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平成20年2月4日(月)昨日:中国製ギョーザ、新たに6袋から殺虫剤。 中国製ギョーザによる中毒で、兵庫県警捜査一課は3日、同県高砂市の家族が中毒になったギョーザと同じ日に製造された同種製品6袋のパッケージ外側から有機リン系殺虫剤「メタミドホス」を検出したと発表。うち一袋は表面に穴が開いていた。 ※ 事件性もあるが、製品保管場所での殺鼠剤撒布の可能性も…。 【立春】 鬼祓い、明けてめでたき春立てる 春雨やぬけ出たままの夜具の穴 内藤丈草 早春賦 (作詞:吉丸一昌 作曲:中田章) 1 春は名のみの風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど 時にあらずと 声も立てず 時にあらずと 声も立てず 2 氷解け去り葦は角ぐむ さては時ぞと 思うあやにく 今日もきのうも 雪の空 今日もきのうも 雪の空 3 春と聞かねば知らでありしを 聞けば急かるる 胸の思いを いかにせよとの この頃か いかにせよとの この頃か ※ 吾がおもい秘すれどさわぐ早春賦 2月4日は、チャールズ・リンドバーグの誕生日です。 チャールズ・リンドバーグ(1902〜1974)「翼よ、あれがパリの灯だ」 ミシガン州デトロイトに生まれる。父はスウェーデン系移民で下院議員。ウィスコンシン大学機械工学科を中退、飛行学校に入学、郵便飛行士となる。懸賞金2万5千ドルの大西洋無着陸横断飛行に挑戦するため、セントルイスの事業家の資金援助で特別機を注文製造し、1927年5月、単葉機「スピリット・オブ・セントルイス」号に乗り、ニューヨーク=パリ間を33時間30分で飛び、大西洋無着陸横断飛行に成功する。 ※ この懸賞金レースには当時、3機が大西洋無着陸横断飛行計画を立てていましたが、いずれも高名なパイロットで副操縦士が同乗しており、飛行機も高性能の三発機だったのですが、試験飛行の段階でことごとく失敗していました。そこに名乗りをあげたリンドバーグは、無名の青年で飛行機は単発機だった。燃料を積むために無線機、燃料計も取り外しての捨て身のチャレンジだったのです。副操縦士もつけずに単独飛行を行うというこの計画は、多くのアメリカ人の失笑を買い、ばか者呼ばわりまでされる程だったと言われる。 一躍世界の英雄となり、ローン・イーグル、ラッキー・リンディといわれる。1929年5月、中南米親善飛行の途中で知り合ったメキシコ駐在大使の娘・アン・モローと結婚する。アンは夫の副操縦士となって、一緒に各地を飛行しています。1932年(昭和7年)には、北太平洋経由で日本にも飛来しています。翌年には、北極探検飛行を敢行します。 しかし1932年、生後20ヶ月の長男が誘拐殺害されるという悲劇に見舞われ、この事件を機に「リンドバーグ法」が成立しています。息子を失った悲しみの中、1935年から39年はヨーロッパで過ごす。フランスで、医師カレルに協力し、人工心肺の第一号機を開発。ドイツでは、ナチス党のゲーリングから、名誉勲章を授けられた。 ※リンドバーグ法 複数の州にまたがる誘拐犯行を連邦犯罪として取り締まる法律。 帰国後、アメリカの第2次世界大戦参戦を反対したため、親ナチスとして非難されるが、後に軍顧問として戦線に赴き、空中戦にも参加している。第2次世界大戦後、准将に昇進。空軍や航空会社の顧問を務め、1953年、単独飛行の回想録「翼よあれがパリの灯だ」を出版した(1954年ピューリツァー賞受賞)。アン夫人も著書に、「北方より東洋へ」「聞け!風よ」「海からの贈り物」等で知られる作家です。 ◇ リンドバーグ愛児誘拐事件(1932年)、栄光の影に 生後20ヶ月の息子・チャールズ・リンドバーグ・ジュニアがニュージャージー州ホープウェル近くのリンドバーグ家のベビーベッドから誘拐され、殺害された事件。 地元警察、FBI、諜報機関、新聞記者、大部隊の写真班、そしてリンドバーグ自身の捜査への介入などもあって、誘拐事件の捜査は当初から大混乱を極めた。20世紀最大のヒーローの愛息が誘拐されると言う、これ以上ないセンセーショナルな事件だった。刑務所の塀の向こうから、アル・カポネが子供の返還交渉を申し出て、自身の釈放を演出するために誘拐を命じたのだという噂なども飛び出した。ある時点でリンドバーグは、それぞれが子供を預かっていると主張する4つの異なったグループと交渉していた。彼が息子の死亡を確認するまでに、5万ドルが支払われている。 ※「史上最も不細工な捜査」を行ったとして更迭されたニュージャージー警察の長官はH・ノーマン・シュワルツコフ・シニア。1991年の「砂漠の嵐」作戦司令官の父であった。 ※ アル・カポネの服役:脱税で有罪判決が確定し、合わせて11年の懲役、罰金8万ドル。1931年10月24日、クック郡刑務所に入所。1932年5月3日、アトランタ刑務所。8月22日にアルカトラズ刑務所。アルカトラズでは、1936年に囚人によるストライキがあったが、アルはこれに参加せず、囚人らから反感を持たれる。1936年6月23日、ジミー・ルーカスという囚人に刃物で刺される。1939年11月16日、釈放。この時、アルは神経梅毒の進行のため、現実と妄想の区別がつかず、理性を失っていた。1947年1月25日、死亡。出所してから一度もシカゴへ戻ることはなかった。 1934年、大工で詐欺師のブルーノ・ハウプトマンが、身代金の一部を所持しており逮捕される。失態を重ね、追い詰められていた捜査陣が藁にもすがる思いで犯人を“捏造”したとも伝えられる。ハウプトマンは有罪となり、1936年4月3日、処刑される。 ハウプトマンが所持していた金は、死亡した詐欺師で故買屋のイサドール・フィッシュが彼に残してくれたものと主張していた。フィッシュがドイツに帰る前に、彼に預けていった靴箱に金が入っており、7000ドル貸してあったから当然自分のものと、彼は考えたという。ハウプトマン夫人は、夫の汚名を晴らそうとし続けています。 ◇ 新聞王・ハーストの恐るべき商法 この事件でハーストの新聞は、息子チャーリーの腐乱した死体を撮影し、リンドバーグの怒りを買う。悲惨な誘拐殺人事件も金儲けのタネにしかならず、それを受け入れる読者層が存在したのだ。 1934年9月19日、ハウプトマンというドイツ系アメリカ人が、身代金の番号と一致した金をガソリンスタンドで使ったことが判明、ただちに逮捕された。ハウプトマンは、金はすでに死んだ友人からもらったと弁明をしたが、状況は最悪だった。ハウプトマンは、不法入国者であり、犯罪歴もあった。1935年1月2日、裁判が始まったが、ハウプトマンの有罪は確定的だった。アメリカ中がそれを望んでいたからである。 この裁判でハーストの行った事は、誘拐犯にも勝る悪逆なるものだった。被告人ハウプトマンの妻・アンナに弁護士費用を出す見返りに、独占取材を申し出たのである。そして、ハーストが雇った弁護士は、およそ勝てる見込みのないアル中弁護士だったと言う。新聞拡販のため、ハウプトマンを確実に有罪にもちこみ、大衆を喜ばせ、自社の利益を誘導するためだったとか、何とも凄まじい。 1935年2月13日、裁判は結審。誰もが期待し予想したとおり、ハウプトマンは第一級殺人で有罪、翌年には死刑が執行された。こうして、リンドバーグ・ジュニア誘拐事件は一件落着したかのようにみえた。ところがその後、妙なウワサが流れた。ハウプトマン冤罪説である。 冤罪を主張する本も多数出版され、中には父親であるリンドバーグ犯人説まで出た。この誘拐事件がきっかけで、複数州にまたがる誘拐犯行は連邦犯罪とする、いわゆるリンドバーグ法が成立した。いずれにせよ、リンドバーグ夫妻にとって、アメリカに安心できる場所はなかった。たえず、大衆から興味本位のまなざしで見られ、金儲けのネタにされたからである。この誘拐事件を契機に、リンドバーグと妻アンはアメリカを去り、ヨーロッパに移り住む、自身に栄光をもたらしたアメリカを棄てて…。 ※ 日本にも、こんな人いてましたな。ショーリキとか、ナベツネとかってね。 ※ ANYって、なにー? ネットと販売網などでの協業を打ち出した朝日新聞、日本経済新聞、読売新聞の3社(ANY)。新聞界の3巨頭の共同発表への注目度は高かったが、要するにネットなんて眼中になくて、先細る一方の新聞業界で生き残るために、ビッグ3で談合しましょうってハナシかな? 私はこれからも中日新聞を愛読致します。 読売はファッショだ? 朝日は偏向だ? 産経ガンバレッ! |

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