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平成20年6月29日(日)昨日:高校野球監督も落書き? 伊の世界遺産。
イタリア・フィレンツェの世界遺産に登録された地区にある「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」に日本人旅行者らが書き残した落書きが相次ぎ問題となるなか、水戸市の私立常磐大高の硬式野球部監督(30)が大聖堂の柱に書いたとみられる落書きが見つかり、県高野連が調査に乗り出したことが28日、分かった。同校野球部は7月5日から始まる第90回全国高校野球選手権県大会に出場予定。県高野連は30日に、同校や監督らから詳しい事情を聴く。
● 伊の世界遺産聖堂に落書き、岐阜短大生、学校名で発覚(6.24) サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の壁に落書き 岐阜市立女子短大の学生が今年2月、研修旅行で訪れたフィレンツェで、大聖堂の壁に落書きしていたことが観光客の指摘で発覚。短大側が大聖堂に謝罪していたことが24日、わかった。市立女子短大によると、生活デザイン学科の1年生が2月18日、学校主催の研修旅行で訪れたフィレンツェで、友人5人と拝観した際、見晴らし台の大理石の壁に、油性ペンで「岐女短」や6人のニックネームを落書きしたという。 ● 京産大生も大聖堂に落書き、処分へ(6.26) 京都産業大(京都市北区)の男子学生3人が3月、大聖堂に落書きしていたことが25日、分かった。大学は3人を処分する方針。大学によると、落書きしたのはいずれも2年生の男子学生。3月13日、観光旅行で大聖堂を訪れ、大聖堂の柱に日付と3人の名前のほか、「イタリア旅行記念」「京都産業大学」と油性ペンで落書きしたという。大学側は、「大学の名誉を著しく傷つけた」として3人を停学2週間の処分にすると発表。 ※ 落書(らく‐しょ)=政治・社会や人物などを批判・風刺した匿名の文書。人目に触れやすい所に落として人に拾わせたり、相手の家の門・塀に貼りつけたりした。中世から近世にかけて盛んに行われた。おとしぶみ。 →落首(らく‐しゅ)=風刺・批判・あざけりの意を含めた匿名のざれ歌。詩歌の形式による落書。 ※ その昔、後醍醐天皇の独善的な政策を批判する長文の落書が二条河原に掲げられ、都の人々が大いに溜飲を下げたとか。後醍醐は、やたらと綸旨(天皇が発する政令)を乱発したようだ。 この頃、都に流行るもの 夜討ち、強盗、偽綸旨(にせりんじ) 召人(めしゅうど)、早馬、虚騒動(からさわぎ) 生首、還俗、自由出家、云々… ◇ 歴史的資料となった侍の落書、アンコールワット アンコール・ワット遺跡には、寛永9年(1632年)に同地を訪れた江戸初期の武士、肥前松浦藩士の森本右近太夫が墨書した落書が残されています。当時、日本の商人や浪人たちが多数東南アジアに住んでおり、こうした人々によってアンコール・ワットは「祇園精舎の跡地」であるという誤った情報が日本に伝わり、多くの人々が海をわたり祈りのために訪れた。 アンコール・ワットはこの後、人々から忘れ去られ、1860年にフランス人学者、アンリ・ムーオにより発見された。 父母の菩提のため、数千里の海上を渡り…、と記された森本右近太夫の記念の落書のほか、十数箇所の日本人の落書が、1960年代までは残っていた。一時、ポル・ポト派の手によりペンキで塗り潰されましたが、現在ではペンキの風化により、森本右近太夫の落書が再び読めるようになっているという。2003年11月21日には、右近太夫の15代目の子孫がこの落書との対面を果たしています。 6月29日は、サン=テグジュペリの誕生日です。 ◇ アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(Antoine de Saint-Exupéry) 読者からは、サンテックスの愛称で親しまれています。 1900年6月29日、仏蘭西・リヨンに生まれる。郵便輸送機パイロット。 第二次世界大戦中、偵察機で出撃の後、消息を絶った(1944年7月31日)。 のちに、当時のドイツ軍操縦士ホルスト・リッパートが、サン=テグジュペリの偵察機を撃墜したとする証言が公開された。この操縦士自身もサン=テグジュペリ作品の愛読者だと言い、「長い間、あの操縦士が彼ではない事を願い続けた。彼だと知っていたら撃たなかった」と話している。 『あのときの王子くん』(LE PETIT PRINCE)大久保ゆう訳 (『星の王子さま』の邦題でよく知られている作品) アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ Antoine de Saint-Exupery レオン・ウェルトに 子どものみなさん、ゆるしてください。ぼくはこの本をひとりのおとなのひとにささげます。でもちゃんとしたわけがあるのです。そのおとなのひとは、ぼくのせかいでいちばんの友だちなんです。それにそのひとはなんでもわかるひとで、子どもの本もわかります。しかも、そのひとはいまフランスにいて、さむいなか、おなかをへらしてくるしんでいます。心のささえがいるのです。まだいいわけがほしいのなら、このひともまえは子どもだったので、ぼくはその子どもにこの本をささげることにします。おとなはだれでも、もとは子どもですよね。(みんな、そのことをわすれますけど。)じゃあ、ささげるひとをこう書きなおしましょう。 (かわいい少年だったころの)レオン・ウェルトに 1 ぼくが6つのとき、よんだ本にすばらしい絵があった。『ぜんぶほんとのはなし』という名まえの、しぜんのままの森について書かれた本で、そこに、ボアという大きなヘビがケモノをまるのみしようとするところがえがかれていたんだ。だいたいこういう絵だった。 「ボアというヘビは、えものをかまずにまるのみします。そのあとはじっとおやすみして、6か月かけて、おなかのなかでとかします。」と本には書かれていた。 そこでぼくは、ジャングルではこんなこともおこるんじゃないか、とわくわくして、いろいろかんがえてみた。それから色えんぴつで、じぶんなりの絵をはじめてかいてやった。さくひんばんごう1。それはこんなかんじ。 ぼくはこのけっさくをおとなのひとに見せて、こわいでしょ、ときいてまわった。でもみんな、「どうして、ぼうしがこわいの?」っていうんだ。この絵は、ぼうしなんかじゃなかった。ボアがゾウをおなかのなかでとかしている絵だった。だから、ぼくはボアのなかみをかいて、おとなのひとにもうまくわかるようにした。あのひとたちは、いつもはっきりしてないとだめなんだ。さくひんばんごう2はこんなかんじ。 おとなのひとは、ボアの絵なんてなかが見えても見えなくてもどうでもいい、とにかく、ちりやれきし、さんすうやこくごのべんきょうをしなさいと、ぼくにいいつけた。というわけで、ぼくは6さいで絵かきになるゆめをあきらめた。さくひんばんごう1と2がだめだったから、めげてしまったんだ。おとなのひとはじぶんではまったくなんにもわからないから、子どもはくたびれてしまう。いつもいつもはっきりさせなきゃいけなくて。 それでぼくはしぶしぶべつのしごとにきめて、ひこうきのそうじゅうをおぼえた。せかいじゅうをちょっととびまわった。ちりをべんきょうして、ほんとやくに立った。ひとめで中国なのかアリゾナなのかがわかるから、夜なかにとんでまよっても、かなりたすかるってもんだ。こうしてぼくは生きてきて、ちゃんとしたひとたちともおおぜいであってきた。おとなのひとのなかでくらしてきた。ちかくでも見られた。でもそれでなにかいいことがわかったわけでもなかった。 すこしかしこそうなひとを見つけると、ぼくはいつも、とっておきのさくひんばんごう1を見せてみることにしていた。ほんとうのことがわかるひとなのか知りたかったから。でもかえってくるのは、きまって「ぼうしだね。」って。そういうひとには、ボアのことも、しぜんの森のことも、星のこともしゃべらない。むこうに合わせて、トランプやゴルフ、せいじやネクタイのことをしゃべる。するとおとなのひとは、ものごとがはっきりわかっているひととおちかづきになれて、とてもうれしそうだった。 2 それまで、ぼくはずっとひとりぼっちだった。だれともうちとけられないまま、6年まえ、ちょっとおかしくなって、サハラさばくに下りた。ぼくのエンジンのなかで、なにかがこわれていた。ぼくには、みてくれるひとも、おきゃくさんもいなかったから、なおすのはむずかしいけど、ぜんぶひとりでなんとかやってみることにした。それでぼくのいのちがきまってしまう。のみ水は、たった7日ぶんしかなかった。 1日めの夜、ぼくはすなの上でねむった。ひとのすむところは、はるかかなただった。海のどまんなか、いかだでさまよっているひとよりも、もっとひとりぼっち。だから、ぼくがびっくりしたのも、みんなわかってくれるとおもう。じつは、あさ日がのぼるころ、ぼくは、ふしぎなかわいいこえでおこされたんだ。 「ごめんください……ヒツジの絵をかいて!」 「えっ?」 「ぼくにヒツジの絵をかいて……」 かみなりにうたれたみたいに、ぼくはとびおきた。目をごしごしこすって、ぱっちりあけた。すると、へんてこりんなおとこの子がひとり、おもいつめたようすで、ぼくのことをじっと見ていた。あとになって、この子のすがたを、わりとうまく絵にかいてみた。でもきっとぼくの絵は、ほんもののみりょくにはかなわない。ぼくがわるいんじゃない。六さいのとき、おとなのせいで絵かきのゆめをあきらめちゃったから、それからずっと絵にふれたことがないんだ。なかの見えないボアの絵と、なかの見えるボアの絵があるだけ。 それはともかく、いきなりひとが出てきて、ぼくは目をまるくした。なにせひとのすむところのはるかかなたにいたんだから。でも、おとこの子はみちをさがしているようには見えなかった。へとへとにも、はらぺこにも、のどがからからにも、びくびくしているようにも見えなかった。ひとのすむところのはるかかなた、さばくのどまんなかで、まい子になっている、そんなかんじはどこにもなかった。 やっとのことで、ぼくはその子にこえをかけた。 「えっと……ここでなにをしてるの?」 すると、その子はちゃんとつたえようと、ゆっくりとくりかえした。 「ごめんください……ヒツジの絵をかいて……」 ものすごくふしぎなのに、だからやってしまうことってある。それでなんだかよくわからないけど、ひとのすむところのはるかかなたで死ぬかもしれないのに、ぼくはポケットから1まいのかみとペンをとりだした。でもそういえば、ぼくはちりやれきし、さんすうやこくごぐらいしかならっていないわけなので、ぼくはそのおとこの子に(ちょっとしょんぼりしながら)絵ごころがないんだ、というと、その子はこうこたえた。 「だいじょうぶ。ぼくにヒツジの絵をかいて」 |

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