|
平成20年5月26日(月)四川大地震:死者6万2664人、不明2万3775人。 5月26日は、加藤楸邨の誕生日です。 ◇ 加藤楸邨(しゅうそん)(1905年〜1993年) 俳人、国文学者。本名は加藤健雄。妻は俳人の加藤知世子。 東京市北千束に生まれる。1929年、埼玉県立粕壁中学校(現・埼玉県立春日部高等学校)の教員となる。同年、矢野チヨセ(加藤知世子)と結婚。 1931年、粕壁中学の同僚の勧めで俳句を始める。水原秋桜子の主宰する『馬酔木』に投句、秋桜子に師事。1935年、馬酔木の同人となる。 1940年、東京府立第八中学校(現・東京都立小山台高等学校)の教諭となる。俳誌『寒雷』を創刊し主宰となる。1942年、馬酔木を離脱。1944年、歌人の土屋文明らと中国に渡り戦地俳句を詠む。1946年8月、休刊していた『寒雷』を1年8ヶ月ぶりに復刊。戦地俳句を詠んだことで大本営への協力を疑われ批判される。1954年、青山学院女子短期大学の教授となり、1974年(昭和49年)まで勤務。 1968年、句集『まぼろしの鹿』で第二回蛇笏賞を受賞。1986年、妻・チヨセ死去。太平洋戦争中より始めた松尾芭蕉の研究などの功績により紫綬褒章、勲三等瑞宝章を叙勲。1993年初頭、病を得て入院。7月3日永眠、享年88。死後の8月2日、従四位を追贈される。楸邨は「真実感合」を唱え、人の内面心理を詠むことを追求し、中村草田男、石田波郷らと共に人間探求派と呼ばれた。 凩や焦土の金庫吹き鳴らす さむきわが影とゆき逢う街の角 枯れゆけばおのれ光りぬ枯木みな 蟻殺すわれを三人の子に見られぬ 雉子の眸のかうかうとして売られけり 死ににゆく猫に真青の薄原 百代の過客しんがりに猫の子も ◇ 加藤楸邨の「楸」は訓読みでは? 木に春夏秋冬あり、「椿」「榎」「楸」「柊」。 つばき、えのき、???、ひいらぎ。 実は「楸」は、「ひさぎ」と読みます。 |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用




