今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

全体表示

[ リスト ]

 平成20年2月28日(木)昨日:海上自衛隊は自国民相手に情報戦争の演習?

 航海長聴取「事前連絡確認できず」、防衛次官が説明撤回

 海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船の衝突事故当日の19日午前、防衛省があたごの航海長をヘリコプターで呼び寄せ聴取した問題で、同省の増田好平事務次官は27日夜、記者会見し「事前に海上保安庁に連絡したことは確認できない」と述べた。これまで同省は「海保には事前連絡した」としていたが、増田次官は「事実と違う説明をしたのはよくない。(虚偽の説明をしたという)指摘は排除できない」と認めた。

 この問題で石破茂防衛相は、27日午前の衆院予算委員会第一分科会で、海保に了解を得ずに航海長を移送・聴取したと認めたうえで「適切ではなかった」と述べていた。説明内容が二転三転する同省の姿勢を問う声がさらに高まりそうだ。防衛省は19日午前9時ごろ、あたご航海長を東京・市谷の本省にヘリで移送し、海上幕僚監部や石破防衛相らが事情聴取。吉川栄治海上幕僚長は26日の記者会見で「海保に事前連絡した」と説明していた。
イメージ 1
 ※ 被害者家族側は、事実を徹底的に明らかにし、今後同様の事故の起らぬ事を求めている。そのためにこそ、石破防衛相は辞任を免れているのだ。その御当人が、事の発端から“悪事”に加担していたことが露見した。自衛隊と原発に情報公開を求めることはナンセンスなんだろうか? そして防衛事務次官は、その場で何を言ったか「覚えていない」と、のたもうた。まことに人間の脳は優秀だ。わが国トップクラスの脳細胞も、都合の悪い事実は“可及的速やかに”消去できてしまう。天晴れ、お見事なる防衛事務次官さまだ、出世街道まっしぐら。



 2月28日、本日、寺山修司の未発表歌集『月蝕書簡』が刊行されます。

 ◇ 寺山修司の未発表歌集『月蝕書簡』、本日刊行

 二十代で短歌を捨てたと思われていた寺山修司(1935〜1983)の未発表作が見つかり、188首を収めた歌集「月蝕書簡」(岩波書店)が今日刊行されます。47歳で早世した前衛歌人の歌が今、甦る。

イメージ 2
 父ひとり消せる分だけすりへりし 消しゴムを持つ詩人の旅路(月蝕書簡)


 18歳で短歌研究新人賞を受賞(「チェホフ祭」)。
 本歌どり的手法が批判を浴びたり、「われ」の使い方が論議を起こした。
 それでも、寺山独特の映像的な作歌法は、歌壇でも高く評価された。

 マッチ擦るつかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの祖国はありや


 面売りの面のなかより買い来たる 笑いながらに燃やされにけり(月蝕書簡)

 地平線描きわすれたる絵画にて 鳥はどこまで堕ちゆかんかな(月蝕書簡)

 雨の絵を雨にぬらして運びゆく われの義兄の義兄弟なり(月蝕書簡)


 「月蝕書簡」は、寺山のパートナーだった音楽家・田中未知さんが遺稿を整理し編纂しました。二十代後半からは演劇や映画に傾斜し、短期間で作歌活動を終えたとされる寺山だが、田中さんによると1973年、文芸誌の依頼を機に作歌を再開したようだ。「月蝕書簡」と表書きしたノートに、歌稿やモチーフとなる言葉の断片を記し始めた。歌集にまとめたいと80年代初頭まで歌をつくり続けたが、腎臓疾患の悪化で急逝した。

 寺山の遺作を「いつか形にしたかった」と田中さん。「寺山は晩年、自分の気持ちを素直に表出するようになっていた。この歌集はそういう寺山を映していると思う」。

 解説を担当した歌人の佐佐木幸綱さんは、「一首の背景に、シュールな彼ならではの物語性を感じさせる作品が多い」と話す。

イメージ 3

 寺山修司の生涯を演劇化(2007年8月、月触歌劇団、新宿・紀伊国屋ホール)
 http://komu-komu.air-nifty.com/blog/2007/08/post_d9d5.html

 寺山修司諸作品より、寺山修司 −過激なる疾走−
 脚本+演出/高取 英 監修+音楽/J・A・シーザー
 原作:高取 英『寺山修司 過激なる疾走』


 ◇『父を想えば − 寺山修司・過激なる疾走 − 』 高取 英(抜粋)

 思えば、日本のシュルレアリストとして世界に飛翔した寺山修司の生涯は、一方では、スキャンダラスな話題を提供し続けた。短歌デビューの時の模倣問題から始まって、ラジオ・ドラマ「大人狩り」の事件。状況劇場との乱闘事件、市街劇「ノック」の事件etc。

 そのいずれに触れるかは、まだ、考えてはいない。けれど、彼にとって決定的なのは父が9歳の時に戦病死したこと。そして母がベース・キャンプに働きに出て、12歳の時には生き別れになったことだろう。

 彼は中学三年生から高校卒業まで、映画館・歌舞伎を経営する母の叔父夫妻の家で育った。この映画館で彼はさまざまな映画に出会った。ここが、彼のイメージの原点だろう。やがて、短歌でデビューしながらも、ネフローゼという病魔と戦い、……。もし、出征した父が無事だったら…。それはこの世代の多くの共通の意識でもあった。彼の短歌デビュー作の原題は「父還せ!」だったのである。【月触歌劇団通信第55号】
イメージ 4

 【参照】『田園に死す』の雛壇
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/29386449.html


 2月28日は、「織部の日」でもあります。

 【参照】2月28日、【バカヤローの日】
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/29202407.html

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事