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平成20年5月10日(土)昨日:軍政下、援助届かぬ都市貧困層、ミャンマー。 被災から7日たってもサイクロンのつめ跡は町のあちこちに生々しく、人びとの生活は復旧にほど遠い。直撃を受けたのは貧困層だ。行き場を失った人びとは、寺院などに身を寄せ、届かぬ援助に憤りを隠さなかった。 「家なんてもう残ってない」。ヤンゴンで被害が特に大きかった西部フラインタヤー地区。家族10人と小さな寺院に避難している工場労働者、ウィンさんは途方に暮れたように言った。同地区は新興開発地域。日雇い仕事を求めて地方から低賃金で働く人びとが集まってくる場所でもある。 ウィンさんが近くの食品工場で夜勤をしていた2日深夜、突然すさまじい音がして工場の屋根がすべて吹き飛ばされた。風雨の中をあわてて家に帰り、妻子らを連れて寺院へ。以来、境内のあずまやで寝起きする。僧に恵んでもらっているわずかな食料で生きている。「だが、ここも今日限りで出て行けといわれた」。工場は破壊されたままで仕事はない。「路上で暮らすしかない」とため息をつく。 寺院には家を失った50人ほどが身を寄せる。乳飲み子や病人もいる。「援助は全く来ない。軍事政権には被災者が見えていないみたい」。年配の女性が言った。ミャンマーの新聞やテレビは連日のように、軍政幹部が被災地で援助物資を配る様子を報じている。だが、「幹部が行った場所でしか配られていない」と人びとは憤る。 被災者の多くは、軍政が国際社会からの支援受け入れに消極的なことを知っている。家も水も食料も薬もなかなか届かないなかで、人びとの体力は限界に近づいている。最も被害が深刻で、約2万3千人の犠牲者の大半を出した、ヤンゴン南西のエヤワディ管区では、人道支援関係者も報道関係者も、外国人の入域は厳しく制限されている。被災者がどれだけの窮状に陥っているのか、全容は依然わからない。断片的な情報が伝わってくるだけだ。 5月10日は、「大垣まつり」です。 「大垣まつり」(5/10&5/11)(毎年、5月15日までの15日に近い土・日) 場所:八幡神社前、大垣駅通りほか 交通:JR大垣駅南口下車すぐ 問い合わせ:大垣祭出やま運営委員会(市商工観光課内) TEL 0584-81-4111 ※ 雨天の場合は、山車(やま)の巡行は中止になります 1648年(正保5)年に大垣藩初代藩主・戸田氏鉄公が八幡神社を再建した際、城下十ヶ町が「やま」を曳いたことが始まりとされ、360年近い歴史があります。趣向を凝らした雅やかな11両の「やま」では、からくり人形や子ども舞踊なども披露します。御巡行は東回り、西回りと年次交代で行われ、新緑の市内約9キロのコースを練り歩きます。日没後は提灯がともされ、昼間とはまた違った情緒が醸し出されます。 現在、11輌の「やま」が現存しています。 神楽山車、大黒山車、恵比須山車、相生山車、菅原山車、鯰山車 榊山車、玉の井山車、松竹山車、愛宕山車、猩々山車 |

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小学生2年の時、私の描いた大垣祭りの絵を、先生がなにかのコンクールに出され、それがドイツへ渡ったそうです。丁度、日独伊三国同盟が結ばれた頃でないでしょうか?
2008/5/11(日) 午前 9:16 [ kaz*_51** ]