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平成20年3月17日(月)昨日:日銀人事案、今日再提示、差し替えの意向。 福田首相は16日、福井俊彦日銀総裁の後任人事案を固め、17日に国会に提示する意向を関係者に伝えた。これを受け、政府関係者は16日、西岡武夫参院議院運営委員長らに対し、人事案を提示する「議院運営委員会両院合同代表者会議」を17日に開催するよう要請、同日中に開かれることになった。首相は、武藤敏郎副総裁の総裁昇格案が参院で不同意となったことを踏まえ、別の候補に差し替える意向と見られる。 ※ 一国の宰相が空席になったくらいの我が国だもの、日銀総裁の空席くらいで、ビクともするもんじゃありません。誰が総裁になったって、公定歩合を下げることは物理的に不可能だし、よもや公定歩合を上げるなんて選択肢はないのだから、誰でもいいんじゃない? 3月17日は、「彼岸の入り」です。 「春分の日」をはさんだ一週間を彼岸週間とするもの。 「春分の日」の3日前が、「彼岸の入り」に当たります。 「春分の日」の3日後が、「彼岸の明け」に当たります。 「春分の日」は、彼岸の「お中日」(おちゅうにち)と申します。 ※ 中日や 完全制覇の 悲願あり (ドラ萌え) ◇ 「暑さ寒さも彼岸まで」? 子規がぼやく、「彼岸の入りだと言うのに、いつまでも寒いな」。たしなめるように母が言う、「毎年よ、彼岸の入りに寒いのは」と。子規は、母の言葉をそのまま採句した…。 言葉とはうらはらに「暑さ寒さも彼岸まで」は、昔から人々の感懐をうらぎって来たようだ。「彼岸」という言葉から、暑いのも寒いのも、あっちへ行ってしまえ、と言う風な人々の思いが籠められたのかも知れない。 ※ 子規臨終のとき、母・八重は静かに枕元へにじりより、さも思いきってというような表情で、左り向きにぐつたり傾いている肩を起しにかゝって、「サァ、もう一遍痛いというてお見」と可なり強い調子で言はれた。傍らの河東碧梧洞は、何だかギョッと水を浴びたやうな気がしたと言う。八重の眼からは、ポタポタ雫が落ちていた。(これぞ、真実の引導なり。) 昨今では、彼岸のはるか以前からポカポカ陽気があったりで、桜も開花にそなえて準備が慌しいところかも知れない。「桜」には華やかな半面、「死」のイメージがついてまわる。1598年の春、太閤秀吉は秀頼、北政所、淀殿ほか約1300名を従えて、豪華絢爛たる「醍醐の花見」を催す。 そのあでやかさの対極にあったのが、他ならぬ秀吉自身だった。死期せまる彼は、「桜」を愛でながら己が死を濃密に感じていた。あまりにも見事で余りにも儚い「さくら」は、己が生死とひとつであった。朝鮮出兵の失策で、権勢の陰りは明らかだった。釜山で草木を噛み飢えをしのぐ将兵をよそに、このような豪遊をする自分の卑しさも感じずにはおれなかったであろう。消え残るいのち火を必死に秀頼につなごうと、焦るばかりの老いの哀しさ。そして、半年ほどで彼は死ぬのだ。やがて、秀頼も淀も…。高台院は、それらを具に見守る哀しみを味わう。 ※ 秀頼は三成の子なり、という説も巷間つたわる処なるとかや。 |

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