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平成20年3月24日(月)昨日:朝青龍「おおきにっ!」大阪、4場所ぶり賜杯。 4場所ぶりに賜杯を抱いた朝青龍は表彰式で涙ぐみ、「大阪好きやで。ホンマ好きやで。まいどおおきに」と、激情型の横綱の独り舞台となった。 立ち合い、左四つで白鵬が攻め込んだ。しかし、まわしを引かずに攻め急いだ白鵬のすきを見逃さなかった。後退しながら体をひねり、右で思い切り良く小手投げ。4連覇を狙った相手は、土俵下へ転げ落ちた。 大阪府の橋下徹知事が、大相撲春場所の千秋楽で得意のパフォーマンスを見せた。橋下知事は幕内優勝力士・横綱朝青龍に知事杯を手渡すために土俵に上がり、マイクの前で「本当に熱い取組でした! 大阪が元気になりました。ありがとう!」と横綱対決の大一番を絶賛、表彰状の文面は読まなかった。一方で府の危機的な財政状況の再建を掲げ、今場所から優勝力士に贈る知事杯副賞の米(240キロ)と牛肉(15キロ)を一気に半減、計25万円をカット。「税金から出している。違うやり方があるのではないかということを指示した。もう少し行政が汗をかいてもいいんじゃないですか」とさらなる削減も視野に入れた。 橋下知事に続いて、宮崎牛1頭を贈るため土俵に上がった宮崎県の東国原英夫知事は、橋下知事の“ケチケチ作戦”を意識して「宮崎牛1頭です。1頭」と太っ腹ぶりを強調、笑いを取った。 3月24日は、「檸檬忌」です。(1901年〜1932年) 梶井基次郎の命日。肺結核で死す、享年31。 大阪生まれ。子ども時代は父の転勤と共に、東京、三重、京都などで暮らす(梶井は31年間の生涯に20回以上も転居する)。母は古典や和歌を子どもたちに読み聞かせた。12歳の時に祖母を、14歳の時に弟を結核で亡くしている。18歳、文学や音楽に熱中し授業に出なくなる。「漱石全集」を買い揃え、手紙に自分の名を「梶井漱石」と記すほどだった。19歳、肺結核を発病。20歳、父が定年後にビリヤード場を始め、梶井は熱中する。この頃から“退廃的生活”を送るようになる。 ◇ 短編『檸檬』のラスト部分 どこをどう歩いたのだろう、私が最後に立ったのは丸善の前だった。平常あんなに避けていた丸善がその時の私にはやすやすと入れるように思えた。「今日はひとつ入ってみてやろう」そして私はずかずか入って行った。 しかしどうしたことだろう、私の心を充たしていた幸福な感情はだんだん逃げていった。香水の壜にも煙管にも私の心はのしかかってはゆかなかった。憂鬱が立て罩(こ)めて来る、私は歩き廻った疲労が出て来たのだと思った。私は画本の棚の前へ行ってみた。画集の重たいのを取り出すのさえ常に増して力が要るな!と思った。しかし私は一冊ずつ抜き出してはみる、そして開けてはみるのだが、克明にはぐってゆく気持はさらに湧いて来ない。しかも呪われたことにはまた次の一冊を引き出して来る。それも同じことだ。 それでいて一度バラバラとやってみなくては気が済まないのだ。それ以上は堪らなくなってそこへ置いてしまう。以前の位置へ戻すことさえできない。私は幾度もそれを繰り返した。とうとうおしまいには日頃から大好きだったアングルの橙色の重い本までなおいっそうの堪えがたさのために置いてしまった。なんという呪われたことだ。手の筋肉に疲労が残っている。私は憂鬱になってしまって、自分が抜いたまま積み重ねた本の群を眺めていた。 以前にはあんなに私をひきつけた画本がどうしたことだろう。一枚一枚に眼を晒し終わって後、さてあまりに尋常な周囲を見廻すときのあの変にそぐわない気持を、私は以前には好んで味わっていたものであった。……「あ、そうだそうだ」その時私は袂の中の檸檬を憶い出した。本の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、一度この檸檬で試してみたら。「そうだ」 私にまた先ほどの軽やかな昂奮が帰って来た。私は手当たり次第に積みあげ、また慌しく潰し、また慌しく築きあげた。新しく引き抜いてつけ加えたり、取り去ったりした。奇怪な幻想的な城が、そのたびに赤くなったり青くなったりした。やっとそれはでき上がった。そして軽く跳りあがる心を制しながら、その城壁の頂きに恐る恐る檸檬を据えつけた。そしてそれは上出来だった。 見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。私は埃っぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。不意に第二のアイディアが起こった。その奇妙なたくらみはむしろ私をぎょっとさせた。 ――それをそのままにしておいて私は、なに喰わぬ顔をして外へ出る。―― 私は変にくすぐったい気持がした。「出て行こうかなあ。そうだ出て行こう」、そして私はすたすた出て行った。 変にくすぐったい気持が街の上の私を微笑ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後には、あの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。私はこの想像を熱心に追求した。「そうしたらあの気詰まりな丸善も粉葉みじんだろう」。そして私は活動写真の看板画が奇体な趣きで街を彩っている京極を下って行った。(終) |

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