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平成20年1月31日(木)昨日:ジュリアーニ氏が選挙戦撤退、マケイン氏支持表明。 緒戦軽視の選挙戦略が、ものの見事に大コケ。共和党本命早々の敗退劇、屈辱的。 1979年1月31日は、小林繁投手にとって「屈辱の日」でした。 「江川事件」のあおりで、この日、阪神へのトレードを告げられる。 1978年11月の法政大学卒業の投手・江川卓による「空白の一日」事件の犠牲となる形で、1979年2月に阪神タイガースに移籍しました。 キャンプ前日の1月31日、キャンプ地・宮崎へ向かう直前の空港で、巨人フロントに呼び止められ、江川との交換トレードを告げられました。記者会見で小林氏は、「野球が好きだから、阪神にお世話になります」と気丈にコメントした。 移籍1年目の年は22勝で最多勝、2度目の沢村賞も獲得しました。古巣・巨人に対しては実に8勝0敗の成績で神がかり的な強さを発揮、巨人キラーとして大いに活躍しました。自分に煮え湯を飲ませた巨人フロントに、十二分に男の意地を見せつけた。 1982年オフ、「来年15勝できなければ野球をやめる」と宣言。1983年は13勝に終わり、肩の故障で思うような投球ができないとして、31歳で突然引退。あまりに潔い引き際に周囲は唖然とした。1976年から引退する1983年まで8年連続で2桁勝利を記録。 1997年〜2001年まで近鉄の投手コーチを務める。2001年にはリーグ優勝を成し遂げたが、チーム防御率が5点台だった責任を取るとして辞任する。どこまでも潔い。 ※ 昨シーズンの山本昌は、2勝10敗だった。体の故障もなく2勝に止まった事が、最大の問題だが、今年25年目のシーズンを迎える。目の前にぶら下がった「200勝」が目障りでもあるのだが…。 小林繁&江川卓両氏の、因縁の「和解の酒」 (黄桜CM) 「和解の酒」(男伊達、酒は黄桜、葉もしげる) |

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