|
平成20年3月11日(火)昨日:新疆で五輪狙ったテロ計画、独立派組織を摘発。 中国・新疆ウイグル自治区のウルムチで今年1月、北京五輪を狙ったテロを計画していたとして、地元警察当局が独立派組織「東トルキスタン・イスラム運動」のメンバーとみられる2人を射殺、15人を逮捕していたことを9日、同自治区トップの王楽泉共産党委書記らが明らかにした。党幹部が具体的なテロ事件を公表するのは珍しく、五輪に向けて組織的な摘発を強めていくとみられる。 9日に北京市の人民大会堂で開かれた全国人民代表大会(全人代)の同自治区代表団の会合後、王書記とヌル・ベクリ副書記が記者団の質問に答えた。事件について王書記は「警察当局者が摘発の際、テロリストから手製の手投げ弾を投げ付けられて7人が負傷した」と説明。王書記らの発言は、中国政府による同運動の摘発を「弾圧」と非難する国際社会の一部の声を牽制する狙いがあるとみられる。 3月11日は、ピアソラの誕生日です。 ◇ アストル・ピアソラ(1921〜1992、Astor Piazzolla) アルゼンチンの作曲家、バンドネオン演奏家 1921年、アルゼンチンにイタリア移民三世の子として生まれる。四歳の時、一家でニューヨークに移住し、15歳までを過ごす。このころ既にジャズに親しんでいたが、当初はバンドネオンやタンゴへの興味は薄かったという。1931年、ブロードウェイのラジオ局でバンドネオンのフォルクローレを録音し、以降ステージやラジオなどの演奏を行うようになる。1932年、処女作『42番街に向けて着実に』を作曲。 1954年、タンゴに限界を感じたピアソラはクラシックの作曲家を目指して渡仏、パリでナディア・ブーランジェに師事する。当初は自分のタンゴ奏者の経歴を隠していたが、ナディアにタンゴこそがピアソラ音楽の原点であることを指摘され、タンゴ革命の可能性に目覚めたと言う。 1955年7月に帰国後、エレキギターを取り入れたブエノスアイレス八重奏団を結成。前衛的な作風に保守的なタンゴファンから猛攻撃を受け、「タンゴの破壊者」とまで罵られるほどだった。命を狙われたこともあったとか。楽団としては成功せず、いくつかのアルバム録音を残した後に新天地を求めて家族で古巣のニューヨークに移住。ニューヨークでは歌手の伴奏などを行ったほか、実験的なジャズ・タンゴと称する編成を組んだ。 1959年、亡き父に捧げる代表作『アディオス・ノニーノ』を作曲。翌年帰国後に初演する。バンドネオン、ヴァイオリン、ピアノ、コントラバス、エレキギターからなる五重奏団を結成し、以後ピアソラの標準的グループ構成となった。 1990年、パリの自宅で脳溢血により倒れ闘病生活に入る。大統領専用機でアルゼンチンに帰国。1992年、ブエノスアイレスの病院にて死去。享年71。 本来、タンゴは踊りのための伴奏音楽であり、強いリズム性とセンチメンタルなメロディをもつ展開の分かりやすい楽曲だった。ピアソラは、そこにバロックやフーガといったクラシックの構造や、ニューヨークジャズのエッセンスを取り入れることで、強いビートと重厚な音楽構造の上にセンチメンタルなメロディを自由に展開させるという独自の音楽形態を生み出した。 完全にタンゴの表現を逸脱しており、「踊れないタンゴ」として当初の評判は芳しいものではなかった。一方で、ピアソラの音楽はニューヨークなどのあまりタンゴと関わりを持たない街で評価される。現在では、タンゴの可能性をローカルな音楽から押し広げた功績は、アルゼンチンのみならず国際的にも高く評価されている。ピアソラの音楽は共演者から「二十年先行していた」と評価され、ピアソラ一代で完全に終息しているために、タンゴ全体の未来はピアソラの先にはない、という見方もある。 Astor Piazzolla - Libertango(リベルタンゴ) ※ ヨーヨー・マ(チェリスト)らとのセッション Astor Piazzolla - Muerte Del Angel(天使の死 ) |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用




