているのでびっくりですね。
相当庄内藩の歴史を研究していたんだね。
下級武士が主人公の場合が多いわけですが、代官所とか
郡奉行所、郡代所に勤める役人でも、御家中の中には入らない
給人と呼ばれる階層と考えられますが、皆さんはどう考えますか。
2008/3/7(金) 午後 7:22 [ Jyoubu ]
直木賞の選考委員を務めていた折、ある候補作品について「物語の舞台に立体感が無い。小説は、たとえそれが創作の世界であったとしても、あたかも自身がその場を歩いたことがあるような・・・実感が伴わなければならない」・・・といった主旨の発言をされています。
このような信念を持つ藤沢氏にとって、多くの土地を作品の舞台にすることよりも、「海坂」という架空の土地の、しかしその裏路地の1本1本までを丹念に描く方が やり易かったのでしょう。そして、そんなスタイルが、読者に対する誠意でもあったように思います
2008/6/5(木) 午前 10:57