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平成20年1月28日(月)昨夜:大阪府知事選、橋下徹氏(38)全国最年少知事。 ◇ 1月28日は、初不動(今年最初のお不動様の縁日) ※ 東京深川の成田山不動堂。不動堂前の辻にあるお好み焼き、美味い安い。 1973年1月28日、「ベトナム和平パリ協定」が発効しました。 ◇ ベトナム戦争の停戦、和平への道筋 テト攻勢後、ジョンソン米国大統領は、ホーチミンに対し、両国代表による直接会談を呼びかけ、民主共和国<北>もこれを応諾。1968年5月、パリで第1回会議が始まった。しかし、両者は相互の撤退を要求して対立し、会議は長期化した。アメリカは、1968年10月、北爆の全面停止と、アメリカ、民主共和国<南>、ベトナム共和国<北>、解放戦線の4者会談を提案する。1969年1月から、新提案に基づく4者会談が開始。しかし、そこでも停戦協定に限定しようとするアメリカと、南ベトナム連合政府の樹立と平和的南北統一を主張する解放戦線・民主共和国の主張とは大きく隔たっていた。解放戦線は1969年6月8日に、政治主体を形成してティエウ政権を相対化しようとして臨時革命政府を樹立する。 停滞する公式会談の陰で、1969年8月から、レ・ドゥック・トーとニクソンの特別補佐官・キッシンジャーとの間で、パリ秘密会談が始まる。秘密会談ではティエウ=キ政権の位置付けをめぐって対立が続き、その間にも互いに激しい戦闘・爆撃が続けられていたが、1972年7月以降、和平交渉の当面の目標がアメリカ軍の撤退に絞られたため、和平合意へ大きく前進することになる。 パリ協定は、アメリカとベトナム民主共和国の直接交戦の停止を規定したが、南ベトナムにおけるティエウ=キ政権と臨時政府との並立抗争はそのままにされた。アメリカはその後、急ピッチに撤兵を進め、1973年3月29日米軍のベトナム撤退完了は実現したが、「民族和解一致全国評議会」の設置には至らず戦闘は継続し、1975年4月30日サイゴン陥落に到る。 ◇ ベトナム和平パリ協定 ベトナム和平パリ協定は、1973年1月27日、パリ市内凱旋門近くのクレベール通りにあるフランス外務省国際会議センターで、調印式が行われました。 ※ 同協定によりグリニッジ標準時1973年1月28日午前零時(ベトナム時間で1月28日午前8時)に停戦が発効しました。 この石造りのビルは、もともと1836年スペインから亡命中のイザベル2世王妃の宮殿用に建てられたものだが、戦前の旅行者には、「一流ホテル・マジェスチックホテル」として知られていました。第2次世界大戦中は、ナチ・ドイツ占領軍の司令部として使われ、パリ解放後は米軍司令部やユネスコなどに使われてきました。 ここを舞台に、1968年5月に北ベトナム、米国のベトナム和平に関するパリ会談が始まり、1969年1月からは拡大4者会談に引き継がれ、4年8ヶ月間、計202回にわたる平和への話し合いが続けられました。 ◇ パリ国際会議センター大広間での和平協定調印式 ベトナム和平協定の調印式場は、パリ国際会議センターの大広間で行われました。この大広間は、かつてホテルであった時代の舞踏会場でした。3つの大シャンデリアの下に、直径8mの円卓が置かれ、緑色のラシャが敷きつめてあります。 その大円卓に、入口に近いところに米国代表団、クレベール通り沿いの窓側に南ベトナム代表団、米国と相対して北ベトナム代表団、窓側から見て正面に南ベトナム臨時革命政府代表団がそれぞれ着席しました。各代表団は5人ずつ、各代表団の後ろに20人ずつの随員が2列に並びました。さらに国際監視委構成国となるインドネシア、カナダ、ポーランド、ハンガリーの各大使と、仏外務省儀典長、国際会議センター責任者が立ち会いました。 ◇ 各国代表の調印者 ウィリアム・P・ロジャー国務長官(アメリカ合衆国政府代表) チャン・バン・ラム外相(ベトナム共和国政府代表<南>) グエン・ズイ・チン外相(ベトナム民主共和国政府代表<北>) グエン・チ・ビン外相(南ベトナム共和国臨時革命政府代表<解放戦線>) ◇「ベトナムにおける戦争を終結させ、平和を回復するための協定」骨子 1954年ジュネーブ協定を尊重 1973年1月28日から無期停戦 停戦後60日以内に、南ベトナムの全外国軍事要員撤退、軍事基地撤収 南ベトナム政府軍および解放戦線軍は現状を維持し増強を禁止 停戦後60日以内に全捕虜の釈放 停戦後90日以内に南ベトナム内の民間ベトナム人抑留者釈放 (努力目標) 南ベトナム政府と解放戦線の和解、報復禁止 民主的選挙を組織する「民族和解一致全国評議会」設置の ための協議、90日以内に合意文書調印に努力 4者合同委員会の代表任命と、国際管理・監視委員会の設置 協定調印後30日以内に国際会議召集 カンボジア、ラオスにおける一切の軍事活動を終結 米国と北ベトナムの新たな互恵関係 (同時に以下の4つの議定書にも調印が行なわれた) 北ベトナムの領海、港湾、水路にある機雷の除去、機能停止、破壊に関する議定書
南ベトナムの停戦と合同軍事委員会に関する議定書 国際停戦管理・監視委員会に関する議定書 軍人捕虜および民間抑留者の釈放に関する議定書 |

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裸で逃げる少女、日本にも何度か来て講演しましたね。ベトナム戦争当初にくらべ、日本国内の関心度が薄れているのが気になります。まだ平和は回復していないのに。
2008/1/28(月) 午後 7:24