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平成20年4月30日(水)昨日:柔道・井上康生が現役引退。 体重無差別で競い、柔道の日本一を決める全日本選手権(朝日新聞社後援)が29日、北京五輪男子100キロ超級の代表最終選考会を兼ねて日本武道館で開かれた。石井慧が2年ぶり2度目の王座につき、100キロ超級代表に選ばれた。21歳での日本の五輪男子最重量級代表は最年少。これで男女計14階級の五輪代表が出そろった。 2000年シドニー五輪100キロ級金メダリストの井上康生(29)は準々決勝で敗退。大会終了後「今後は指導者でがんばっていきます」と語り、現役引退の意向を示した。 4月30日は、細川護煕元首相が議員辞職した日です。(1998年) ◇ 細川護煕(1938年、東京生まれ) 祖父は近衛文磨。上智大学卒業。1971年、最年少で参院全国区初当選。やはり最年少で熊本県知事を務めた後、1992年、日本新党結成。1993年、第79代内閣総理大臣就任。1998年、還暦を期して議員辞職後は講演活動などのほか、神奈川県湯河原町で作陶に打ち込む。 第79代首相(1993. 8. 9〜1994. 4.28)(263日)(就任時:55歳) ◇ 1998年4月30日、細川護煕の議員辞職 4月30日午後、細川護煕元首相が衆院議長に議員辞職願を提出。細川氏は「政治を志した当初から60歳を区切りにしようと思っていた」と説明したが、突然の辞職表明に周囲は唖然とした。細川氏が日本新党を結成して参院選に挑んだのは1992年7月。翌年には衆院に鞍替えし、当選後は首相に就任。在任中は、外遊先でマフラー姿を披露するなど、従来の政治家の常識を覆すパフォーマンスで、人気を呼んだ。新党結成から議員辞職まで6年足らず。 1998/04/30 民主党ニュース「細川護煕議員が国会議員を辞職」 民主党の細川護煕議員は4月30日、議員辞職届けを衆議院議長に提出した。細川議員は記者会見で「60歳を区切りにしようと思い定めていたので、政権の選択肢として新『民主党』の発足にこぎつけることができたことは、思いを達する機会となった」と説明。新しい民主党に対しては「外からエールを送らせていただく」と述べた。 これに対して菅代表は「残念なことだが、新しい立場の味方が1人できたと、前向きにとらえたい」と語った。 ◇ 細川ガラシャの辞世 辞職会見で細川護煕元首相は、細川ガラシャの辞世を引用して自らの心境を語った。ガラシャの子孫である細川氏であれば、当然なのであろうか。細川ガラシャ(明智玉)は、光秀の三女で細川忠興の正室。本能寺の変では幽閉された。関ヶ原の戦い直前では、西軍の石田三成に人質に取られる事を拒み、家老に槍で突かせたと言われる。切支丹であったガラシャに自害はできなかった。享年38。 辞世に「ちりぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ」と詠む。 ※ 小泉元首相もガラシャの辞世を引用したことがあります。 ※ ちりぬべき悪党ばらが蔓延りて 弱き者らの死に急ぐ世ぞ
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2008/5/1(木) 午後 7:46 [ 七福神 ]