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平成20年3月22日(土)昨日:クリントン氏また痛手、ミシガンも再投票見送りへ。 米大統領選の民主党候補者指名レースで、党全国委員会の決定に反して予備選を前倒しし、制裁で代議員を剥奪されたミシガン州の予備選の再投票が20日、見送られる見通しとなった。フロリダ州はすでに再投票の断念を発表。先行するオバマ上院議員に迫るため、代議員数の上積みを狙っていたヒラリー・クリントン上院議員にとっては大きな痛手だ。ミシガン州の代議員数は156人、フロリダ州は211人で、計367人。いずれも制裁で「代議員ゼロ」に。 クリントン陣営としては、この両州で代議員数の差を縮め、総得票数も上積みしたいところだった。1月15日のミシガン州予備選では、オバマ氏とエドワーズ元上院議員は投票用紙に名前を載せずに不戦敗。クリントン氏が得票率55%で「勝利」していた。20日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、この両州の票がカウントされない場合、クリントン氏が獲得代議員数の差を縮め、総得票数で上回り、勢いを増すのは難しくなるとの見方を示した。 「お会式」の始まりは、夢殿が建立された後の天平20年(748年)ごろと考えられています。この行事は、聖徳太子のご命日にその遺徳をたたえ、供養する法要で、現在10年に一度大講堂で行われる聖霊会を「大会式」とよび、毎年行われる聖霊院の法要を「小会式」とよんでいます。 お会式のお供物 お会式に聖徳太子の御前に供えられるお供物は、堂内の華やかな荘厳とあいまって、まるで極楽世界を演出しているかのようです。それは約1ヶ月前の2月の末ごろから古い記録に則って準備されるもので、すべて寺僧や法隆寺に働く人たち、あるいは奉仕者によって手作りで行われます。これらのお供物は中世以来、綿々と伝わったもので、その源流は朝鮮半島にあると言われ、当時の食生活の貴重な資料ともなっています。 法隆寺(斑鳩町、聖徳宗総本山)では、宗祖ともいえる聖徳太子の祥月命日(旧暦)にあたる3月22日〜24日に「お会式」が行われるが、とくに10年に一度行われる大法要(大会式)は「聖霊会」とよばれ、南都楽所の雅楽にあわせて楽人が舞う舞楽が奉納されます。 ◇ よみがえった聖徳太子、盗難仏画の修復が完成(2008.3.19) 兵庫県加古川市の鶴林寺で平成14年に盗まれ、韓国人の犯行グループの逮捕で翌年に取り戻された聖徳太子の掛け軸の修復が終わり、同寺で19日、報道関係者に披露された。20〜23日に一般公開される。 掛け軸は、聖徳太子の生涯などを描いた国の重要文化財「絹本著色聖徳太子絵伝」。縦211センチ、横90センチで鎌倉時代後期の作とされる。 犯人グループが掛け軸を丸めて持ち去ったため、折り目がつき、一部が剥落するなど傷んでいたが、京都市の文化財修理業者が5年がかりで修復し、赤や緑の鮮やかな色がよみがえった。修復費用は約5000万円。 犯人グループのうち2人が15年3月に東京で逮捕された際に所持していたが、一緒に盗まれた重文の掛け軸「阿弥陀三尊」は韓国に渡った後、行方が分かっていない。幹栄盛住職(70)は「文化財はなくなったら終わり。阿弥陀三尊も何とか取り戻したい」と話した。 ※ お会式は宗祖等の命日にあわせて行われる大法会で、各宗派のものあり。 日蓮宗のお会式(日蓮の命日:10月13日) 浄土宗のお会式(日蓮宗のお会式とほぼ同時期) この他に華厳宗、真言宗などでも行われます。 法隆寺は飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築として、 また日本で初めてユネスコの世界文化遺産リストに登録されるなど、 貴重な仏教文化の宝庫として人々の注目を集めています。 通常拝観できない宝物を春秋の二回、特別公開します。 日 時:3月20日〜6月30日 9:00〜16:00 場 所:法隆寺大宝蔵殿 費 用:大宝蔵殿のみ 中学生以上500円 小学生250円 交 通:JR大和路線で法隆寺駅下車、徒歩約20分 問合せ:法隆寺 TEL 0745-75-2555 (秋季は 9月11日〜11月30日に開催) ◇『 聖徳太子はいなかった 』谷沢永一 テレビなどで一躍有名になった、大山誠一先生の聖徳太子非実在論。『聖徳太子の誕生』(吉川弘文館、1999)なども売れ行き好調とか。聖徳太子については、早い時期からその存在が疑問視されていた。 岐阜県美濃加茂市出身の歴史学者・津田左右吉(つだそうきち、1873年〜1961年)は、早くから古事記や日本書紀、特に神話関係の部分は後世の潤色が著しいとして、厳格に文献批判を行っている。官権による弾圧も受けたが、敗戦による価値観の転換を体現するように、神話(=皇国史観)を否定する「津田史観」は、第二次世界大戦後の歴史学の主流となる。今日、継体天皇以前の記紀の記述については、単独では証拠力に乏しいと見られている。 ※ 1940年には「古事記及び日本書紀の研究」などの著書4冊が発禁処分とされ、1942年には岩波茂雄とともに起訴され、ともに有罪判決を受けた津田左右吉先生は、早稲田大教授職からも退いた。敗戦後には軍国主義に屈しなかった進歩的学者と持ち上げられたが、1946年に天皇制を擁護する一文を『世界』に掲載し物議を醸し、1949年には文化勲章を受章しています。 従来の太子像:名は厩戸皇子。574年〜622年。推古天皇の摂政として冠位十二階を定め、門閥主義を排し、有能な人材を登用 。十七条憲法の制定。天皇中心の中央集権的官僚国家理念と道徳を目指す 。仏教興隆に尽力。593年、四天王寺を建立。 四天王寺(大阪市天王寺区、和宗総本山、太子の寺) http://www.shitennoji.or.jp/ 推古天皇元年(593)に聖徳太子が建立したとされる日本仏法最初の官寺 (当然、聖徳太子実在を前提に運営されております。) 四天王寺の「四箇院の制」:「四箇院」とは、仏法修行の道場である敬田院、 病者に薬を施す施薬院、病気の者を収容し病気を癒す療病院、身寄りのない者や年老いた者を収容する悲田院の四つの施設を、仏教根本精神の実践の場とするもの。 ◇ 太子像への疑義 『四天王寺縁起』:太子建立の寺とされる四天王に、聖徳太子自筆の書として四天王寺に現存するもの。地名、称号などに、当時は無くて後世に作られたものが記されている。記されている寺の規模が、飛鳥時代の発掘調査とは異なる。およそ太子の死後、400年を経た1010年頃の作成と考えられる。 『三経義疏』:太子の著作とされるものだが、内容に後世の引用があり、太子の作とは思えない。同内容の資料が中国に存在する。『十七条憲法』:官名や、内容に後世の概念が含まれている。『聖徳太子伝暦』:984年以前の成立。初めて、聖徳太子の全ての年次にわたり記述がある。聖徳太子とかかわりのない事柄まで、聖徳太子と関連付けされ聖人化されている。 |

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