今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成20年7月31日(木)昨日:イチロー、日米通算3000安打達成。

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 マリナーズのイチロー(鈴木一朗)外野手(34)は29日(米時)、アーリントンで行われたレンジャーズ戦の初回、メンドーサ投手から、日米通算3000本目のヒットを左前に放った。日本で1278本、大リーグで1722本。通算3000本安打の達成は、日本のプロ野球では、3085安打の張本勲ただ一人。大リーグでは過去27人が記録している。   イチローは「1992年に初めてヒットを打ってからここまでを別に長いとは感じなかったが、この1週間はやけに長かった。(3000安打と聞いて…)張本さんの顔が浮かぶ。1995年の春に『次に3000を打つのはおまえ、首位打者7回も、最終的にヒットの記録もおまえに抜いてもらいたい』と言われた。今日到達して一番そのことを思い出す。日本で積み上げてきたヒットと凡打それぞれが僕の技術を磨いてくれた。僕は日本で養われた技術を使ってこちらでヒットを打っている」と喜びを語った。



 1979年7月31日、松下電子工業が真空管の生産を終了しました。
 ( 真空管の国内生産が終了。)

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 ◇ 松下電器産業/松下無線/松下電子工業:ナショナル/Panasonic

 1918年誕生、戦前はラジオを生産。真空管の製造を始めたのは戦時中の1943年で,日本無線JRCの航空機用(軍用)の受信管FM-2A-05Aを製造。1944年から出荷。 戦後は民生用のラジオ球を製造。ラジオ球製造の初期からNHKなどと共同研究をおこなった。

 1950年には東洋電波(レックス)を買収、ナショナル・ブランドの受信管を作る。TV時代に入った1951年頃、TVの5大特許の内、2つを持つオランダ・フィリップスと技術提携し、松下電子工業を設立。

 1954年頃、大工場が完成し真空管製造を大々的に開始。ブランド名はナショナルを使いカタカナに丸のロゴを使用、箱は松下電器産業と松下電子工業の並記。1968年頃から数年間、輸出向けに使用していた三松葉ロゴを国内でも使用したが、1970年代に再びナショナルロゴに戻った。

 真空管製造技術は飛躍的に向上するとともに,戦前から知名度が高く販売網がしっかりしていたので、1950年代半ばには民生管の大手メーカに成長。主に自社製品用の欧州系TV球を生産していたが、1960年代後半からは、フィリップス系の海外管球メーカにもOEM供給した。製造の終結は東芝よりも遅く、1979年。


 これが(↓)第一次世代のコンピュータの勇姿(↓)
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 ◇ ENIAC (Electronic Numerical Integrator and Computer)遺文

    モンスターマシン・幅24m、総重量30T「1万8800本の真空管」

 アメリカ陸軍の依頼を受けて、ペンシルベニア大学の電気工学科・ムーアスクールが開発した電子計算機。ENIACとは、電子式数値積分計算機を意味する略語。もともとは、弾道計算に使う予定だった。

 撃ち出した砲弾が大気の条件によってどんな影響を受け、初速や発射角度などに応じてどのような軌跡を描いてどこに着弾するかを示す弾道数表作りを高速化する目的で、1943年に開発が始まったが、戦時中には間に合わず、1946年2月になって公表された。

 ENIACは黎明期での実用機として注目されるべきマシンではあるが、コンピューターを支える技術は同機にいたるまでにも永く積み重ねられており、またその後のコンピューターの基本原理となったプログラム内蔵方式は、ENIACには採用されていなかった。

 電子式のスイッチとして機能する真空管を使って、ともかく微分解析機に代わる計算機を作るとして開発されたENIACは、基本的なアイディアは既存の計算機から借りながら、資金にまかせて強引に電子化を推し進めるというアプローチをとった。

 その結果、ENIACは1万8800本の真空管、17万個の抵抗、1万個のコンデンサー、1500個のリレー、数千のスイッチと数百のプラグを組み合わせ、50万ヶ所をはんだ付けしたモンスターマシンとなった。開発にあたったスタッフは長期間にわたって昼夜兼行で作業にあたったが、膨大な接点に紛れ込んだ不良箇所が彼らの足を引っ張ることになる。

 完成したENIACは、毎秒5000回の加減算をこなし、当時の計算機をはるかに上回る処理能力を見せつけた。一方ハーバード大学とIBMは、従来の統計・会計機の技術をもとに、指定された計算手順に従って機能する汎用自動計算機、Markを1944年に完成させていた。紙テープに記録した命令を一つ読んでは実行し、次の命令を再びテープから読む方式を採用していたMarkでは、処理速度は読みとりの際の機械的な動作によって制限されていた。

 それに対しENIACでは、プラグにコードを差し込んでいくことで計算の手順をセットするようになっており、電子化による高速化のメリットがそのまま生かせるように工夫されていた。ただし計算の手順を変更しようとすれば、ENIACではそのたびに配線をすべてやりなおさざるをえなかった。計算自体は高速化できても、ENIACには配線に手間がかかるという問題点が残されていた。

 ※ 大きな広間を占拠する巨大なENIAC。1万8800本の真空管の内、1本が切れてもアウト。プラグ配線を一ヶ所間違えてもアウト。OSの概念がなかった頃の、想像を絶する悪戦苦闘。その成果が毎秒5000回の計算能力だった。 今日、わたしたちが普通に使っているパソコンは毎秒10兆回の計算ができます。

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 ◇ ノイマン式コンピュータ

 ハンガリー生まれのユダヤ人数学者で、ヒットラーのドイツを逃れてプリンストン大学に移っていたジョン・フォン・ノイマンは、マンハッタン計画に貢献するとともに、コンピューターの基本原理の確立においても決定的な役割を演じた。

 弾道研究所はENIACの完成以前から、より強力な計算機を開発するようムーアスクールに要請していたが、この次期計画は弾道研究所の顧問でもあったフォン・ノイマンの構想にもとづいて進められることになった。EDVACと名付けられた次のマシンに関する、1945年6月にまとめられた最初の提案書で、フォン・ノイマンは「電子的な記憶装置に収めた計算手順を読み出して実行する」プログラム内蔵方式を提案した。

 フォン・ノイマンとエッカートが協力して進めることになったEDVACの開発計画は、両者の発想の食い違いもあって大幅に遅れ、同方式の一号機はイギリス、ケンブリッジ大学のモーリス・V・ウィルクスによって1949年5月に作り上げられたEDSACとなった。

 ※ コンピューターの基本的技術は第二次世界大戦の終結間近に確立された。そしてそれは、ヒロシマ・ナガサキによる戦争終結と言う結実を得た。この暗喩は、今日以降のコンピュータ文明を明確に示唆するものである。



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 【参照】7月31日、柳田国男の誕生日
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/14734711.html

 【参照】7月31日、愛宕神社千日詣
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/35189141.html

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