今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

全体表示

[ リスト ]

5月28日、堀 辰雄忌

 平成20年5月28日(水)昨日:ふるさと納税創設1か月、出足低調。

 全国知事会の試算では、出身地以外の自治体で暮らす全員が、個人住民税の納税額の1割分を出身地に寄付した場合、東京、名古屋、大阪の三大都市圏から地方へ総額1352億円の財源が動く、筈だが…。制度導入から1か月もたたず、知られていないこともあり、実際の寄付は低調なケースが少なくない。例えば、近畿地方の2府4県に寄せられた寄付は26日現在、16件約185万円。福島県がHPに設けた制度に関するアンケートの回答者は、今月上旬までに22人にとどまっている。  ※ 選挙の目玉になったのか、ならなかったのか、それすら判然とせぬまま、お荷物ばかりが残りましたとさ。



 5月28日は、堀 辰雄の命日です。

 ◇ 堀 辰雄(1904年12月28日〜1953年5月28日)(東京都出身)

 1930年に『聖家族』で文壇デビュー。 このころから肺を病み、軽井沢に療養することが多く、それを舞台にした作品を多く残す。加療中にはマルセル・プルーストやジェイムズ・ジョイスなどの当時ヨーロッパの先端的な文学に触れ、堀作品を深めた。後年の作品『幼年時代』にみられる過去の回想には、プルーストの影響が見られる。

イメージ 1
 1934年、矢野綾子と婚約するが彼女も肺を病んでいたために、翌年、八ヶ岳山麓の富士見高原療養所に共に入院、綾子はその冬に死亡。この体験から『風立ちぬ』が生まれた。『風立ちぬ』では、ポール・ヴァレリーの『海辺の墓地』を引用している。この頃、折口信夫から日本の古典文学の手ほどきを受け、王朝文学に材を得た『かげろふの日記』などの作品や、『大和路・信濃路』(1943年)のような随想的作品をものする。また、現代女性の姿を描き、『菜穂子』(1941年)のような、既婚女性の家庭の中での自立を描く作品にも挑んだ。

 戦時下の不安な時代に、時流に迎合しない堀の作風は後進にも多くの支持を得た。立原道造・中村真一郎・福永武彦らは、堀の門下のような存在として知られる。戦争末期は病も重くなり、戦後はほとんど作品発表できず、信濃追分で闘病生活を強いられた。


 ◇ 堀 辰雄 『風立ちぬ』
  (冒頭)
 それらの夏の日々、一面に薄の生い茂った草原の中で、お前が立ったまま熱心に絵を描いていると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木蔭に身を横たえていたものだった。そうして夕方になって、お前が仕事をすませて私のそばに来ると、それからしばらく私達は肩に手をかけ合ったまま、遥か彼方の、縁だけ茜色を帯びた入道雲のむくむくした塊りに覆われている地平線の方を眺めやっていたものだった。ようやく暮れようとしかけているその地平線から、反対に何物かが生れて来つつあるかのように……

 そんな日の或る午後、(それはもう秋近い日だった)私達はお前の描きかけの絵を画架に立てかけたまま、その白樺の木蔭に寝そべって果物を齧じっていた。砂のような雲が空をさらさらと流れていた。そのとき不意に、何処からともなく風が立った。私達の頭の上では、木の葉の間からちらっと覗いている藍色が伸びたり縮んだりした。それと殆んど同時に、草むらの中に何かがばったりと倒れる物音を私達は耳にした。それは私達がそこに置きっぱなしにしてあった絵が、画架と共に、倒れた音らしかった。すぐ立ち上って行こうとするお前を、私は、いまの一瞬の何物をも失うまいとするかのように無理に引き留めて、私のそばから離さないでいた。お前は私のするがままにさせていた。

  風立ちぬ、いざ生きめやも。

 ふと口を衝いて出て来たそんな詩句を、私は私に靠《もた》れているお前の肩に手をかけながら、口の裡で繰り返していた。それからやっとお前は私を振りほどいて立ち上って行った。まだよく乾いてはいなかったカンヴァスは、その間に、一めんに草の葉をこびつかせてしまっていた。それを再び画架に立て直し、パレット・ナイフでそんな草の葉を除りにくそうにしながら、「まあ! こんなところを、もしお父様にでも見つかったら……」、お前は私の方をふり向いて、なんだか曖昧な微笑をした。

イメージ 2
 ※ 堀多恵子:辰雄夫人。去年、94歳を迎える。立原道造記念館初代館長。

 (十二月五日)
 夕方、私達は二人きりでいた。附添看護婦はいましがた食事に行った。冬の日は既に西方の山の背にはいりかけていた。そしてその傾いた日ざしが、だんだん底冷えのしだした部屋の中を急に明るくさせ出した。私は病人の枕もとで、ヒイタアに足を載せながら、手にした本の上に身を屈めていた。そのとき病人が不意に、「あら、お父様」とかすかに叫んだ。

 私は思わずぎくりとしながら彼女の方へ顔を上げた。私は彼女の目がいつになく赫《かがや》いているのを認めた。――しかし私はさりげなさそうに、今の小さな叫びが耳にはいらなかったらしい様子をしながら、「いま何か言ったかい?」と訊いて見た。

 彼女はしばらく返事をしないでいた。が、その目は一層赫き出しそうに見えた。「あの低い山の左の端に、すこうし日のあたった所があるでしょう?」彼女はやっと思い切ったようにベッドから手でその方をちょっと指して、それから何んだか言いにくそうな言葉を無理にそこから引出しでもするように、その指先きを今度は自分の口へあてがいながら、「あそこにお父様の横顔にそっくりな影が、いま時分になると、いつも出来るのよ。……ほら、丁度いま出来ているのが分らない?」

 その低い山が彼女の言っている山であるらしいのは、その指先きを辿りながら私にもすぐ分ったが、唯そこいらへんには斜めな日の光がくっきりと浮き立たせている山襞しか私には認められなかった。「もう消えて行くわ……ああ、まだ額のところだけ残っている……」

 そのとき漸っと私はその父の額らしい山襞を認めることが出来た。それは父のがっしりとした額を私にも思い出させた。「こんな影にまで、こいつは心の裡で父を求めていたのだろうか? ああ、こいつはまだ全身で父を感じている、父を呼んでいる……」が、一瞬間の後には、暗がその低い山をすっかり満たしてしまった。そしてすべての影は消えてしまった。

 「お前、家へ帰りたいのだろう?」私はついと心に浮んだ最初の言葉を思わずも口に出した。そのあとですぐ私は不安そうに節子の目を求めた。彼女は殆どすげないような目つきで私を見つめ返していたが、急にその目を反らせながら、「ええ、なんだか帰りたくなっちゃったわ」と聞えるか聞えない位な、かすれた声で言った。私は脣を噛んだまま、目立たないようにベッドの側を離れて、窓ぎわの方へ歩み寄った。

 私の背後で彼女が少し顫声《ふるえごえ》で言った。「御免なさいね。……だけど、いま一寸の間だけだわ。……こんな気持、じきに直るわ……」

 私は窓のところに両手を組んだまま、言葉もなく立っていた。山々の麓にはもう暗が塊まっていた。しかし山頂にはまだ幽かに光が漂っていた。突然、咽をしめつけられるような恐怖が私を襲ってきた。私はいきなり病人の方をふり向いた。彼女は両手で顔を押さえていた。急に何もかもが自分達から失われて行ってしまいそうな、不安な気持で一ぱいになりながら、私はベッドに駈けよって、その手を彼女の顔から無理に除けた。彼女は私に抗おうとしなかった。

 高いほどな額、もう静かな光さえ見せている目、引きしまった口もと、――何一ついつもと少しも変っていず、いつもよりかもっともっと犯し難いように私には思われた。……そうして私は何んでもないのにそんなに怯え切っている私自身を反って子供のように感ぜずにはいられなかった。私はそれから急に力が抜けてしまったようになって、がっくりと膝を突いて、ベッドの縁に顔を埋めた。そうしてそのままいつまでもぴったりとそれに顔を押しつけていた。病人の手が私の髪の毛を軽く撫でているのを感じ出しながら……

 部屋の中までもう薄暗くなっていた。 (死のかげの谷)へ続く…


 【参照】5月28日、松岡農水相が自殺図る(2007年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/33029797.html

 【参照】5月28日、越前大仏が落慶(1987年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/33018275.html

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事