|
平成20年4月14日(月)昨日:ダライ・ラマ師「暴力拡大なら辞任」、米で会見。 訪米中のチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は13日、西部シアトルで記者会見し、中国チベット自治区などでの暴動に関して「チベット人の大多数が暴力に走るなら、私は(亡命政府の政治的ポストから)辞任する」と述べ、非暴力主義を追求する立場をあらためて明確にした。 ダライ・ラマ師は「私が求めているのが分離、独立でないことは全世界が知っている」と強調し、ダライ・ラマ師を「チベット独立を企てる祖国分裂主義者」と非難する中国政府に反論した。 4月14日は、「タイタニックの日」です。 1912年(明治45年) 4月14日、午後11時40分、タイタニック号が氷山に衝突。 船首から沈み始め、やがて船尾の重みに耐えきれなくなった船体が、中央から凄まじい大音響と共に二つに折れ、船尾部分は海中に放り出された人々の上に落下。船首はそのまま船尾を垂直に海中へ引き込み、船体は海中で大きく3つに裂かれて、海底深くに姿を消した。4月15日、午前2時20分頃の出来事であった。犠牲者1,500人以上と言われる。 速力よりも豪華にゆったりとした船旅を楽しむことを目的に設計されたタイタニック号は、安全設計においても優れていたが、乗員2208名に対して、救命ボート数は20隻、収容定員は1178名だった。 世界一の豪華客船といわれたタイタニック号がニューヨークへ向けての処女航海中に、ニューファンドランド沖で氷山に衝突し沈没した。唯一の日本人乗客として、鉄道院の細野正文が乗船していたが、奇跡的に生還している。彼は細野晴臣の祖父にあたる人物です。生存者は、706人でした。 ◇ 「石原慎太郎が男だった日」 1995年4月14日、石原慎太郎衆院議員が国会の永年表彰スピーチにおいて、 突如、辞任を表明。曰く、どうしようもない日本の閉塞状態をもたらしている 官僚政治に、唯々諾々と看過している国会議員はさながら宦官の如きであり、 自分は責任を感じ辞職するとの弁だった。 ※ 都知事さま、昔の光り、今いずこ? ※ 新銀行、兵どもが、夢のあと ◇ 円仁の生誕祝い、日中両国の寺院で一斉に鐘(2008年4月14日9時) 平安時代に遣唐使として中国に渡った僧侶・円仁(794〜864)の誕生日にあたる14日、山形市の立石寺での誕生祭にあわせ、円仁にゆかりのある日本と中国の約80の寺院で午前9時に一斉に鐘を打ち鳴らしました。 円仁は天台宗の僧侶で、今年は比叡山で修行を始めてから1200年目に当たる。鐘を鳴らして誕生を祝おうと元山形県議の大内孝一さん(78)が発案。円仁がかつて滞在した中国・山東省の赤山法華院にも打診し、快諾を得た。大内さんによると、今回は中尊寺(岩手県平泉町)や壬生寺(栃木県壬生町)などの寺院が参加。鐘を鳴らすのは来年以降も行う考えで、円仁ゆかりの寺院にさらに広く賛同を呼び掛ける予定。 延暦25年(806年)、最澄は比叡山に天台宗を開きました。その2年後の大同3年(808年)、下野国(栃木県)で勉学に励んでいた15歳の少年円仁は、向学の夢を抱き師の広智につれられて比叡山に登ります。憧れの最澄のもとで円仁は懸命に修行し、やがて遣唐僧に選ばれ、45歳で入唐求法の旅に赴きました。 10年にもおよぶ苦難の旅の末帰国した円仁は、第三代天台座主につき、中国から伝えた最新の密教や法華経と阿弥陀信仰などを一気に広めました。その業績は高く評価され、没年2年で日本最初の大師号である「慈覚大師」を贈られました。円仁の業績は、日本の古代仏教史のみならず日本文化史上においても多大な影響を与え、円仁ゆかりの寺社は日本全国で700にも及び、また彼の在唐日記『入唐求法巡礼行記』は、マルコ・ポーロ「東方見聞録」、玄奘三蔵「大唐西域記」と並ぶ三大旅行記として世界的な評価を受けています。 |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用





立ち寄りました(^^)のでカキコしました。
2008/4/14(月) 午後 4:19 [ cutyzizi ]