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平成20年4月7日(月)昨夜:原巨人、坂本クンの満塁弾で蘇生? 4月7日、永山則夫が逮捕されました。 1969年4月7日、連続ピストル射殺事件の容疑者として永山則夫を逮捕。 ◇ 永山則夫(1949年6月27日〜1997年8月1日) 1968年から1969年にかけて、連続ピストル射殺事件(警察庁広域重要指定108号事件)を引き起こした元死刑囚。1969年の逮捕から1997年の死刑執行までの間、獄中で創作活動を続けた小説家でもある。1983年、小説『木橋』で第19回新日本文学賞を受賞。 北海道網走市呼人番外地に、8人兄弟の7番目の子(四男)として生まれる。父親の放蕩生活により家庭は崩壊、今日で言うネグレクトの犠牲者であった。1954年(当時5歳)、母親が則夫を含む4人兄弟を網走の家に残し、青森県板柳町の実家に逃げ帰る。残された則夫を含む4人兄弟は屑拾いなど極貧生活に耐えてギリギリの生活をしていたものの1955年に、見かねた近隣住民による福祉事務所への通報で、板柳の母親の元に引き取られる。 あたかも、是枝裕和監督の『誰も知らない』を想起させるような、大人社会から拒絶された環境を強いられていた。1965年3月、板柳から東京に集団就職。上京後は職を転々とし、どこも長続きすることはなかった。 1968年10月から1969年4月にかけて、米軍宿舎から盗んだピストルで、東京、京都、函館、名古屋で4人を射殺、「連続ピストル射殺事件」(広域重要指定108号事件)を引き起こす。この事件は、1965年に起こった少年ライフル魔事件に刺激されたのではないかという見方もある。 1969年4月7日(当時19歳10ヶ月)、東京で逮捕される。1979年に東京地方裁判所で死刑判決。1981年に東京高等裁判所で無期懲役に減刑、1990年に最高裁判所で「家庭環境の劣悪さは確かに同情に値するが、彼の兄弟たちは凶悪犯罪を犯していない」として、死刑が確定する。 獄中で、読み書きも困難なレベルから独学で執筆活動を開始、1971年に手記『無知の涙』、『人民をわすれたカナリアたち』を発表。この印税は4人の被害者遺族へ支払われ、そのことが1981年の高裁判決における情状酌量の一つとされ、無期懲役への減刑につながった。 1983年には、小説『木橋』で第19回新日本文学賞を受賞。1990年には、秋山駿と加賀乙彦の推薦を受けて日本文藝家協会への入会を申し込むが、協会の理事会にて佐伯彰一、杉森久英など理事の一部が、永山が殺人事件の刑事被告人であるため入会させてはならないと反対した結果、入会が認められず、それに抗議した中上健次、筒井康隆、柄谷行人が、日本文藝家協会から脱会するという出来事も起こった。 その一方で、1996年、ドイツ・ザール州作家同盟への正式入会を果たしている。獄中から手記や短歌を自ら発表する死刑囚は多いが、自らの罪を認める一方で、自己の行動を客観的にふりかえるという手法で創作活動を行い、文壇において一定の地歩を獲得するまでに至った永山は、死刑囚としては稀有の存在と言えます。 ※ 歩き遍路をしていた時、文庫本の『無知の涙』を携えていた。徳島は山道が多くて草鞋ばきには都合が良かったが、高知はアスファルト道、コンクリート道ばかりが延々と続き、私の脚はずいぶんとダメージを受けたものだった。岩陰に休憩して、『無知の涙』を読み終えた。梶井基次郎の『檸檬』ではないが、高知の岩の上に『無知の涙』をそっと置き、遍路の旅を続けた。 ◇ 川内康範さん死去(2008年4月6日) テレビ創成期の人気番組「月光仮面」の原作者で、昭和を代表する名曲「誰よりも君を愛す」「おふくろさん」などの作詞でも知られる作家・川内康範さんが6日午前4時50分ごろ、青森県八戸市の病院で亡くなっていたことが7日、分かりました。享年88。 昨年、歌手の森進一(60)との「おふくろさん」改変騒動で時の人となる。最近、体調を崩し入院していた。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。 森進一『おふくろさん』 晩年の川内さんが一気に注目を浴びたのは、昨年2月に勃発した「おふくろさん騒動」。森が「おふくろさん」に語りを加えたことに対し、「もう歌わせない」として、同曲をはじめ、森に提供した全ての楽曲の歌唱を禁止した。騒動の間、テレビなどを通し、舌鋒鋭く怒る姿が印象に残った。今年1月には、森が面会を求める手紙を出したが、受け取り拒否。森とは和解をしないまま、この世を去った。川内さんが、虎屋の羊羹を食べることは、ついになかった。 ◇「もう歌わせない」絶縁宣言、どうなる「おふくろさん」 騒動は森が一昨年のNHK紅白歌合戦で「おふくろさん」の歌唱前に、「いつも心配かけてばかり いけない息子の僕でした…」などとせりふを加えたことに川内さんが激怒。昨年2月、「おれの歌は歌わせない」と絶縁を宣言した。森は「30年近く(せりふを加えて)歌っており、先生も知っていると思った」と釈明。その後、直接謝罪を求めるも、川内さんは応じず、森側は昨年3月から川内作品の歌唱を自粛している。 一方、JASRACは、改変後の「おふくろさん」の利用は許諾できない(森も含め歌えない)とする注意をホームページに掲載。語りの入らない“オリジナル”は従来通り利用でき、「森さんだけに『おふくろさん』の歌唱を禁じるのは法的に不可能」とした。森の「おふくろさん」歌唱再開は、川内さんの許しを得られるかどうか、にかかっていた。川内さん亡き後、森はどんな決断を下すのか。 ◇ 森、FAXで「願いかなわなかった」 東京都渋谷区の自宅には森のコメントを求め、報道陣が集まったが反応はなし。夜遅くにマスコミ各社に寄せたファクスの中で「おふくろさん」について触れ、「私の思いの至らなかった部分もあり、直接お目に掛かって私の気持ちをお伝えしたいとお願いしてまいりましたが、それもかなわないことになってしまいました」などと綴った。8日にNHKの生番組「歌謡コンサート」(後8・0)に出演。関係者によると、番組内で川内さんの訃報について語る可能性もあるという。 |

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ご冥福をお祈りします
2008/4/8(火) 午後 10:56
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2008/5/2(金) 午後 1:44 [ ゆめパパ ]