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平成20年7月5日(土)松下:ダビング10解禁、いきなり更新不具合。 デジタル放送録画のコピー制限を緩和する「ダビング10」が解禁された4日、松下電器産業製の録画機でソフトの更新に不具合があったことがわかった。「正常に起動しない」などの問い合わせが少なくとも約300件あり、うち4件はハードディスクに録画した番組が消えたという。 松下は、解禁に向けて6月30日から信号を送っていたが、7月1日以降に書き換えたDVDとブルーレイ・ディスクの録画機11機種で不具合が起きた。いずれも電源を入れると、「フォーマットしますか」という案内が画面に出る。「はい」を選ぶと録画した番組や設定が全て消えてしまう。 松下は2日にトラブルを確認、3日午後から正しくソフトが更新されるよう修正したが、4日まで公表しなかった。初期化するかどうかをたずねる画面が出た場合、電源コードをコンセントから外さずに電源ボタンを押せば、正しくソフトが更新される。 <中日4−2巨人>(4日、ナゴヤドーム) 中日が先発エース川上の気迫の投球と、右打線の活躍で連敗を4で止めた。川上は速球、コントロールともにさえ、7回3安打10奪三振で無失点と文句なしの内容で降板。打線は6回1死一、二塁から和田の左翼フェンス直撃の適時二塁打で先制。さらに平田のタイムリー二塁打で2点を加え、8回には和田の左翼席へ運ぶ9号ソロでダメを押した。セーブのつかない登板で、岩瀬が2失点。 ※ 早ければ、来週にも阪神のマジック点灯って、そんな殺生な…。 セ界の灯、消したのだーれ、弱いドラ、強すぎるトラに、へなちょこ巨人。 これでCSがなかったらラジオを聞く気にもなれん。でしょっ、落合さん? 7月5日は、「栄西忌」です。 以下、建仁寺のHPより(http://www.kenninji.jp/) 開山千光祖師明庵栄西(みんなんようさい)禅師。永治元年(1141年)4月20日、備中(岡山県)吉備津宮の社家、賀陽(かや)氏の子として誕生しました。11歳で地元安養寺の静心和尚に師事し、13歳で比叡山延暦寺に登り翌年得度、天台・密教を修学します。そののち、宋での禅宗の盛んなることを知り、28歳と47歳に二度の渡宋を果たします。 2回目の入宋においては、インドへの巡蹟を目指すも果たせず、天台山に登り、万年寺の住持虚庵懐敞(きあんえじょう)のもとで臨済宗黄龍派の禅を5年に亘り修行、その法を受け継いで建久2年(1191)に帰国しました。都での禅の布教は困難を極めたが、建久6年(1195年)博多の聖福寺を開き、「興禅護国論」を著すなどしてその教えの正統を説きました。また、鎌倉に出向き、将軍源頼家の庇護のもと正治2年(1200年)寿福寺が建立、住持に請ぜられます。 その2年後、建仁寺の創建により師の大願が果たされることになりました。その後、建保3年(1215年)7月5日、75歳、建仁寺で示寂。護国院にその塔所があります。また師は在宋中、茶を喫しその効用と作法を研究、茶種を持ち帰り栽培し、「喫茶養生記」を著すなどして普及と奨励に勤め、日本の茶祖としても尊崇されています。 ※ 建仁寺開山忌は、6月5日。 入寂の日については、6月5日(吾妻鏡)と7月5日(沙石集)の両説、入寂の地については、鎌倉説と京都説とが並存する。 ◇ 「茶の湯」と栄西 栄西が、茶の湯の発展に果たした役割の大きさは、実は伝説でいわれているほどではない、と 疑問を投げかける研究者も、かねてから少なくありません。鈴木大拙の『禅と日本文化』には、「彼は中国の禅院にいる間に、茶の湯の作法をみてきたに違いないのだろうが、別段それを教えなかったようである」とある。そして、禅院での茶の作法を日本にもたらした禅僧は、栄西より半世紀ほど後の、鎌倉末期の大応国師(南浦紹明)であると記しています。大応は、駿河国(静岡)出身といわれ、入宋して臨済宗発展の基礎を築いた。因みに禅院での「茶礼」は、茶の湯とは大いに趣を異にするものである。 ※ 栄西の持ち帰った茶の種が、栂尾高山寺の明恵上人の手に渡り、宇治で茶が栽培されるようになる。 ◇ 東山建仁寺〔建仁2年(1202年)の建立〕 将軍・源頼家が寺域を寄進、栄西禅師を開山とし、 宋国百丈山を模す。 元号を寺号とする。 京都駅から:市バス206系統「東山安井」下車徒歩5分 京阪四条駅から:徒歩7分、 阪急電車:「河原町」より徒歩10分 |

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