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平成20年5月22日(木)昨日:オリックス・コリンズ監督の辞任発表。 オリックスは21日の阪神戦終了後、テリー・コリンズ監督(58)の辞任を発表した。記者会見したコリンズ監督は「野球の監督をする強い情熱の火がなくなってしまった」と退団理由を説明した。大石大二郎ヘッド兼内野守備・走塁コーチが監督代行となる。投打のチーフコーチを務めたマイク・ブラウン、ジョン・ディーバス両氏も退団する。 オリックスのシーズン途中での監督交代は2003年の石毛宏典以来で、同年以降、6年間で6回目の監督交代となる。会見で、中村球団本部長は「1週間ほど前に相談を受けた。慰留に努めたが、決意が固かった」と話し、前日に監督代行を打診されたという大石コーチは「とにかく1試合1試合大事に頑張っていくしかない」と表情をこわばらせた。 フロントがしっかりした方針に沿ってチーム作りを続けてきたかといえば疑問。長距離砲をずらりと並べる打線を、コリンズ監督がベストだと考えていたとは思えない。成績不振を理由に、次々と監督の首をすげ替えてきた姿が、チーム作りの底の浅さを映し出している。この日の阪神戦で、放出した平野に逆転打を浴びた光景を見て、球団幹部は何を思ったか。 選手会長の北川も「今は分からない。何もないです」と言葉少な。「野球に対する情熱がなくなった」とコリンズ監督は説明したが、自身の求心力低下も、辞任を決意した大きな理由だろう。昨季の契約更改の席では、起用法や1、2軍の入れ替えなどについて、選手たちから異例の監督批判まで飛び出した。選手からは「何を考えているか分からない」という指摘もあり、意思の疎通に欠けていたのは明らか。 今季も「溝」は埋まらず、他球団のある監督も「オリックスは監督と選手がだいぶ仲が悪いらしいな。大丈夫か?」と心配するほどだった。5月に入ってチームは好調を維持。投手陣も徐々に整備され、打線もつながるようになってきた。そんな「上昇気流」の中での「職場放棄」に、中村本部長も「何度となく慰留に努めたのだが…」と厳しい表情。代行を務める大石ヘッドコーチも「残念だし、悔しい」と唇をかむ。後味の悪い辞任劇となった。 <オリックス3 - 7阪神>(21日、スカイマーク) ※ 近鉄併合頓挫から、ロクな事はありませんね。内部崩壊の様相。 <楽天1 - 3中日>(21日、Kスタ宮城) 4回表、ウッズ 4回の11号2ラン(0-2)、 5回裏、嶋のセーフティバントに小田がハンブル捕失、渡辺1点打(1-2) 6回表、井端バントヒット&盗塁、李三振、ウッズ三振、和田2塁打(1-3) ※ 山本昌は低めへの制球と緩急が冴え3連勝で196勝目。42歳。 野村監督「単純な投手なら攻略できるが、山本のような投手に極意のような投球をされると手がでない。まだまだ未熟、教育不足です」。 山崎武「昌さんは球が速くなってる。コントロールも良くやられちゃいました」。 交流戦は、山本昌のアンチエイジング投法が期待できます。 <ロッテ5 - 8巨人>(21日、千葉マリン ) ※ 原ジャイアンツ、借金1にまでこぎつけたけれど… 5月22日は、杉並区からのごみ収集車を実力阻止した日です。 1973年5月22日、東京ゴミ戦争で区内に最終処分場を持つ江東区が、 反対運動により清掃工場の建設が進まない杉並区を地域エゴと断じ、 杉並区からのごみ収集車を実力で追い返す。 ◇ 東京ゴミ戦争 東京都における廃棄物の処理・処分に関する紛争。特に1950年代後半から1970年代にかけて、江東区と杉並区の間で起きたごみの処理・処分に関する紛争のことをさすことが多い。当時の美濃部東京都知事が「ごみ戦争宣言」を行ったことで、「ゴミ戦争」の名がクローズアップされた。(1971年9月28日、「ゴミ戦争」宣言。美濃部都知事が都議会でゴミ処理危機を訴える。) 1950年代半ば、日本は高度経済成長期を迎えた。高度経済成長は国民の所得を増加させ、その結果、生活様式は大量生産・大量消費・大量廃棄へと変化した。このことは廃棄物の増大や多様化を招き、最終処分場の逼迫や清掃工場から出る煤煙の問題など、ゴミ問題がより顕著に現れるようになった。 処理量の増大に清掃工場の処理能力や清掃工場そのものの数が追いつかず、廃棄されるごみの約7割がそのまま埋め立てられるようになっていた。そして、江東区は江戸の昔から埋め立てゴミの処分を担っていた。江東には他の区からも未処理のごみや焼却灰などを積載した収集車やダンプカーなどが入り込み、1971年には特別区で排出されるゴミの7割が江東区に運ばれ、毎日5,000台以上の収集車などが区内を走り悪臭やゴミ火災、交通渋滞、ハエの発生などが深刻な問題となっていた。 ※ 今日では考えられないような台数のゴミ収集車が、江東区を一日中疾駆しており、自動車教習所を出て仮免許の試験の時などは、最大の恐怖であった。 江東区からの要望を受け、都は全ての特別区に清掃工場の建設を決め、1956年「清掃工場建設10ヶ年計画」を策定。東京都はこれに従って建設用地などの選定を進め、大田・世田谷・練馬・板橋などの区で新しく清掃工場が建設されることになった。このうち、杉並区における建設案は環状八号線沿いに清掃工場を設ける1939年の内務省告示をベースとしており、1966年に東京都は清掃工場建設予定地として高井戸地区を選定。 しかし、地域選定理由が不透明で事前に地域住民に対する協議等がなかったなどとして高井戸地区住民が反発、杉並区の清掃工場建設計画は中断。これに対し、東京都は1968年に強制収用手続を開始し、1971年5月には審議が終了して採決を待つ段階に入っている。 江東区は東京のゴミの最終処分場であり、1957年の夢の島(14号埋立地)の建設に際して東京都はゴミによる公害を防ぐことを公約して江東区の建設許可を得たが、これは十分に順守されていなかった。このため1964年の新夢の島(15号埋立地)建設にあたって反対運動が起き、東京都は1970年までに埋め立てを終了して、以後は全量を焼却に転換する事を約束したが、上記のような清掃工場の建設停滞を受けてこの約束も果たされず、1973年まで埋め立てが延長された。 1971年9月27日、江東区は進まない計画に苛立ちを募らせ、区議会においてゴミ持込反対決議を行った。これに加えて江東区は都と22区宛に「自区内で処分場をもつという原則に賛成か反対か」という内容の公開質問状の送付、および返答などの対応が不十分な場合はゴミの搬入を阻止することを決定している。翌日、美濃部都知事はこれを受けて都議会において「ゴミ戦争」を宣言し、その解決への決意を表明した。 1972年、美濃部都知事は反対地区住民との対話を重視する姿勢を打ち出す。杉並区については強制収用を執行せず、計画を白紙として改めて地区を選定し直した上で、区職員や有識者などで構成する都区懇談会談合談会を設け、その地区選定などを諮った。 都区懇談会談合では、選定された地区について建設が妥当であるかどうかなどについて協議が行われていたが、高井戸を含む各候補地で反対組織が作られて事態は膠着。このような中、同年12月に入って年末年始のゴミ増加に対応するため東京都が都内8ヶ所に一時的なゴミ集積所を設けようとしたところ、この一つとなった和田堀公園周辺の住民が工事を実力阻止する事件が12月16日に起きた。 この事件を受け、杉並区の住民がこの東京都全体の問題解決に積極的ではないと見た江東区は、12月22日に区長自らが杉並区のゴミの搬入を江東区の道路で止めるという行動を起こした。東京都が早急な集積所建設を約束したため同日昼に搬入阻止は解除されたが、一時集積所の建設が遅れた杉並区では収集が出来ないゴミが集積所に積み上げられたままとなり、江東区のように悪臭やハエなどが発生し、地域の衛生が悪化した。このような状況はメディアに取り上げられ、全国にこの紛争の様子が映し出されることとなった。 高井戸地区を含む選定予定地区の住民が都区懇談会談合に含まれていなかったことから、翌1973年5月15日には清掃工場の建設に反対する住民が会合に乱入して流会させる事件が起きた。これに江東区は再び反発し、翌日に杉並区のゴミの搬入阻止を決定。さらに5月21日にも反対派による流会が起きたため、翌22日に搬入阻止が実行され、これに加えて江東区に協調した東京都清掃労働組合も杉並区内での収集を拒否し、同区での収集が完全に中止された。 この混乱を受けて5月23日に都区懇談会談合は高井戸への工場建設を再決定、9月中の解決を江東区に約束したが、規定された手続きを経なかったこともあって期日までに事態は進展しなかった。このため、5月25日から阻止を中止していた江東区は10月1日に公開質問状を再び送り、都全体のゴミを対象とした全面埋め立て阻止を示唆する。 東京都は、都区懇談会談合からの答申などを受け、改めて高井戸地区を清掃工場の用地に選定した。都の設けた最終期限の11月5日までの回答を反対派は拒否し、美濃部知事は強制収用手続きの再開を決めて審理委員会に採決を求めた。これに対する収用手続き取り消し訴訟もあったが、東京地裁から勧告が出され、1974年11月21日に全面的な和解が成立した。 1956年:東京都が「焼却工場建設10ヵ年計画」発表 1966年:東京都が高井戸地区を清掃工場予定地に選定 1967年:美濃部氏が都知事に就任。事業計画の取消を求め地域住民が提訴 1971年:江東区「ゴミ持込反対」決議。都知事が都議会でゴミ戦争を宣言 1972年:江東区が杉並区のごみ搬入阻止 1973年:江東区が杉並区のごみ搬入阻止(2回目)。都、高井戸地区を再選定 1974年:東京地裁で和解勧告・成立 1978年:清掃工場建設開始 |

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始めましてランダムから来ました。宜しかったら私のブログ見てください。宜しく。
2008/5/22(木) 午後 9:52
はじめまして
面白そうなブログですね
退屈な日々にリセット・・・・・
2008/5/23(金) 午前 0:09 [ みわりん ]
はじめまして、よろしくです。
気分転換に、僕のブログでもみてくださ〜い。
2008/5/23(金) 午後 11:51 [ おそうじパパ ]
はじめまして、よろしくです。
よろしければ僕のブログでもみてくださ〜い。
すいませんが、ご迷惑でしたらスルーしてください。
2008/5/31(土) 午前 10:30 [ がんばりパパ ]
豊洲で汚染・汚染!と騒いでいるけど、東京の埋立地はほとんどがゴミや有害物質で埋立てられている。
真実を東京都はもっと公表すべきですね。
豊洲の移転をやめるということは、東京の埋立て地を利用しないということになりかねない。
なお、環境・健康リスクの観点では、土の中の土壌汚染より水の底の底質汚染の方が巻き上がりや食物連鎖があるので非常に危険です。
2010/7/24(土) 午前 7:27 [ 環境のよい不動産が好き ]
築地移転推進派、「早期に予算執行を」
築地市場の移転問題を巡り、都議会が7日、市場を移転するかどうかの結論を先送りしたことを受けて、移転を推進する関係団体が東京都に「早期に予算を執行するよう」申し入れました。
「知事、まさにいま決断の時です。ぜひとも速やかに事業に着手し、今年度予算のすべてを執行し、平成26年度の開場を確たるものに」(新市場建設推進協議会 伊藤裕康会長)
築地市場移転を推進する団体は、都議会で移転に関連する予算が事実上、凍結していることを受けて、石原都知事あてに早期の予算執行を求める要望書を提出しました。
築地市場の移転問題については、7日閉会した都議会で結論が出ず、民主党などの賛成多数で引き続き審議することが決まっています。
事実上、凍結している新市場移転関連予算は、知事の職権で行使することができます
2010/10/9(土) 午前 4:30 [ 健康環境安全のために法律を学ぶ ]