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平成20年3月9日(日)本日:大相撲春場所、朝青龍が白鵬の4連覇を阻むか。 3月9日は、ガガーリンの誕生日です。 ◇ ユーリイ・アレクセーエヴィチ・ガガーリン(1934年〜1968年) 1961年4月12日、人類初の宇宙飛行を達成。ソビエト連邦のパイロット。 1960年代、宇宙開発が本格的に始まり、宇宙飛行士の選抜が行われ、ガガーリンも20人の候補生の一人に選ばれました。ガガーリンは他の飛行士たちとともに、宇宙飛行に必要な身体的・精神的耐久性をテストされながら、厳しい訓練を受ける。 世界初の有人宇宙飛行が決定した際、その候補にガガーリンとゲルマン・チトフのいずれかに絞られた。二人とも訓練結果が優れていただけでなく、身長が高くなかったことが決め手となった。初期のヴォストーク宇宙船は非常に小さく、大柄な人間には入ることが難しかったのだ。最終選考で選ばれたのはガガーリンだった。決め手となったのはガガーリンの温和で社交的な性格と、ユーリというロシア的な名前、労働者階級出身というガガーリンの生い立ちにあったと言われる。 地上に無事生還したガガーリンは、一躍「時の人」となった。ニキータ・フルシチョフとの対面では、ガガーリンはこのような計画を成功に導いた共産党の偉大さを賞賛。ガガーリンは宣伝旅行(プロパガンダ)で世界各地を回ることになる。フルシチョフにとってガガーリンの成功は、通常兵器を犠牲にしてまで自ら推し進めたミサイル力増強計画の成果を示すものだった。 ◇ 米ソに共通した宇宙戦略の「謎」 人類が宇宙に達したという衝撃的なニュースは世界を駆け巡った。特にアメリカは深刻な打撃を受けた。1961年5月、ケネディは60年代のうちに、アメリカは月に人間を送り込むと宣言した。否、そう言わざるを得ないほどに、ソ連に先を越された危機感を米国民全体が感じていた。 1968年3月、ソ連の国民的な英雄であるガガーリンは、ごく一般的な訓練飛行中に突然墜落し、死亡する。同乗者はトレーナー1名のみ。接触事故でもなく、ふってわいたような唐突な事故だった。いまだに謎が多い旧ソ連の宇宙開発史の中にあって、ガガーリンの死は、特筆すべき謎を内包したまま今日に至っています。 モスクワの東25kmの位置に、「星の街」とよばれる小さな地域がある。ここに旧ソ連の宇宙飛行士が訓練を行った施設がある。施設はいまなお厳重に警備され、関係者は家族ともどもこの中で生活している。今は「ガガーリン宇宙センター」という名で呼ばれる施設の中に、ユーリ・ガガーリンが使用していたオフィスは、そのままの形で残されている。机、本棚の書物、かずかずの記念写真など。 ボストーク1号がガガーリンを乗せて宇宙に旅立った1961年には、現在のようなデジタル技術は存在せず、電気と複雑な配線によるアナログな技術を駆使して宇宙に飛び立ったわけである。地上コントロールセンターのコンソールは、まるで学校の授業で使う実験機器を組み合わせたような、機械式ボタンとメーターと、モノクロモニターで構成されていた。コックピットも同様で、機械式のスイッチがぎっしりと配置されている。よくぞこのような設備で宇宙に飛び出したものだと思えるほど。 異国のよそ者を、ロシアの関係者はあまり歓迎しない。肝心なこととなるといまだに口を開こうとしない。当時の宇宙開発プログラムに直接関与していた彼らは未だに外国に旅行することを許されていないと言う。 世界初の有人宇宙飛行 国民的英雄・ガガーリン ※ 彼は、どうして、死んだのだろうか? |

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